大学受験は「人生の集大成」か
現代文講師の今井愛子師(駿台)がこのようなツイートをして、ちょっとした「炎上」騒ぎとなった。
中学受験ですら難関校は3年以上塾に通って準備するのに、それまでの人生の集大成でもある大学受験を 高3の1年間だけで戦おうとするなら、相当無謀じゃない?
— 今井 愛子 / 現代文 (@aiko_kokugo) February 11, 2025
このツイート自体は受験生は1年間だけでなくもっと前から準備した方がいいという程度の話だとは思うが、「人生の集大成」という言葉に引っかかった人が多いようだ。
「たかが受験ごときが人生の集大成なわけがない」という人は、思いのほか多いのかもしれない。
堀江某などは「笑。俺半年くらい過去問中心にやったくらいで東大現役で受かったけど」となんかよくわからないマウントをとる始末。
しかし大学入試問題というのは、受験生がそこまでの人生で「何を勉強してきたのか」、「何を読んできたのか」、「何を考えてきたのか」が、さまざまな形で問われるものだと思う。
森島久雄先生の『大学受験 詳解現代文』(旺文社)という参考書には、「極論すれば、諸君の現代文読解力の差は、その読書経験の量の差といっていいだろう」と書かれている。
そして「日常の生活の中で、あらゆる事象に対して旺盛な好奇心を持ち、主体的に思考を巡らし、問題点を喚起し、常に精神を生き生きと躍動させなければいけない」として、常に「問題意識を持つ」ことが大事なのだという。
つまり、現代文という科目はそれまでの読書経験がモロに反映される。そして、政治・社会・文化についてどれだけ関心を持っているかも問われるのである。
英語だってそれは同じで、英語長文のジャンルは多岐にわたるので、やはり英語以外の本や新聞などをどれぐらい読んできたかは大事になってくる。
小論文や地歴公民も読書経験が多い方が有利なのは間違いない。理系科目だって幼い頃から科学に対してどれだけ関心を持ってきたかが、大学入試でも大きく影響するだろう。
確かに「たかが大学受験」であって、そんなものに人生をかけることはないという考え方もあるだろう。でも、「たかが大学受験」に人生をかけたっていい。入試問題は受験生がそれまでに培ってきた知力の全てを振り絞って答えてくれることを期待しているのだから。
そういえば、現代文講師の中には「現代文に読書は必要ない」という者もいるけれど、そういう講師の書いた参考書が例外なくつまらないのはなぜだろう?
そういう参考書には人生がかかってないからではないか。
森島久雄先生の参考書には受験技術を超えた人生の重みを感じる。そんな参考書こそが人の心を動かすのだと思う。
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