これからのことと、恋と革命とあれこれと。
お騒がせしております。なんとか元気を取り戻しました。家にも戻りました。
今回何があったのかと言えば、数週間ほど前から、耐え難い否定と罵倒と嘲笑をずっとこちらに向けてくる方が居られ、毎日毎日それに付き合うのが非常に苦しく、そうしたことには慣れているつもりなので余裕だと思っていたものの、フラストレーションがかなり溜まっていたことが原因で突如失踪のような形をとってしまいました。一旦全部から離れたかったのです。
以前から何度も何度も僕に連絡してきては嘲笑と罵倒を繰り返されてはいましたが、「自分は汚言症なんです」と言われており、また、そのようなことを吐けるのが大田しかいないから助かっている、と続けられたので、あぁこれはもうしょうがない、耐えるしかないなと思うに至っていました。今回はあちらの体調と心の調子が悪かったのか、そうした行動が長期間にわたり、また、居どころを特定されているような言葉もあったので、怖さもありなかなか言い出せずにいました。
僕はTwitter(X)のDMは開放していますし、辛くなった時に書き逃げしてもらっても一向に構いませんしできるだけ返信します。それはこのクソみたいな世界で、どこかに吐き出せる場所があると少しだけ余白が生まれるかな?と思っているからで、今後も変える気はありませんし、書き込んでくれた方たちと一緒に地獄までいこうな、という気でいます。会いたいと言われれば、日程と交通費の都合さえつけばどこへだって行きます。当日呼び出されても空いていれば行きます。それも変わりません。僕の身体はフリーでありたいなと思います。だから、今回のことに関しても、当該の方に怒りは全くありませんし(疲れましたが)謝罪も受けました。和解済み、とはまだ心情的に言えませんが、受け入れようとしています。そのうえで僕が怒っているのは、そんな状況に人を追い込む社会のくだらなさに対してです。以下、この少しの間、無になってみて、これからについて思ったことなどを書きます。
かつて親から受けた虐待は、精神的肉体的を問わず「そういう人だからしょうがない」と受け入れてきました。その結果、見事なアダルトチルドレンが出来上がりました。また、いまだかつて一度も母であった彼女から本質的な謝罪を受けたことはありません。
今回のことは、虐待を受けていた頃をずっと思い出していました。正直辛かったですが、まあ良いかと気持ちでは思っていました。結果的に僕は思っていたよりも数倍弱く根性なしだったために、一度全てをシャットアウトするという行動に及んでしまいましたが、残念ながら死ぬこともなく、こうして生きて戻ってきました。
今回、短時間ではありましたが、ネットから離れて歩き回るうちに、決めたことがいくつかあります。
まず一つは、人生をざっくり諦めるということです。これまで、なんだかんだと言いながら人生に期待していたんだと思います。いつか上向くはずだと、いつか笑えるんだと思っていたのです。しかしもう28、今年29になるわけで、もういい加減期待するのをやめることにしました。僕の人生は負けゲームでした。負けゲームでありながら、周りの善意のみによって生きながらえてしまい本当にすみません。
二つめが、それでも好きなことはある、ということです。最近図書室や図書館に篭りきりになることも増え、ずっと本ばかり読んでいました。本は大好きです。一時期離れていたのを取り戻すかのように、今は楽しく本が読めています。それから、映画も舞台も、音楽もやっぱり好きです。本や表現に関わる仕事ができたら良いなと思ってもう20年くらいになりますが、やっぱりそうなりたいなと思います。ゆるくやれるバイトからまた始めてみようかな、とか思ったりしてますし、そのほか何かしら僕でお役に立てることがあればどんどんお待ちしています。
三つめに、こんな社会をぶっ倒したい、です。いきなりですが、この世は、この社会は紛れもなくクソです。低レベルなカスです。生きたい人が満足に生きられず、死にたい人が安らかに死ねない社会のどこが良い社会なのかさっぱりわかりません。
残念ながら、特に僕はこの国しか知らないのでこの国についてですが、高額療養費制度改悪とか、サイレント増税とか、教育を受けたい人が金銭によってそれを阻まれるとか、本来なら悠々自適に老後を楽しんでいても良い人がトラックを運転中に道路に穴開いて落ちて助けられないとか、25歳以下の希少例の白血病に使われる薬一つを槍玉にあげて医療費節減を訴えるとか。人の心が無いのかとさえも言いたくない貧相で下劣な社会はもううんざりです。
むろん、たとえば僕のように社会制度の恩恵によって生きながらえている人もいます。それは大事なことです。しかし、そもそもこの社会というシステムを生み出したのは過去生きた人間の都合であり、今を生きている人がそれを良いものとして再生産する義理はありません。この社会を維持したいというならせめて、無理やり生み落とされたと考えている人のための安価な退場口を整備すべきただと思います。しかしまぁ、無理でしょう。
なぜならおそらく、それを整備してしまうとこの世のアンポンタンたちは「出口があるんだから出て行け」と自分にとって都合の悪い生きたい人や生きようと闘っている人を排除する口実に使うだろうということが目に見えているからです。人間なんてそんなもんです。当然僕も含めてくだらない。
そこで!やっぱそもそもそんな社会、変えたいよなぁと思うわけです。生きたい人が満足する生を得られて、死にたい人には安全にその自由が保障される社会を構築するためには、この機能不全社会を作ってぬくぬくと屍になろうとしている人々に中指を突き立てるところから始めるべきではないか、と思うのです。まぁ、しかしながら良い人もいるわけで、なかなか難しいんだなぁというのが正直なところではありますが、せめて心の中でくらい「この社会をぶっ倒す」という心持ちでいたいですね。
小心者なので、後ろで旗振って応援するくらいしかできないかもしれないけれどまぁ、あれです。生きるのが辛い人、死ぬのが怖いけど行きたくない人、生きたいけど満足に生きられていない人、みんなで中指を突き立てながら呪いの歌でも一緒に歌えれば良いなと思っています。ポテチでも食べながら。
そして最後に、もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対、です。社会のクソさに呆れて言葉も出なくなってしまった時、もっとも良い自身の存在理由は恋愛であると思います。同性愛、異性愛、全性愛だけにとどまらず、この世界にはたくさんの恋しかた、愛しかた、恋されかた、愛されかたがあります。これはクソな人類のなかなかすごいところだと思っていて、みんな何かに恋をしたり、愛したりすることが出来るというのは極めて大きな豊かさである気がします。
もちろん、対人間だけではなく、大切な物や大切な場所に対する感情も、あるいは恋や愛なのだと思います。それを発露することによって誰かを傷つけたり、貶めたりするような恋や愛だってもちろんあります、そこはもう、モラルの問題でもあるでしょう。しかしとりあえず、あなたの感情はあなただけのもの、わたしの感情もわたしだけのもの、という原点に立ち返れば、我々はあらゆる物事に恋することができる、というのはほとんど唯一と言っても良いほどのこの世の美点だと僕は信じます。
恋と革命を心に抱きながら、そう遠くない未来に訪れる死が自分の意思から遠くないところにあることを願って少しずつ生きて行きます。
今回のことでご迷惑とご心配をおかけした皆様に心から謝罪します。申し訳ありません。