影霊 イナノメの章 27
陰力が切れ、背中を痛め、動けない俺。
ゆっくりと近付くアラサラウス。
そしてその間に立ちはだかる氷雨……
「氷雨ちゃん……逃げてってば」
「いいえ、逃げません」
氷雨は動かない。
「ドケ、ニンゲンハテキダ」
アラサラウスが氷雨に唸る。
雪女である氷雨を傷付けようという意思は一応無いらしい。
だが、氷雨が俺を庇うように立つ以上、アラサラウスの理性がいつまで保つか……
「全ての人間がそうとは限りません」
「オマエハ、ニンゲンノミカタカ?」
「違います。ですが……この人間、司様は、妖怪の味方なのです」
「…………ドケ」
「ちょっと! 考えるのを止めないで! お前は賢い子だから!」
せっかく氷雨が良いこと言ってくれたのに!
「ダマレニンゲン!」
あああ、怒らせちゃった。でも、悪くない。そうだ俺を狙え。
「やめて下さいアラサラウス!」
アラサラウスは、氷雨を押し退け、俺に顔を近付ける。
氷雨は懸命に氷の槍で攻撃するが、アラサラウスの厚い毛皮を傷付けることは出来ない。
はぁ、俺の命も秒読みか……
諦めかけたその時。
「あ〜、幽吹ちゃん! 銀竹ちゃん! 見つけたよ〜! 一旦木綿の言ってた事、嘘じゃなかったね!」
上空から聞こえる声。
……そう叫んでる暇があったら、すぐに助けに来てくれ。
「……ありがとう一旦木綿」
俺は目を閉じた。
「アラサラウス! 下がりなさい! このお馬鹿!」
「大丈夫!? 司!」
「死んでる? 死んでる? 痛い! 冗談だって! あ〜、今本気で叩いたよね!? 私が教えてあげた一旦木綿のお陰なのに!」
やかましい声が聞こえるが、安心した。俺の記憶はここで途絶える。
俺が目覚めた時、最初に視界に入れたのは、またしても瞳であった。
流石に二度目になるとあまり驚かない。
あと、それどころじゃない。背中が痛い。叩いてやろうと考えてたのに体が動かない。
「幽吹さん。おはよう」
「おはよう司」
すぐ側で発せられる声。
「目を閉じるか、もう少し離れてって言ったよね」
一つも改善されてない。学習能力が無いんだろうか。
「待ってたのよ。司が起きるのを」
「それは有り難いけどさ……」
「動ける?」
そう言うので、体を起こそうとしてみるが……背中が痛いし、力も入らない。
「いてて……無理かな。背中の傷、酷い?」
酷いなら病院に行きたい。ここ、雪女の里の古民家の中だよね。
「傷はそこまでじゃ無いわ。司が動けないのはきっと、陰力を使い果たしちゃったからよ」
陰力を使い切ると、動けなくなるのか……
「私の陰力、分けてあげましょうか?」
「ほんと? じゃあ、お願いしようかな」
嬉しい申し出。陰力の渇望以前に、幽吹が恋しかった。
幽吹はゆっくりと、優しく体を抱き寄せてくれる。柔らかい。
傷のことを考えてくれているんだろうか。良かった。学習能力はあったみたいだ。
「……怖かった?」
幽吹が耳元で訊いてくる。
「まあね。儀右衛門がやられたり、氷雨ちゃんが俺の盾になろうとした時なんかは……」
「それだけ?」
聞きたいのは、そんな事じゃないってか。
「幽吹と逢えなくなるのは、怖かったよ」
「私も同じよ。もし司が死んだら、後を追ったと思うわ」
「えっ、そこまで?」
「ええ、それほど」
幽吹は微笑む。
「だから、今度は安心して死んでいいわよ」
意地悪い笑みに切り替わった。
「ちょっ……流石にそれは」
「ふふっ、なんてね。ああ、でも良かった。休暇に来たはずなのに、そこで司が死んだりしたら大変だもの。どのみち月夜に殺されてる」
確かに……もう少しのんびりできると思ってたのに、散々な目にあったなぁ。