フランス社会とラップ
「フランスの人気歌手」と聞いて、皆さんは誰を思い浮かべますか?フランスの音楽は日本ではあまり馴染みがないかもしれませんが、SpotifyやApple Musicなどの音楽配信アプリでは、Jul, Ninho, Damso, Orelsan, Napsといったフランス出身のラップアーティストがTOP50チャートを独占しています。フレンチラップの影響力は国内に留まらず、多くのフランス語圏の国々でも楽しまれています。ではなぜ、フランスではラップが音楽チャートを席巻しているのでしょうか?日本に比べてラップがここまで社会に浸透しているのには、何か理由があるのでしょうか?
ヒップホップの起源とフランス社会への浸透
ヒップホップの起源は、ニューヨークのブロンクスと言われています。1970年代後半のニューヨークでは差別と貧困、そしてギャングで荒れていました。街の区画ごとにギャングが形成され、その地域ごとに開かれるブロックパーティーで、新しいタイプのサウンドトラックが流行しました。ヒップホップはこのように政治的抑圧とギャングのコミュニティから生まれ、やがて現代音楽に旋風を巻き起こすことになります。
1980年までは、ヒップホップは主にアメリカだけで親しまれていたカルチャーでした。しかし、徐々に人気が高まり、他の国にも広がり始め、ラップを最初に取り入れた国のひとつがフランスでした。特に社会的不平等をダイレクトに被ることが多いパリ郊外の人々にラップが響き、人気に火が付きました。
これを皮切りにヒップホップをテーマにした新しいラジオ番組が数多くでき、1980年代後半になるとフランス語で書かれた曲もリリースされました。因みにフランス政府は、フランスの全ラジオ局で、少なくとも40%はネイティブのフランス語の音楽を流すことを義務づけています。これはラジオで曲が使われることでアーティストにお金が入る仕組みになっているため、フランス出身のアーティストを支援しフランスの音楽産業を守るために行われています。このようにフランスのヒップホップは国によっても支えられてきたのです。
アメリカのラップシーンと違うのは、ヒップホップが浸透し始めた当初から多様な人種やコミュニティに属する人たちに音楽が親しまれていた点です。というのもフランスは郊外人口が多く、フランスの植民地時代にある歴史的背景からフランス語圏のアフリカ諸国から多くの移民やマイノリティが郊外に避難してきました。そのためヒップホップの温床である大都市郊外には様々な国から来た移民が多く居住しており、加えて若者の占める割合が高くなっています。これらのバックグラウンドによって郊外が流行の起源となったラップは多様な人に親しまれる音楽になったのです。
Mc SolaarやSuprême NTM、Ministère AMERなどのフランスラップの第一世代と呼ばれるアーティスト達は日常生活中の社会的不均衡や差別の顕在化の社会問題と戦うためのツールとしてラップを用いることで、リスナーの声を代弁し自分たちのコミュニティの外側に向けて発信する先導者のような役割を担ったのでした。
このような背景によりレイシズムといった差別を公然と告発することがラップの歌詞を書く上で大きな柱のひとつとなり、彼らの大きな成功を支えたのでした。そして1990年代半ばには、ラップミュージックがフランスで最も人気のある音楽のひとつに上り詰め、現在ではアメリカに次ぐヒップホップ大国になりました。
例えば、AssassinのEsclave de votre Société (社会の奴隷)という曲では、『社会の奴隷にはなりたくない。国は理想だけを謳うギャングで、その手ごまにはならない』というようなメッセージが歌われています。
フレンチラップに込められたメッセージ
前述のように、フレンチラップには差別や貧困などを批判、告発する歌詞が多くみられます。この中心にいるのが「移民」の存在であるということは言うまでもありません。フランスではしばしば「郊外」の問題に目を向けさせる事件が起こっており、それらが原因でマイノリティや移民に対する偏見は色濃くフランス社会に蔓延しています。例えば、フランス国籍を有していながら、移民2世・3世というだけで就職差別を受けるなどのこともしばしば…。
このような複雑な社会状況は、必然的にフランスのヒップホップに大きな影響を与え、当時アメリカに追従すれば安泰という風潮があった中、「ヒップホップの命題」に独自の考えで向き合うフレンチラップの特徴を形作ったと考えられます。そのためフレンチラップの低迷期でもあった2000年代は、過激なだけのギャングスタラップやエレクトロラップなどの商業的な曲で「メッセージ性」に乏しかったことから、フランス人には響かなかったのです。
フランスの若者にとって、ラップとは
最後の女子学生が紹介していたノルマンディー出身のOrelsanは、2012年にVictoires de la Musiqueというフランス最大歌手賞では「今年のラップ・アルバム」賞および「人気化したアーティストやバンド」賞に受賞した、今ではフランスに誰もが知るラッパーです。彼の父親は学校の校長、母親は教師という家庭で育ちました。前述のように郊外の貧困にあえいだというバックグラウンドがあるわけではありませんが、独自のメッセージ性とその詩的な歌詞が多くの若者を引き付けているのです。このように最近では様々なバックグラウンドを抱えたラッパーが目立っており、ラッパー界においても多様化が進んでいると感じます。
Orelsanのこちらの曲はYoutubeで2千万回以上の再生数を誇る。曲名は日本語で「ガソリンの香り」
いかがでしたでしょうか?日本もまた80年代にラップが入ってきた国の一つでしたが、フランスとは真逆に当初、東京のクールでリッチな若者が好むスノッブなカルチャーとして受け止められました。郊外から都市というフローを経験したフランチラップのバックグラウンドには上記のような苦悩、葛藤、格差、貧困といった負のテーマが原動力としてありました。
フランスと聞くとパリやモンサンミッシェルといった世界遺産、そしてフランス料理やワインなどのきらびやかなイメージが浮かんできがちですが、このようなコアな若者たちのトレンドもフランスを理解する上では重要なのではないでしょうか?
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