"悪者"を作らない想像力
人の善悪なんて所詮は誰かの評価でしかないと思う。
同じ人でも、誰かにとっては善人で、他の誰かにとっては悪人だったりする。
誰かを"善人"と評価して敬うか信頼するか、あるいは"悪人"と評価して忌み嫌うか蔑むことを愉しむか。
そんなの、ぜんぶ自分次第なんだから。
誰にだって、何年も何十年も、ずっと長い間会っていない、連絡すら取り合っていない知り合いって、いると思う。
現在大学生の私にとっては、小学校や中学校の同級生たちがそれにあたる。
いろんなことがあった。
いろんな人がいた。
楽しい思いも嫌な思いも、みんながたくさん持ってきた。
好きな人も苦手な人もいて、同級生たちに抱く印象は様々だった。
それも当然、私たちはたまたま同じ年に生まれ、たまたま同じ学校に通い、たまたま同じ教室で飼われたただの他人。
そんなただの偶然で出会った私たちは、多くの時間を同じ箱の中で過ごし、好きな人や嫌いな人ができていく。
自分事だけじゃない。
辺りを見渡せば、そこにはたくさんの友情と絆と憎悪と確執があった。
みんなそれぞれ、自身にとって大切な友人たちと、行事や日常生活に笑顔を咲かせた。
その反面、たくさん陰口もあったと思う。
そして気に入らない人間を"悪人"と評し、蔑むことで心を満たしていたかもしれない。
そしてそれが昔話になった今でも、その人を悪人だと思うのだろうか。
私にもいた。
むしろ多かったかもしれない。
大嫌いで許すつもりのない同級生。
当時の私にとっては"悪人"だった相手。
だけど、今では彼ら彼女らを"悪人"だとは思わない。
もうずっと会っていないのだから。
自分の知らないところで、彼らもまたいろんな経験をして成長していく。
自分の知らないところで、心を入れ替える出来事が起こっている可能性は大きい。
一緒に同じ箱で生活していた当時、あの子たちのことを多少は知っていたとしても、自分が知らない時間を彼らが積み重ね続けた今、私は現在の彼らのことを何ひとつ知っているはずがない。
そしてそれは逆も然り。
私だって、今の姿を当時のイメージで想像される筋合いはない。
みんなの知らないところで、私だって変貌を遂げた。
そんなことを考えるのは、自分が「悪者」サイドの人間だったからなんだと思う。
今の自分にとって、昔の自分が自分であることを認めきれていないから。
たぶんそれぐらい、当時の私は善い人じゃなかった。
自分が"悪人"から降りたくて、先に人を降ろしているいるだけ。
詳しく話す余裕はないけれど、今思い返せるだけでも、「自分どういう神経してたんだ」って思う出来事がたくさんあった。
そんな昔話を、何でもないときにふと思い出してしまっては、過去の自分の言動が無性に恥ずかしくなる。
なんだか逃げ出したいような気持ちになる。
それを、当時の私は自分の落ち度に気づかず、他人ばっかり"悪人"に見ていた。
その"悪人"たちの中には、当時の自分の良くなかったところを今認めた上でも、「それにしてもその対応は駄目だろう」って思う子たちもいる。
100%自分が悪かったとは思わないけれど、それでも当時の私が見ていた景色と今になって振り返るものは違う。
昔そこにいたのは、加害者意識がなく被害者意識に溢れた私。
私が不快な思いをさせてしまった同級生たちは、今でも私のことを酷い人間だと思っているのかもしれない。
実際、私の本質が変わったかなんてわからない。
だけど、当時のあんな行動やこんな言葉を恥じることができるくらいには私も変化しているんだよ。
あの子たちのほとんど全員とは、中学卒業を機に別れたまま、会っても話しても連絡をとってもいない。
高校以降、私は学び、成長し、昔の自分を恥じられるようになった。
それはきっと彼らも一緒、ということに気づいたのは、自分の成長を自覚した少し後の話。
人は一生をかけて学ぶ。
特に思春期なんて、急速な成長の中で自分が行方不明になるものなんじゃないだろうか。
まだ自己を確立していない時期。
そんな頃から、完璧な人格者になっている必要などどこにあろうか。
そうはいっても、子どもだから何してもいい、ってわけじゃないから難しいんだよね。
昨今、いじめで命を失う悲しいニュースを耳にすることもたまにある。
何歳だろうと、成長の途中であろうと、誰かの人生を潰す力は備わってしまっている。
そういう、度を超えた有害な言動の線引きは、早く心得なきゃいけないものだから、どうしても人の良くない言動は気になってしまうし、身を守るために"悪者"を作り出して非難してしまう。
だけど、言い方は印象に良くないかもしれないけれど、「誰かを傷つけてしまう性格」を持ってしまっていたとしても、その先の人生や人格まで否定される必要はないんじゃないかと思う。
いろいろと逸れた話をしたかもしれないが、少なくとも、ずっと会っていないかつての同級生たちを、今では誰一人"悪人"だと思っていない。
歩む道が分かれた後の彼らを、私は1ミリも知らないから。
だからそれと同じで私も、彼らが最後に見た私とは違う人間なのだから、当時の記憶だけで悪人呼ばわりされる筋合いもないな。
なんて言うけれど、別にそんな悪人呼ばわりなんて、今では全くもってされていないのだろう。
きっとあの子たちにとって、私なんて忌まわしき記憶でも何でもなく、もう忘れてしまった人のはず。
きっと、何にも思われていない。
だってそうだよね。
普通、ずっと会っていない同級生なんてただの他人。
善人とか悪人とか思うどころか、覚えてすらいないのが正常なのかもしれないのだから。
覚えているのは私だけ。
過去の自分を許せなかった私だけ。
ただ私が楽になるため、彼らから"悪人"という肩書きを外して、気にしないことにしただけの話。
別に誰かにされた悪事を、許すことなんてしなくてもいい。
ただ可能であれば、その人を"悪人"のまま記憶に留めないこと。
彼らへの配慮でもなんでもない。自分が少し楽になるためのライフハック。
悪人がいなければいないほど、嫌いな人がいないほど、不要な憎悪を煮込まないで済む。
よほど大きな危害を加えられない限り、自分でも少しはコントロールできるはず。
だって、人の善悪は自分が評価するもの。
その人がどんな人でも、ぜんぶ自分次第。