『淵の王』を読んで

舞城王太郎著『淵の王』という小説を読んだ。

何を最初に読んだのかはっきり覚えてないけど、たぶん『好き好き大好き超愛してる』だったと思う。思わずジャケ買いというか、タイトルで買った本。舞城先生の饒舌な文体といい意味でめちゃくちゃな展開や設定が僕は好きだ。

淵の王は、そういう舞城節がもちろんある。
この小説の特徴は、やはり語り手。「誰?」という感じ。背後霊? 守護霊?とか推測しながら読める。そこもけっこうよかった。最後まではっきり答えは出ないけれど、ジョジョの1部~3部的な感じなのかなーというのが僕の考え。実際3つの連作短編集だ。

ホラーの要素が強かった。
得体の知れないものの恐怖もあったけど、人間の恐怖もあった。洗脳や、無意識。特に意識。

主人公たちは自己犠牲を自己犠牲とも思わずに当たり前のように何かを成すために動く。友達のためや自分のために。だから彼らはかっこよくって不器用で魅力的だった。

小説は抽象的なものを具体化するところがおもしろいところの1つ。でもこの小説は抽象的なものを抽象的に書いていると思った。何を書いているのか、といったら「恐怖」や「それに立ち向かう勇気」的なところに収まるだろう。

でも「恐怖」は恐怖という形を持っている。恐怖とは抽象的なものだけど、言葉になっているからある意味具体性がある。つまり、この小説は恐怖に似た感覚で、まだ言葉になっていない抽象性の強い言葉を表現したものなんじゃないかな。

それが小説のおもしろいところ、に戻る。

「ここで今だと思うよ」っていうセリフが好き。
いつやるの?今でしょ的な意味だけど、こっちの方が現実的だ。日常会話で使える今でしょだ。

恐怖や苦手なものにぶつかるとき僕は逃げがちだ。一旦引き返したりもするし。でも、恐怖を感じた瞬間が、「ここで今だと思うよ」なのだ。乗り越える瞬間はここで今なんだ。単純に、ポジティブに、僕はそう捉えることにした。

バラバラと書いてしまったけど、舞城先生だけじゃなくて、なんか本読んでくれる人が増えると嬉しいです。気持ちは本屋で出版社です。

おわり


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