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Je pense, donc je suis「英語のそこのところ」第139回
【前書き】
今回、投稿するエッセイは7年前の2017年7月20日に水戸市の「文化問屋みかど商会」のファクシミリ配信誌に掲載されたものです。時節にそぐわない内容はご容赦ください。
日本と違って海外では、音楽配信や電子書籍がすぐに一般化しましたが、これにはNative English Speakerたちの特有の考え方があるせいではないか? と思ったお話です。(著者)
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判らない。これはただの偶然なわけがない。
なにいってる?
オラクルさ。預言者が告げたんだ。俺の選択にかかってると。
どんな?
なにする気?
侵入する。おれは行く。
ネオ、彼は自分を犠牲にしてあなたを、それを無にしないで。
俺は彼が信じていたものとは違う。救世主じゃない。トリニティ。預言者も認めた。
いいえ、そうよ。
残念だが普通の男だよ。
それは違う。
英語でどう言うのでしょうか?
このテキストを使えば、きっちり身に付きます。お試しください。
【本文】
「まったく、どうしてもこう日本人ってセコいのかしら」
帰ってくるなりCatherineが胸を反らせて立った。徳田の正面だ。
「どったの?」
ディスプレイから目を上げて徳田がCatherineを見上げる。ちょっと目がつり上がっている。かなり怒っている。
「まぁ、座れよ」
ドウドウとでも言うように徳田は傍らの椅子を叩いた。
「あたしは馬じゃないわよ」
ぶつぶつ言いながらもCatherineが椅子に腰を下ろす。徳田のとなりでDidoがニヤニヤしていた。『じゃじゃ馬ならし』とでもつぶやいているに違いない。
「で、どうしたぁ?」
Catherineの今日の仕事は法人レッスンだ。渋谷のIT企業に英会話のレッスンをしに行ってもらっている。徳田は法人担当なので、Catherineにとっては上役にあたる。トラブル処理も徳田の仕事のうちだった。
「あたしも確認しなかったのがいけないんだけど、この前のレッスンで英文レターの作成を頼まれたの」
「ああ、あれ? なんだか忙しそうに作ってた?」
「うん」
Catherineがパソコンに向かって文書を作成していたのを徳田は思い出した。かなり時間をかけてやっていたはずだ。
「10種類ぐらいパターンを作ってあげて、今日送ってあげたの。レッスン前に」
「うん」
何も悪いことはしていない。むしろ、サーヴィスとしては素晴らしいものだ。レッスン以外に追加でお客様の要望に応えているのだから。
「いい事するじゃん、さすがCatherine」
徳田は思ったままを口にする。
「でしょ? 私も受講生の助けになって良かったと思ってたの」
徳田はうなずいた。どこにCatherineが怒る要素があるのかわからない。
「それでね。こちらの請求はどう処理すればいいかって、向こうの担当の斉木さんに言ったんだけど、払えないっていうのよ! 信じられる? レッスン以外のサーヴィスをしてあげたのに!」
「あちゃ~」
徳田は頭を抱えた。頭が痛い。
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「アメリカでは契約以外のサーヴィスをしてもらったときには、追加の料金を払うものよ。たとえそれが情報でもタダじゃないんだから」
そりゃそうだ。
徳田はそう思ったが、日本ではそれは通らない。日本人にとって情報はタダなのだ。Native Japanese speakerが形のあるものにしかお金を払おうとしないのは有名な話だ。
『さて、それをどう説明するか? それとも、本質的なところは避けて、料金が発生することを確認しなかった事務的な点を突くか? それが問題だ。To be or not to be.』
今日はシェイクスピアづいているなと思いながら、徳田は顔を上げた。
今回は法人の英会話のレッスンでのトラブルでしたが、この手のなんというか「できるでしょ、簡単にチャチャっとでいいからやってよ」的な依頼は、Native English speaker の講師たちはよく頼まれていました。英文メールを作ったから修正して送り返してくれとか、英語論文の草稿を作ったから英語のチェックをしてくれと言われて何十枚に及ぶドキュメントを送り付けられたりする(笑) まぁ、彼らとしてはプラスアルファの料金が発生すると思ってレッスン時間外でチェックしてあげるんですが、受講生が対価をくれるそぶりもないということが判ると、2度目はなくなります。2回目からは「じゃあ、レッスン中にチェックしよう」ということになる、私の知っている受講生で半年近く英会話のレッスンじゃなく、英文チェックをしていたって人がいましたねぇ。海外で学会の発表の時に英語で受け応えできるようにというのが英会話の目的だったんですが。なんだか、目的がずれてしまっていました(笑)
でも、こういう「情報」というか「形のないもの」に対価を払うということは、Native English speaker にとっては当たり前のことのようです。
私は英会話スクールで「語学学習カウンセラー」という職種だったんですが、職掌としては「受講生の英会話力を伸長させること」でして、具体的には2時間ほど学習方法のレクチャーと学習スケジュールを作成させていただくというのが主な業務でした。
初めは面食らいましたよ。
だって、突き詰めて言えば「私が話したこと」にお金を払っていただくわけですからね。しかも結構な額で、こんなもの売れるのかいなと思ったものです。でも、その英会話スクールにはすごい営業力のあるスタッフがいて、結構売ってきてくれる。ありがたいやら、お客さんに満足してもらわないといけないと緊張するやら、初めのころは胃が痛くなりました。でも、その辺りは「私が話したこと」にお金を払っていただいているんじゃなくて、結果にお金を払っていただいているんだと割り切って考えるようになってだんだん楽になりましたが。ただ、それはそれで、「結果が出ない」と胃は痛くなる(笑)
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一方でNative English speaker はそんなことは思わない。
語学学習カウンセリングにお金を払うのは、当然のことで受講生は自分の知らない情報を手に入れられて、しかもそのやり方を自分用にカスタマイズしてもらえるんだから、○万円なんて安い安いなんて言う。結果がどうのこうの考えないで、堂々としてればいいんだよ、とDidoやCatherineに言われていました。
でも、どうしてこういう違いが生まれるかは不思議でした。
カウンセリングや英文のチェックは「形がないもの」の代表的なものでしたが、そのあとの音楽配信や電子書籍の海外での浸透を見ていると、ああ、やっぱりと思う。アメリカでの音楽配信は売り上げ全体の半分以上になっているらしいですし(2017年当時)、電子書籍も売り上げ全体のかなりの部分を占めていて、もっとデヴァイスが進化するとその比率は上がっていくということのようです。
「情報」や「形のないもの」に対価を払うというハードルが低いんだなぁっと思ってしまいます。
こういう違いが生まれているのかと不思議にずっと思っていたんですが、この間、恩師の中村雄二郎教授の本を読み返していて、ふと閃いた。
読んでいた箇所は、
「Je pense, donc je suis」
の部分でして。
これはデカルトの有名な命題で「我おもう、ゆえに我あり」という意味で詳しくお話しすると、
自分の周りの存在があるかどうかを疑うことはできるから、それが本当に存在しているかどうかは判らない(幻覚かもしれない、誤謬かもしれない)けれど、
↓
自分の周りに存在しているかどうかを疑っている自分が存在することは疑うことができない、
↓
ゆえに、自分は存在することは証明される。
ということを伝えているんです。
もちろん、そのことは私も教授の弟子なんで知ってたんですが、さすがなのは、そこからの教授の転がし方。
※ 教授の転がし方を知りたい方は、木戸賃払ってね。
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