影霊 イナノメの章 26
「『鉄火拳』! 『鉄火拳』! 『双縄鉄火拳』!」
赤熱した拳が、フクロウに次々と撃ち込まれた。
逢魔の見込み通り、フクロウに変化したアラサラウスの耐久力はヒグマの姿よりも明らかに劣っているようだ。拳の一発一発を受けるたびに、フクロウは呻き声を上げる。
しばらくは耐えていたアラサラウスだったが、次第に飛ぶ力を失い、地上に落下していった。
「すごいじゃん逢魔!」
「ケケッ、まぁな」
逢魔。初めての完全勝利。
「そうだ! 儀右衛門が大変なんだ!」
「おう。様子を見に行ってやれ。俺様はあのクマ公を見張るぜ」
俺と氷雨は、ひがくれ号の側に転がっている儀右衛門を助けに向かった。
一方逢魔はアラサラウスの落下地点である林に降りる。
「驚きました……まさか、フクロウの姿が弱点だったとは……」
氷雨が驚嘆の声を上げる。
「たぶん、打撃だけじゃなくて、高熱が良く効いたんだろうね」
アラサラウスはきっと、寒さには滅法強いのだろう。逢魔が来てくれなかったら危なかった。
俺たちはバラバラとなったカラクリ人形の側に降りる。
「儀右衛門! 大丈夫!? 生きてる!?」
「ああ……大丈夫だ。おっと、あまり動かないでくれ、カラクリのぱーつが辺りに……」
喋る箱、儀右衛門の本体は無傷で落ちていた。良かった。
「むう……この人形は相性が悪かったのだ。あの人形であれば、こうはならなかった……持ってきておけば良かった」
儀右衛門はブツブツと言い訳をしている。
身に纏うカラクリ人形によって、儀右衛門の戦い方は一変するらしい。弓引き童子【検非違使】以外にも強いカラクリ人形があるんだっけ。
ん……? 身に纏う?
「どうされました? 司様」
「いや、大したことじゃないよ」
少しアイデアを得たが……モデルはどうしようか……
「それより、儀右衛門は大丈夫みたいだから逢魔のところに行こうか」
「そうですね」
とりあえず儀右衛門の箱はひがくれ号の中に置いておく。
アラサラウスの見張りをするといった逢魔は大丈夫だろうか。
俺と氷雨はアラサラウスが落下した地点に足を進める。
だが、その途中……
「司! 空に逃げろ! あいつどこかに消えやがった!」
逢魔の叫び声が、空から聞こえた。
「えっ!?」
まだ起き上がれたのかアラサラウス。何てスタミナだ。
「司様、空に逃げましょう」
氷雨はそう言って俺の肩に再び触れようとする。
「待って……今はまずい」
今もまだアラサラウスが俺を狙っていたとしたら。俺が氷雨の霊力によって宙に浮かぶこの瞬間が一番の狙い所だ。
「クマは結構賢い」
静かに……辺りを見渡す。
「いないようですが……」
「いや、匂いがする……」
儀右衛門の矢と逢魔の拳によってアラサラウスは確実に傷付いている。漏れ出した血の匂い……あるいは、浸み出した霊力を僅かに感じる。
「……いた」
ヒグマは、木の幹の影で息を潜めてこちらを伺っていた。
「あそこなら、間に合います」
そうかもしれない。
氷雨は俺の肩に触れる。体が浮く。
だが、甘かった。アラサラウスは恐るべき速さで駆け、飛びかかろうと跳躍してきた。
そこまで人間が嫌いか。
「氷雨、お前は逃げろ」
飛んで逃げるのは、もう間に合わない。俺は氷雨から送られてくる霊力を断絶した。
再び地に足が着く。
そして……防御を固める。とりあえずアラサラウスの勢いを殺さなければ。
「【塗壁】!」
化粧回しをした三つ目の犬。塗壁を召喚する。
跳躍したアラサラウスは塗壁にぶつかって体勢を崩す……だが、すぐに立て直すだろう。
だから……
大猩々並みのパワーを備え……なおかつ俺自身の防御さえ固める新技……
「『鬼熊』!」
影が俺の体を包み込み、大熊の姿を形作る。
モデルは熊。ただしアラサラウスの見た目を参考にした。モデルさえあれば俺の陰術は上手く発動できる!
鬼熊を纏った俺は突進してきたアラサラウスを受け止め、組み合う。
「……キサマ! ニンゲンジャナイノカ!?」
アラサラウスは糾してきた。
「人間だけど!」
御影の人間だし。
「……ナラ、コロス!」
アラサラウスは足を踏ん張り、影を押し潰そうとしてきた。強い圧迫感。だが、耐えられる。
「『鉄火拳』!」
アラサラウスの向こうから、逢魔の声が聞こえる。援護してくれてるんだろう。
「グウウッ!」
怒りに身を任せ、無理やり俺を投げ飛ばすアラサラウス。だが、鬼熊を纏った今の俺を投げ飛ばしたって、痛くもかゆくも……
「司様! 溶けてます!」
氷雨の声が聞こえた。
えっ……とけてるって……陰術が?
解けてる? そんな、解除したつもりは……
「痛っ……」
背中に走る痛み……木か何かにぶつかったのだろう。
そして……見えた。煌々と照らす光が。しまった……
夜明けだ。
朝陽に照らされて、鬼熊を形成する影が溶け、蒸発してしまったのか。
「ヤハリ、ニンゲンカ」
立ち塞がる逢魔を薙ぎ払い、ゆっくりと向かってくるアラサラウス。
「『鬼熊』」
痛む体は無視し、鬼熊を再発動しようとするが……影は持ち上がらない。
「ああ、そうか……使いすぎた」
陰力が、尽きた。
霊力は……まだ僅かに残っているが、アラサラウスの迫り来る動きはゆっくりだ。塗壁も、すねこすりも意味は成さない。
「司様!」
氷雨が氷の槍を手に、俺の前に降りてきた。
「……氷雨ちゃん。逃げて」
儀右衛門でも勝てない相手だ。無理だろう……