【短編小説】おしるこのぶるぅす(1)
世の中の摂理、物事にはかならず勝者と敗者が存在する。
圧倒的な力で周囲を押し除けたものは勝者となり、地位と名声を恣にする。欲望のままに生きることを許され、何をしても周囲の称賛の声に変えてしまうようになるのだ。仮にそれが非合法な手段であったとしても、勝てば官軍。1人殺しただけでは犯罪者だが、1万人を殺せば英雄として歴史の教科書に載る。勝負とはそういうものだ。
一方で、勝負に敗れたものは……
知らず知らずのうちに表舞台を去り、その存在は誰の記憶からもいつの間にか消えている。たとえ一世を風靡した存在であれど、一度その地位を陥落してしまえばその衰退は早い。これ盛者必衰の理なり。
––––来た、今週も始まる。
みなさんが歩む道端で、注意深く耳を済ませてみると、どこからか勝負を前にして息を飲む声が聞こえてくるかもしれない。時には、緊張のあまり気合が空回りして、ガスが抜けるような音が聞こえてくるかもしれない。
もしそんな声がしたらあなたは運がいい。ぜひ、近寄ってその一部始終をとくと目に焼き付けるのが良いだろう。
なぜならそれは間違いなく、愛と勇気とサンチマンタリズムに溢れた、あの自動販売機戦争が開始したという合図に他ならないからである。
自動販売機は弱肉強食の世界だ。
売れる商品はすぐになくなり、外界の空気を吸うことができる。だが人気がない商品は狭くて不快な牢獄でその一週間をずっと過ごすこととなる。その居心地の悪さたるものや、常に「そちら側」のあなたたちには容易には分かるまい。
誰かがじろじろ見て値踏みしてきて、「あー、今日はこの気分じゃないんだよな」「なんか高くない? スーパーで買うわ」と悪口を言われる日々。たまに買っていく人がいるにしても、いつ自分の出番が来るか分からない状態で待ち続けるのは、本当にしんどいのだ。
おまけにもしあまりにも売れ残ってしまった場合。
残酷にも、それは自動販売機という存在から抹消されてしまう。そこにいたという痕跡が残ることもなく、急に新人と交代させられる。
これまでに、飲料たちは勝負に破れて泣き喚きながらディスプレイを剥がされているのを幾度となく眺めてきた。その度に、次は自分なのかもしれない、と恐怖に怯えながら、ただ人々の指の行末を祈り続けているのである。
そう、これはただの「販売」などではない。
いかにして早く下腹部に「売切」の赤いランプを点灯させるかの、死に物狂いのサバイバルなのである。
そんな過酷かつ非情なるデスゲームが、今日もここ––––生気を失ったサラリーマンがひしめく早朝の高田馬場駅ホームで号砲が鳴ろうとしていた。
––––あたし、今度こそ絶対に負けないから。とくにあいつにだけは。
忍流子は、あくまでも自分は前者だと信じきっていた。この入れ替わりの早い激戦区の自販機でもう3ヶ月も耐えているんだもの、あたしが敗者の訳がないじゃない。
3週連続で売上が私が最下位だなんて、そんなの何かの間違い。
だって、あたしは美味しいに決まってるんだもん。甘くてトロッとして、お餅も入ってて、飲むとお母さんの優しさをもらったような温かい気分になる。こんなの、他の誰にもない強みじゃない。
そんなふうに強がる忍流子の横を、学生だろうか、若い男子の2人組が通り過ぎる。
「あ、見て、おしるこあるよ。珍しくない?」
「ね、でもこういうのってさ、自販機で買うほど飲みたいってわけじゃないんだよな」
「それな、こういうのは器で食べるから美味しく感じるんだし」
「温かい枠だったらコーンスープが最強格だしね」
「缶に小豆とかお餅とか剥がれない時多いし、ぶっちゃけ飲みづらいよね」
「誰が買うんだろうね、こういうの。あ、俺いろはすにするわ」
忍流子は憤りのあまり、思わず彼らの上段を見つめる瞳に向かってどついてやろうかと思いかけたが、すんでのところで思いとどまった。
おしるこ、美味しいじゃんか。
なんで誰もそれをわかってくれないのか。みんな一回飲んでみたらいいのに、そうすればきっと分かってもらえるはず。
そう強がってみるが、先ほどよりは自信のなさが現れていた。
確かに、彼女自信にも自覚はあった。根強いファンが一定数いるのは確かだが、ほとんどの人は見向きもしないでいることに。
そもそも、冬場以外で自販機で「あたたか〜い」のゾーンから買う人の方が圧倒的に少ないのだ。この自販機にも全部で30体以上が並んでいるが、その中で「あたたか〜い」のは3体だけで、他は全部「つめた〜い」なのだ。
下段の隅に追いやられた私たち3体は、いつも仲間が多くて売り上げも多い「つめた〜い」のゾーンを羨ましく眺めているだけなのである。
生まれながらのエリートである冷たい飲料。その筆頭がこいつ。本当にいけ好かないわ。
忍流子の目線は、アクリル板のディスプレイに反射する、憎き緑色の肌をした背の高いハンサム男に向けられていた。
