牛丼礼讃
私は時々、無性に松屋の「ネギたっぷり旨辛ネギたま牛めし」を食べたくなる。
ホカホカのご飯の上に規律良く整列する、たっぷりと出汁を吸って紅葉のように色づいた牛肉。そしてそれを押しのけて、戦国大将のように存在感あらわに鎮座する青々とした大量のネギ。くぼみにピッタリとはめ込まれた卵の黄金色とのコントラストが美しく、お箸で割ってみれば丼全体を濃厚な架け橋がつなぐ。宝石をまとわりつくようなピリ辛のソースが、まろやかな全体像に明確な陰翳をつけてゆく。
一口お箸で頬張れば、ピリッとした刺激の後に柔らかな白米の下地に牛肉の弾力と旨味、ネギの食感とみずみずしさ、卵の濃密さ、すべてが調和した完璧な味わいが口内に広がる。飽和したところでまたもう一口かきこむと、ピリ辛ソースが一度すべてをリセットし、また新鮮な気持ちで絶妙なハーモニーを味わうことができる。
この味は、きっと日本人なら誰しもが憧れ、懐かしく、深く愛おしんでやまないものに違いない。
「チーズ牛丼」は不幸にも一種の辱めの形容詞として使われるようになってしまったが、この旨辛ネギたま牛めしは擬人化してみるとどうなるだろうか。
それはまるで、見た目は少し派手なメッシュが入っているが性格はいつもおしとやかで可憐、それでいてふとした時に現れる毒舌のギャップが興味をそそる、美しき黒髪の乙女…
さすがに褒めすぎているような気がするが、とにかくそれくらい、この旨辛ネギたま牛めしが好きだということだ。
牛丼のいいところは、この美味しさからすれば考えられないような安さを両立しているところである。並盛を頼めば、味噌汁がついて580円。この物価上昇が続いている日本で、ほぼワンコインでこのランチが食べられるのは冷静に考えれば凄まじい企業努力の賜物であると思う。
私は最近1ヶ月イギリスに行っていたのだが、そこは大して美味しくなく量も少ないランチに2000円(≒11£)以上はつぎ込まなければいけない世界であった。3£(≒580円)などといえば、コンビニで一番安いサンドイッチも買えるかどうか、の領域である。
相場の違いが大きいのでそんなもの実現する訳がないが、もしイギリスでこの値段でこのクオリティの牛丼が提供されたとしたら、まず間違いなくとてつもない騒ぎになるに違いない。
日本食といえば「SUSHI」「TENPURA」「RAMEN」などを紹介するが多いだろうが、私は海外(特に欧米の物価が高い地域)の友達が日本に来たとしたら、まず最初に松屋に連れて行って、旨辛ネギたま牛めしをその口に乱暴に押し込んで、これが伝統的な日本食さ、とドヤ顔で吹聴して回りたい。
ところで、牛丼に普段より多めにつゆをかけることを「つゆだく」というが、この言葉を最初に編み出した人は一体誰なのだろう。
四文字でシンプルで注文しやすい。それでいて音で聞いただけで何を意味しているのか瞬時に理解できる簡便さ。じっくり聞いても、艶やかできらびやかに光る黄金のタレが滴る様子が想起され、なんと良い言葉なんだろう、と思う。
「おつゆ多めで」
ではなく
「つゆだくで」
どんな感性をしている人であればこの発想にたどり着くのか。脱帽である。
しかし、近年のテクノロジーの進化は「つゆだく」に逆風を吹かせている。
最近松屋では券売機システムのため、店員に言わずともオーダーが通るシステムになっているのである。
つまり、つゆだくを注文するためには、券売機でチケットを買った上で、一度わざわざ店員のもとまで伝えに行かなければならないのだ。
私はいつかは「つゆだくで」と声に出して注文みたいと夢見るのであるが、そのハードルが邪魔して一度たりとも実現したことがない。死にもの狂いで牛丼をかきこむ戦士たちの前で、アウトローな選択を自らすることを宣言するのは、やはり恥が許さないのである。
もし地球最後の日に何をするかを問われたら。死ぬ前にどうしてもやっておきたいことを問われたら。
私は恥もプライドも全て捨てて、威勢よく堂々と、腹から押し出され世界中に響くような声で、こう叫ぶだろう。
「旨辛ネギたま牛めし、つゆだくで」
そんな妄想をしていたら、モニターに私の食券の番号が表示された。