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自分で自分を慰めてあげられるからしんどい。

悩んだり落ち込んだりしても、うまく人に助けを求められない。
それって、実は冷静に自分を客観視できるからこそひとりで抱え込んでしまうのではないか、なんて思うようになった。
今日はその考えについて。


私は人に頼ったり助けを求めたりするのが苦手だ。

人に"相談"するのはなんて難しいことなんだと思う。

両親や親友などの信頼している相手を前にしても、いざ話しかけるタイミングになるとなぜか言葉が出なくなる。
相談しようと思って休日に知人と会っても、結局ちゃんと伝えられないままその日はお別れしてしまう。

自分の心の中にある感情を正確に言語化することができないから?
何から話し始めればそれを伝えられるのかがわからないから?
話し始めで悩んでいるうちに、相談するのが面倒くさくなるから?

自分がいつの間にか誰かに相談することを躊躇するようになってきたことに気づいた私は、"相談"について考えた。


そもそも、だ。
人が誰かに相談をするとき、相談者の目的及び相手の対応は大きく次の2種類に分けられると私は思っている。
解決策やアドバイス」と「共感や慰め」だ。

たとえば、粗末な例で申し訳ないが「学校の試験での成績が、常に上位だった以前よりも大きく下がってしまった」という場合を想定して考えてみる。

先に述べた解決策・アドバイス的視点でこのアクシデントを捉えると、「結果はどうであれ自分の弱点を分析して対策すべし」「普段の自由時間を減らして学習に充てる時間を増やす」などのアイデアが生まれる。

しかし、こんなことは人に相談しなくたって過去の経験や知識を元に自ら結論づけられることも多い。
(他者から助言を乞うことで新たな知恵を得られることも多いことも否定しないが)

そうなってくると、相談する側はそもそもアドバイスを求めていない
欲しいのは自分が被った感情的負荷の緩和なのだ。
だから、共感を伴わない助言は、時に棘となって心を傷つける。
「言われなくてもわかってるのに」「あなたに私の何がわかる」
(相談しておきながら傲慢かもしれないが、それだけ悩んでいるからこそ相談したいのだ)

そういう経験を繰り返すうちに、相談するのが嫌になる。
「相談=助言を乞うこと」と心の中で定義していればなお、解決策を知っている自分が相談する意味を感じられなくなる。

つまり、「自分がどうするべきか、何をするべきか」が分かるからこそ、誰かに相談する必要がない、いや、それどころか誰かに相談する権利がないとさえ無意識的に思い込み、人に相談することができなくなるのだ。


……と、ここまでならまだ良い。
"相談"には「解決策を乞う」以外に「共感してもらう・慰めてもらう」という機能がある。

確かに、こちらから何かを相談したとき、決まってアクションに視点を当てた方法論的な助言を考えてくれる人もいる。
しかし一方で、次にとるべきアクションは置いておいて、ただ相談した側の感情に寄り添い元気を出してくれる人もいる。
解決策を自分で考えられるなら、それでもひとりで抱え込むのがつらいなら、相談すべき相手は後者だ。

自分の感情を受け止め、次にまた自分の足で歩き出す元気をそっと呼び起こしてくれるような人を見つけ、その人に相談すればいい。

問題は、感情の面でも自分ひとりで自分を慰めることができてしまう場合だ。


先程挙げた成績低下の例に立ち返ってみる。

このとき、「今回は運が悪かった」「今のうちに失敗経験ができてよかった」といった自分を立ち直らせるための考え方ができてしまうことがある。
そして心の立ち直らせ方のアイデアが浮かぶというフェーズを更に越え、本格的に自分に優しくしてあげることができるようになる。

ならばどうだろう。
何を相談相手に求めるのだろうか。

「自分が次に何をすれば良いか?」そんなものは自分でわかる。
「どうやって心を回復させるか?」それもわかる。
今の状態から自分がどんなマインドを持ち、次にどんな行動をとっていくのか、そんなプランを自分で組み立てられる。

「じゃあもう相談することないじゃん」ってなって相談をやめる。
そう、それでいいのだ。短期的には。

しかし、困難に直面するたび、自己回復を繰り返していると、なぜだろう。
なんだか心が満たされていない、漠然とした寂しさがやってくる。

それで、いつも自分の感情に寄り添って話を聞いてくれる人に話そうとするのだけど、いざ顔を見ると「何を相談するんだっけ」「何を求めているんだっけ」「何に困っているんだっけ」「相談するようなことじゃないのでは?」ってところに思考が返ってしまって、何も話せなくなるんだな。
それでまた、ひとりになったときに寂しい思いをするわけだ。


私が「いざ相談する」というタイミングで言葉が出なくなるのは、自分の気持ちを伝えようとしたとき、それをどう伝えよう、何から話そうと考えたとき、その思考の中で自分なりの答えを出せてしまうから。
そして何とか稚拙な言葉で相談しても、相手からの返答が自分なりの答えと違えば、「そういうことを言ってほしかったんじゃない」という気持ちになり、「上手く伝えられなかったな」なんて思う。

そうしてだんだん相談をしなくなっていく。
困っても自分ひとりで気持ちを押し殺す癖がつく。

そんなことから憂鬱や孤独がやってくる。
ちょっとしたことで気に病んだり落ち込んだりするくせに、一丁前に自分への助言だけはできてしまうから。


やはり上手く言語化できないな。こまった。

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