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Oasis再結成 / 中高の記憶

本日2024/08/27 、Oasisが再結成されることが公式に発表された。一生の中で多分500回ぐらいされる質問「好きなアーティストは誰ですか」に、自分は「Oasisです」とずっと答えてきたし、多分これからもずっと答え続けるだろう。だから正直に言って再結成はものすごく嬉しい。テンションが上がっている。会社の先輩、上司に「Oasisが再結成するんですよ!」と押し付けがましく報告してしまうぐらいに。

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2024/08/26、Oasisの公式SNSで以下の投稿がされた。

これが再結成を匂わしていることは明らかであり、実際にそのような憶測がたくさんSNS上で投稿された。今週中には再結成が発表されるという情報もあった。

再結成はあり得ないという前提で向き合っていたバンドであったため、期待をする一方で信じられない、信じたくたいという気持ちも生じた。
バンドとしての魅力の一つを解散してしまった儚さに見出していたのかもしれない。解散したという事実こそがバンドを伝説たらしめていると感じていたのかもしれない。
それくらい、自分がOasisを好きになった理由を疑ってしまうぐらいのインパクトがあった。

しかし冷静に思い出し、考えよう。

確かに言えることは、Oasisは自分の青春のすぐそばに居てくれた大好きなバンドだということだ。

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自分が初めてOasisを知ったのは中学生の卒業式の日だった。教室に集まり、体育館へ移動して一連の儀式を経て教室に戻る。クラス担任の感動の言葉を仰ぎ、待ちに待った寄せ書きの時間。卒業アルバムの最後の方の空白のページにみんながメッセージを書いてくれる。経緯は覚えていないが、「〇〇はいいぞ」という感じで書き主がその当時好きなものを書くみたいなノリが発生し、自分のページが埋められていった。そこに同じクラスだった井藤が「Oasisいいぞ」と書いた。

確かに河合は折り紙がすごいやつだった

小学生や中学生の時、年の離れた兄弟が上にいて、皆が知らないような「カルチャー」を持ち込んでくれる同級生が(必ず)いたと思う。井藤はまさにそんなような存在で、カラオケに行くと洋楽を歌ってしまうような、海外の音楽にすごく詳しいやつだった。

「Oasisいいぞ」と書いたのは、「お前もその定型文で書くんかい!」というツッコミを想定したノリを読んだボケで、案の定自分はそのツッコミをお見舞いしたのだが、そこで初めて目の当たりにした「Oasis」という存在が強烈に印象に残った。

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中学に進級するタイミングで入学祝いに祖母からiPod nanoをプレゼントされたこともあり、音楽を聴くことは好きだった。

今でもたまに持ち歩いている(お守り👵)。
「サブスクで音楽を聴くのが当たり前になった時代にあえて逆行してる俺かっこいい」

家にはCDがそこそこ沢山あったのでその曲を取り込み、学校に持って行って休み時間に聴いたりしていた。

給食の時間にいつも同じような曲が流れているくらいに○ャニーズやAKBなどのJ-POPが人気の当時にして、洋楽は比較的聴いている方だった。というのも、幼少期に家族でアメリカに2年ほど住んでいた期間があり、その時に親が購入したCDが家に保管されていたためだ。幼すぎてその期間の記憶はあまりなく、断片的なシーンを辛うじて思い出せるぐらいのレベルなのだが、車で移動している時に流れていたBritney Spearsの曲((You Drive Me)Crazy)や、KIDZ BOPというシリーズのCDの曲は覚えていて、今聴いても、情景を鮮明に思い出すことこそできずとも「懐かしさ」は感じることができる。父親がQueenやKissなどのバンドミュージックが好きで家にCDがあり、洋楽、とりわけ洋ロックにも触れる機会が多かったというのも今思えばOasisに興味を持つようになったことと関係しているだろう。

