影霊 ガリョウの章 19

母曰く、御影家の人間にとってあらゆる影は、自らの思うがままに操れる水のようなものらしい。
一つ大きな建物の影でもあれば、それは巨大な水面も同然なのだ。これを水面に倣って影面と呼ぶとしよう。
水面の下に水中があるように、影面の下にも影中がある。これこそが、影の世界と呼ばれるものである。
影の世界は御影の人間それぞれが持っているものであり、御影の人間の力量、影響力によってその広さが変化するだけでなく、影響下にある他の影面に繋げることさえできるのだと言う。
「簡単に言うと、四次元ポケットみたいなもんかな。スペアポケットもたくさんある」
「そういう認識でいいと思うわ」
その影の世界。利用法はたくさんある。我が身を潜める事にだって使えるし、妖怪を中に閉じ込める、あるいはどこかに移送する事だって出来るらしい。
だが、俺はまだその影の世界に、自力では片足突っ込む事さえ出来ない。
「まずは、司の持つそのツキヒの武器を影の世界に収めてみることから始めましょうか。ツキヒの武器は御影ツキヒが残した陰力そのものだから、抵抗も少ないはず」
屋敷の庭で、母からの手解きを受ける。
「あ、教えて欲しかったやつ。でも、取り出せなくなったりしないかな」
水中のイメージだと、刀なんて一度沈めたら二度と浮かんでは来ない。
あ、でも……影の世界とこの刀叢影。両方陰力で出来ているのか。
「無いとは思うけど、もしそうなったらお母さんが取りに行ってあげるから大丈夫」
とにかくやってみろと言うので、やってみよう。
足元に出来た漆黒の影、影面に叢影をそっと押し付けると、ゆっくりと影の中に沈んでいく……
「おお、すごい」
「ほら、できたでしょ? そのまま入れてみて」
叢影を深く突き入れるにつれて、徐々に抵抗感が出てきた。でも、特に問題は無い。叢影は完全に影の中に収まり姿が見えなくなってしまった。ここまで簡単だったのは、やはり叢影自体がツキヒの陰力だからだろう。
「……で、どうやって取り出すの?」
「手を入れてみたら?」
母がそう言うので、影の中に手を入れようとする。
するのだが、先ほどより遥かに強い抵抗が働いて、指先を影の中に入れるのでやっとだ。
やはり文字通り影の世界に足を踏み入れるのは難しいか。
「……拒まれてるわね。どうしてかしら」
母も原因が分からないようだ。
「センスが無いんだろうね」
「いや、きっと司の体がまだ陰力に慣れてないのよ。でも大丈夫。刀を呼んでみて」
刀を呼ぶ?
「おーい、叢影やーい」
「ああごめん、頭の中で強く念じてみて」
なるほど……
叢影よ、来い。
そう念じた瞬間。
「いいったい!!」
足元の影から叢影が物凄いスピードで突き出て来た。それが股間にぶつかる。あそこへの直撃だけは運良く避けられたが……それでもダメージは甚大だ。
涙を零しながら軽く悶絶していると、屋敷の方からゲラゲラと大笑いする声が聞こえた。縁側で観覧する逢魔、綾乃、崎さんの三人だった。逢魔と綾乃は許さん。
「大丈夫か?」
八房は心配そうに駆け寄ってくれる。優しい。
「……ちょっと、強く念じ過ぎたみたいね」
母も懸命に笑いを堪えていた。
「……いってぇ、もし鞘が無くて剣先がこっち向いてたら死んでたよ」
「ツキヒの武器は陰力の塊だから、もし突き刺さっても、私達なら何とかなるわよ」
それでも死ぬほど痛いに違いない。
「普段、陰術を使う時にツキヒの武器が発動を手伝ってくれるように、ツキヒの武器はある程度私達の思いに応えてくれるの」
賢いんだなぁ。
「とにかくこれで、外の世界にも人目を気にせず叢影を持っていけるようになったって事だよね」
母が頷く。
「あ、刀を直接使わない陰術は、叢影を仕舞った状態でも使えるのかな?」
咄嗟に使いたくなる場面もあるだろうし……
「使えると思うわ。試してみたら?」
そうしよう。
再び叢影を影の中に押し込む。
そして得意の陰術……せっかくなので最新のものを発動する。
「『鬼熊』」
巨大なクマの影を我が身に纏う。
儀右衛門がカラクリを纏う姿に着想を得て、アラサラウスの見た目を参考にしたものだ。
良かった。叢影が影の中にあってもちゃんと発動できる。
「これは、纏影術……!?」
母が驚いた顔を見せた。
「てんえーじゅつ?」
「纏う影と書いて纏影術。どうしたのそれ、綾乃に教わったの?」
「いや、北海度にいる時、思いついたままにやったら出来たんだけど……」
「……綾乃! こっち来なさい!」
母が綾乃を呼ぶ。
呼ばれた綾乃は不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと近付いてきた。
「綾乃、これ……完璧じゃない?」
「そうね。私も少し驚いたわ」
母と綾乃が小声で話し合う。
「え、そんな凄いのこの纏影術って」
俺が尋ねると、綾乃が珍しく真剣な眼差しを向けて口を開いた。
「……歴代の御影の人間の中でも、纏影術を得意とした者は殆どいないの。何故なら……」
何故なら……?
「習得難易度が高い割に実用性に乏しいから。うくくっ!」
言い切ると、綾乃は吹き出した。
はぁ……がっかりだよ。期待させんなよ。

#小説 #ガリョウの章 #ヨアカシの巻

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