影霊 イナノメの章 25
言語らしきものは喋っても、話の通じない大熊……イオマンテのアラサラウス。アラサラウスって名前なのかな……
そして、この妖怪……とても強い。儀右衛門の弓矢や、火器による攻撃をものともしない。分厚い毛皮が弾いてるみたいだ。
「氷雨ちゃん! 何か手は無いの!?」
「……銀竹様なら手なづけられるのですが……ワタシにはどうにも……」
氷の槍を放ちながら、申し訳無さそうに答える。
「くっ……検非違使だと相性が悪いな……氷雨殿! 司くんを連れて空に逃げられないだろうか!?」
苦戦しながらも、俺の事を気にかけてくれる儀右衛門。
「それが……アラサラウスも、空を飛ぶことができるのです! ですから……」
「えっ!? あの熊、空飛べるの!?」
「はい。フクロウに姿を変えて……」
氷雨の力を借りて空に逃げても、いずれ追いつかれる可能性があるって事か。
もう、逃げる手段が無い。
こうなったら……
「儀右衛門! 一気に畳み掛けよう!」
「うむ! 次で仕留める!」
きりきりと大弓を引き絞る儀右衛門……
だが、アラサラウスは四つ足で駆け出し、俺に向かってきた。儀右衛門の狙いから外れる……
「『大猩々』!」
こっちに一直線で向かってくるなら都合が良い、大猩々で止めてやる。
パワーだけなら通用するはずだ。
アラサラウスを黒い両腕で受け止める。
「グオオッ!」
大熊は吼える。
「うぐぐっ! 儀右衛門! 今だ!」
「見事だ司くん! 『大蝦夷雪中羆討』!」
儀右衛門は仰々しく長々しい技名を叫んでから、ありったけの霊力を込めた矢を放った。
俺にも分かる。矢の勢いが違う。
「グオオッ!!」
弾かれない。横っ腹に矢が突き刺さった。
アラサラウスは唸り、のたうち回る。
「今のうちに逃げろ司くん! ワシが食い止める!」
ひがくれ号に載せていた火器を操り、アラサラウスを取り囲む儀右衛門。
「でも儀右衛門! 霊力が!」
儀右衛門の霊力は残り少ない……気がする。何となく分かる。
「心配は要らん!」
「行きましょう司さん!」
「うわっ!」
氷雨が俺の肩に触れる。
その瞬間、重力が失われた。地に足が着いていない。宙を浮いている。
氷雨が俺の手を取り、引っ張ってくれる。
徐々に遠くなる儀右衛門、アラサラウス、ひがくれ号の姿……
だが、確かに見えた。起き上がったアラサラウスが、儀右衛門に襲いかかり、彼の纏うカラクリ人形が砕け散るまでの一部始終が。
「……くそっ、儀右衛門がやられた」
本体は小さな箱だから。食べられたりはしないと思うけど……
「……司さん。申し訳有りません。ワタシがもう少し早くアラサラウスの接近に気付いていたら……」
「いや、運が悪かっただけだよ」
アラサラウスがこの里に近付いて来たのも、銀竹達が不在なのも……おそらく同じ理由だ。
「あっ、ほんとだ。フクロウに変化した」
地上からこちらを見上げるヒグマは、フクロウへと姿を変えた。追ってくる。
綾乃が召喚するものほど大きくはないが、その分小回りが効いて速そうだ。
「……司様。どうしたらいいでしょうか……」
万策尽きた。氷雨はそう思って俯いている。
そして呼び方が様付けに戻った。やはり癖になってるな。
「大丈夫。まだ戦力は残ってるよ」
「えっ……」
「ほら見て」
上昇するフクロウの行方を遮るのは、ニヤニヤとした笑みを浮かべた黒い霊……
「俺様の出番だな!」
「逢魔様!」
「お前、今までどこにいたんだよ」
「ケケッ、しばらく様子を見てたんだよ。それで分かったぜ。地上だと俺様の攻撃はたぶん通用しねぇ。だから空中に来るのを待ってたってわけだ!」
逢魔は拳を構える……