またこれは余談だが、海外から移住してくる人が多かった地域だったため、自分が通っていた学校には中国人やパキスタン人やインド人の同級生がいた。その中で、近所に引っ越してきたインド人の「ワシフ」と仲が良かったのだが、自分がそういうちょっと昔の洋楽を聴いていることに笑いながら驚いていたのを覚えている。例えばSmash Mouthの”All Star”だとか、Backstreet Boys の“I want it that way”である。


新しいCDを買いに行くのは家族と一緒に買い物をしている時で、あまり知識もなく特に希望して選択することもなかったため、両親や姉、兄が選んだものをiPod nanoに取り込んで聴いてみるという感じだった。

そんなような中学での音楽の聴取体験を経て、卒業のタイミングで「Oasis」と出会ったのだった。

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高校に入学する前の春休み期間。なにか大人っぽいことをしたいと思った。1人っきりで行ったことのない場所に行きたい。そこで選んだのが「CDショップ」。そして「自分で買いたいと思ったCDを買う」というミッションを決行することにした。買うのはもちろん、OasisのCDの他なかった。

自転車を漕ぎ、駅前のショッピングモールに到着した。入り口の自動ドアを抜けてすぐ横の案内板を見て場所を調べ、初めて1人でCDショップに入った。複数人でいったことがある場所でも、初めて1人っきりで行くと緊張するのは今でも変わらない。洋楽のエリアに行きアルファベットの“O“を探索した。収録曲が多そうなCDを探し、手に取ったのは “Time Flies... 1994-2009“。Oasisのラストプロダクツで、歴代シングル曲全てを網羅したこれ以上ないうってつけのベストアルバム。なるべく大人のふりをしながらレジでの会計を済ませ、自転車に乗り、自転車を停め、学習机に座る。一旦 “Time Flies”の意味を電子辞書で調べてみると「光陰矢のごとし」と出てきた。タイトルの“...”がその儚げなニュアンスを際立たせていることが理解できた。

それからの高校生活はずっとOasisの曲と共にあり、何度も救われることとなる。

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“Supersonic“のラスサビ終わりのギターレフが青春を思い出させる。

高校時代の楽しかったたくさんの思い出が蘇る。
授業終わり、部室で友人とだべっている時”Supersonic”を聴かせて「俺この曲聴いたら『青春してる』って感じるんだよね」と青春真っ只中にいる立場でそんなことを言い、怪訝な顔をされた。
高校時代の辛かったたくさんの思い出が蘇る。
定期考査、そして大学受験でも“Supersonic”は緊張を和らげる精神安定剤だった。

そんな高校生活の中で、人生で最も悲しい経験をした。

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高校生活の忙しくも充実した日々を過ごしている中、祖母が癌になった。容体が急に悪くなり1人で生活することもままならなくなった。僕が幼稚園に入学するまでに祖父は他界していたため、祖母は10年以上1人で暮らしていた。入院し抗がん剤治療を受けたが回復することはなく、祖母の要望でホスピスに移動することが決まった。完治を目指した治療を辞め、身体的・精神的苦痛を和らげ最期を穏やかに過ごすことを祖母は選んだ。

長期休暇のタイミングで僕たち家族が祖母の家を訪れたり、祖母が1人で僕たち家族の家に来てくれたり、小学校・中学校までは少なくとも年に一回は会う機会があったのが、高校に進学し忙しくなったこと、祖母が1人で長期移動をすることが難しくなったこともあり、一年以上会うことができていなかった期間での出来事だった。

その期間でも父は祖母の面倒を見るために土日の休みを使って頻繁に会いにいっていた。父は勉強や部活に忙しい僕たち3人に気を遣って無理に連れて行こうとはしなかったが、祖母へ励ましのメールを送って欲しいと言い、僕たちはそうしていた。

ホスピスに移動するという連絡を受けてすぐの土日に、僕は両親と一緒に祖母に会いにいった。姉と兄はどうしても予定が合わなかったため行くことができなかった。

施設に到着し、久しぶりに直接祖母に会った。祖母の変わり果てた姿に言葉を失った。痩せこけ、苦しそうに呼吸をして布団に横になっていた。僕は布団のすぐそばに座り、父は「お見舞いに来てくれたよ」と祖母に声をかけたが、こちらに首を傾け目線を送ることさえも難しいほど衰弱していた。施設のスタッフの方が、意識が朦朧としていて、認知機能が低下しているということを説明してくれた。