視線の先にいるのは、忍流子が最も気になってやまない、大井恩智矢であった。大井の憎いところは、なんと言ってもどんな場面でも飲みたいと思える緑茶だというところである。そこに鎮座しているだけで勝手に人々が買っていくという不条理。おまけに見てくれは透き通っており、癖がない故に、お茶界でも万人から愛される国民的飲料であることは間違いない。
常にこの自販機でもトップに上り詰めており、人々が美味しそうに大井を飲む姿をいつも忍流子は指を咥えて眺めているだけだった。
忍流子は、そんな彼のことをライバル視(本人しか思っていない)しながらも、どこか気に掛気てしまうのが気に入らなかった。
何で、あたしがあいつのせいでいつも敗北感を味合わなければならないのよ。
今回こそは、大井に勝ってやるんだから。世の中、顔と性質が全てじゃないんだって、ちゃんとあたしにだってみんなを引きつけられるんだって、証明してやるんだから。
「おーおー、また流子が大井のこと見つめてら」
気を吐く忍流子の頭上から、どうしようもなく不快にさせるいつもの声が聞こえてきた。
ハッと上を見上げると、そこにはうしし、と邪悪な笑みを浮かべる紫色のペットボトル––––部堂扇太の姿があった。
「別に見つめてないんだけど。そっちこそあたしのこと見つめるのやめてくれない?」
「なんだよ照れてんじゃねえよ、好きなんだろ、大井のこと。缶って本当わかりやすいよな、一回表情に出したらもう蓋できないんだもんな」
「はあ? そういう出鱈目なこと言わないでくれないかな、頭が炭酸で湧いちゃってるんじゃないの?」
忍流子は扇太を睨みつけた。
扇太は、その屈託のないストレートな味わいで特に若い人や子供に大人気だった。その点に関しては忍流子も尊敬している。
だが、彼の欠点は少しばかりヤンチャなところだった。いや、少しばかりという程度ではすまないのかもしれない。内部に秘められた衝動性と破壊性は収まることを知らず次々と湧いてくるのである。あちこちでルームメイトをいじめ、からかい、それで自分が揺さぶられるとすぐに泣き出してしまう幼稚な子であった。
しかし、いわば仕方のない部分もある。彼は無果汁であり、まだ未熟で一人前ではないからだ。きっとこれから色々な経験を積んだのち、果汁が入ってくればまた落ち着いてくるに違いない。
「そういうあんただって、いろはすちゃんのこといつも下心のこもった目で見てるの知ってるからね」
「っちょ、お前なんでそれを!!」
扇太はわかりやすく動揺した。
いろはすちゃんはこの自販機のアイドルだった。透き通った美しさを持ち、物腰も柔らかく、毒がないからどんな人にもすぐに溶け込めてしまう人格者だった。忍流子が最も尊敬してやまない飲料ではあるが、それは異性から見ても当然のこと。彼女は、扇太がいつも丸みを帯びた足をチラチラと盗み見ていることを知っていた。
「まじでやめろって、言うな」
「じゃああんたがそういうこと言わなきゃいいわけでしょ」
「うわ、ほんとだるいって。まじ絶対言うなよ、言ったら流子のことも全部流すから」
「そっちこそ、二度とその口を聞かないでちょうだい」
忍流子が嫌味を連ねていると、ふと、隣から大きなため息が聞こえたのに気がついた。
まずい、と気がついた時はもう遅かった。
「やれやれ、今日は目覚まし時計が誤作動してしまったのかな。あまりにもうるさいから早起きしてしまったよ」
隣から頑強な顔をした老人が、「あたたか〜い」はずの空間から冷ややかな目を向けていた。
この自販機の中でも指折りの古参珈琲で、その出立と渋さ、言葉の苦味のあるブラックさから、「ボス」と言われて親しまれている。本名はおそらく、誰も知らない。
彼は音に敏感だった。香りの繊細さを追求しているためでもあるのだろう、五感がどうやら発達しているようである。
睡眠を音で妨害して起こしてしまったとなれば、相当に激怒しているに違いない。きっと砂糖の一本や二本を入れても取り返しがつかない程度に。
「すみません、ボス……」
勢い込んだ忍流子も、さすがのボスの前ではしおしおと引き下がるしかない。何せ、3体しかいない「あたたか〜い」の空間を共有しているルームメイトであり、隣人なのだ。余計なトラブルなどないに越したことはない。
ああ、ボスに今日も怒られた。ただでさえ、朝からあの高校生のガキどもの悪口を聞いて気分が落ち込んでいたのに。
その様子を見てゲラゲラと爆笑する扇太を睨み返す。
ほんっっっっとうにうざい!合成甘味料ばっか体内に入れてるからあんなにしょうもない甘ったるい性格になるのよ!
忍流子は悪態をついた。そうしている間にも、若いマスク姿のOLが大井のボタンを押して、この自動販売機から解放させている。
忍流子の勝負の朝は、かくて最悪のスタートを切ったのである。
(続く……)
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