『日日是葬送』はじめに
12月7日から頒布される日記zine『日日是葬送』のはじめに、を公開します。よろしくお願いします。
はじめに
この本をお手に取っていただきありがとうございます。「日記本を作る」という試みは、昨今の日記・エッセイブームはなぜおこっているのか、という問いかけにどう答えるか、あるいはそもそも、知らない人の日常を読む/読ませるとはどういうことか、といった諸問題への応答を探す旅でした。日常は人によって千差万別で、それぞれの日々はそれぞれ固有のものです。しかし、それでもなお共通していることは何か、それを探しながら作った本になりました。見つけた答えの一つが、「心臓が止まらなければ、明日は否応なしにやってくる」ということです。その「明日」は人それぞれの日常です。私たちは、心臓の鼓動が止まるまでは、日々を繰り返さなくてはいけません。それはつまり、昨日を今日へ、今日を明日へと送り出すことに他なりません。それはまるで、一日一日のお葬式と誕生日を繰り返すようなものです。大袈裟に言えば私たち人間は、もっと広く言えばこの地球上の万物はみんな、そうして日々を葬送し、暮らしてきました。何もなければ明日がやってくる、というのはある意味でとても平和なことです。それがたとえ鬱々とした日々であっても。
この本に集まった書き手たちは、イラストレーター、漫画家、研究者、精神科医、ライター、会社員、ニートと、様々な立場の人々です。立場が違うことを乗り越え、ここに一冊の本が出せるというのも、一つの平和であると思います。今、そうした平和があちこちで崩壊しています。戦争、偏見、差別、貧困。私たちの身近なところで、平和な日常は音を立てて消えています。そうした脅威には、微力ながら徹底的にあらがいたいと思います。なぜならばそれは、できることならばおだやかにくらしたいとおもっているわたしたちが抱える「鬱」の根源となり得るからです。「鬱」のかたちは様々ですが、それらは日常に密着しており、なかなか離れてくれません。ではどうすれば、「鬱」を抱えている人々が生きやすくなるでしょうか。戦争をなくすような大それたことでなくとも、私たちにできることは何かないでしょうか。例えばそう、他者の生活を、日常を想像して、理解はできなくとも、考え方や感じ方、暮らし方の違いを知ることがその第一歩ではないでしょうか。あなたと私は違うのだけれども、一緒に生きていく、ということこそが、日常を豊かにする第一歩だと信じます。読者であるあなたにとっては知らない人たちの日記を集めた本を手に取っていただいたことに一縷の、しかしとても力強い希望を感じながら、ページを読み進めていただけることを歓迎します。それではどうぞ!