少し時間が経って状況を理解したのか、祖母はゆっくりとこちらを向き、笑顔になった。そして「ありがとう」と声を振り絞ってくれた。こうなってしまうまで祖母に会うことができなかった自分を責めた。会うことができなかったことなんてないに違いなかった。当時の僕はあまりにも未熟すぎて人の生死に向き合うことができなかった。そんな愚かな自分を責めるほかなかった。


昔、祖母が僕たち家族の家に来た時、近くのフラワーパークにみんなで行ったことがある。そこで撮影した集合写真が僕は大好きだった。
両親と僕で「うちにたくさん来てくれてありがとうね」と伝えた。その中で「フラワーパークに行ったの覚えてる?」と質問すると祖母は「覚えてない」と答えた。その瞬間、僕は我慢していた涙を抑えることができなくなった。

今思えばあの時涙を我慢していたのは、あの時の状況の中でさえ高校生の思春期の僕は家族の前で涙を流すのを恥ずかしいと思っていたからだろう。そんなくだらない理由では抑えきれないほどの「悲しみ」。僕はこの時の涙を一生忘れることはない。


両親と共に帰り、週が明けた。
喪失感と共に学校生活を過ごした。

それからどれくらいの期間が経ったかは明確には覚えていない。
施設から祖母が危篤状態になったという連絡が来た。翌日の学校の行事を忌引きで休み、祖母のところに向かった。学校の行事なんてどうでもよかった。一刻も早く祖母に会いたいと願った。飛行機が離陸した。

そして、母親から祖母が他界したことを伝えられた。
僕は小さく頷くことしかできなかった。
そしてそのあとは窓外の景色をただずっと眺めていた。


葬儀が終わり、新幹線で帰る。
その時もただ窓の外を眺めていた。

正直音楽を聴く気にはなれなかった。今の感情とだけ向き合う時間が必要だった。だけど、落ち込んだ時にいつも聴いているOasisの”Stop Crying Your Heart Out”は聴いてみようと思えた。
歌詞の意味を完全に理解しながら聴いている訳ではなかったが、優しい曲調に少なからず励まされている気分にはなれた。
その曲を流すiPod nanoは祖母がプレゼントしてくれたものだ。


それから大学に進学し、色々あって就職をする。
たくさんの記憶がOasisの曲と紐づいている。

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仕事でSNSを運用していることもあり、日頃から頻繁にSNSをチェックするようにしている。だから、今回のOasis再結成についても、公式の発表がされた時にはすぐにキャッチアップをしようと見張っていた。
そんなこんなで仕事をしていると、母親から画像と共に「Good News!」というメッセージが届いた。

“Good News!”

昔から家族にはOasisがアーティストの中で一番好きだということを伝えていたし、母親に関しては僕が大学生になって運転免許を持つまで学校の送迎などをしてくれた時に車の中で頻繁にOasisをかけて聴かせていたりしたのでよく知ってくれている。だから今回のOasisの再結成についても、真っ先に僕に伝えようとしてくれていたのだろう。

僕は母親のこのメッセージでOasisが正式に再結成することを知った。

でも、なんか悔しいから知っていたかのように振る舞ってしまったのはご愛嬌ということで。

ご愛嬌

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ここまで、Oasis再結成の発表を受けたことを起点に、Oasisに関する僕の中高の記憶を書いてみた。

冒頭の「好きなアーティストは誰ですか」という質問について僕は『「Oasisです」とずっと答えてきたし、多分これからもずっと答え続けるだろう。』と書いた。


「一生聴き続ける」と思えるアーティストに出会えて僕は幸せだ。
曲を聴くごとに記憶を思い出し、そしてまたその時の記憶を蓄積していく。


今この瞬間を懐かしいと思う日がやってくる。
その時も僕はOasisを聴いている。

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