影霊 イナノメの章 4
「君は大きく変わったな。かつて村にいた時と比べて」
儀右衛門が幽吹に対して言う。
「私は変わってないわよ」
私は、という部分を幽吹は強調して言ったように感じた。
「……そうだな」
儀右衛門は納得すると、ひがくれ号の操縦に集中する。
今の短いやり取り。少し気になったが、俺は儀右衛門の言う昔の幽吹を知らない。だから何とも言い難い。
「逢魔のせいでここ、少し暑くなったわね。客車に戻りましょうか」
ひがくれ号の突き進む道は今も幽吹の霊力によって切り開かれ続けている。もう目を離しても大丈夫なようだ。
俺と幽吹は客車に戻ることにした。石炭役の逢魔にはもう少し頑張って貰おう……ん? よく考えたら、逢魔の鎖を火室に入れさえすれば、それで済むんじゃないだろうか。逢魔は多少離れた場所にある鎖でも熱せられるわけだし……
「……まぁ、いいか」
逢魔も文句一つ言わずに石炭役を買って出てるので、しばらくはそのままにしておこう。
「この機関車を動かすのも大変よね」
客車の座席に再び座ると、幽吹が言った。
「だよね」
前にも言っていたが、だからこそ儀右衛門は村に残り続けたんだ。この幽霊機関車を自由自在に走らせるには、御影の人間や、他の妖怪の協力が不可欠である。
道を作る幽吹。線路を敷く俺。動力源の逢魔。そしてひがくれ号を整備し、巧みに操縦する儀右衛門。
乗員4名。全員の力によってひがくれ号は走っている。
「そう言えば、目的地は北海道だよね。どうやって海を渡るの?」
トンネルは通っていたはずだが……そこを走らせるのだろうか。
「私に二つほど当てがあるわ。もしその当てが両方外れたらトンネルを走らせましょうか。少し危ないかもしれないけど」
「当て?」
「私は山や大地を切り開ける。同じように、空と、海を切り開く妖怪がいるわ」
「……もしかして、霊雲の嵐世と……座礁?」
幽吹には《山陰》という異名がある。その名は、八雲水臣から認められた結果得たもの。そして山陰に並ぶ名前がもう二つ。《霊雲》と《座礁》である。
霊雲は、天邪鬼の長、天逆毎の嵐世の異名だ。そして残る座礁は……少なくとも海に関係する妖怪だということは分かるが……
「その通り。嵐世はもしかしたらその内私たちを追いかけてくるかもしれないわ。暇してるでしょうから。あいつが来たら、雲の上を走らせましょう」
雲の上をひがくれ号が走るのか。空駆ける蒸気機関車。そんな事が出来たらすごい。
「でも、それなら最初から嵐世に声をかけとけば……」
「あの妖怪はそう簡単に力を貸してくれないのよ。力を貸してくれたとしても、こんな重たい蒸気機関車まで乗せてくれると思う?」
「思わない」
「でしょ? だから、あいつから近寄ってくるまで待たなきゃいけないの。この前は大変だったわ。私が探してるのを知って、逃げ回るんだもの」
日隠村に嵐世を呼び戻すため、説得を試みたのは幽吹だ。山陰と霊雲の馴染みとは言え、あの妖怪を探し、説得するのは苦労しただろう。今なら俺も分かる。
「じゃあ、もし嵐世が来なかったら? 来たとしても、雲に乗せてくれなかったら?」
「次の当て、座礁を探すわ」
「どんな妖怪なの?」
「座礁の蛭子。ぬらりひょんよ」
妖怪ぬらりひょん。名前は蛭子(ヒルコ)か。
「女の人?」
「見た目は死にかけの爺さんよ。でも、いつまで経っても死にそうで死なないわ」
「その蛭子って妖怪がいれば、海を通ることも出来るんだ」
「ええ。司の陰力がもっと強ければ、蛭子の協力なしでも海上に線路を敷けるでしょうけど」
「そいつは無理だね」
激しくうねり波打つ海面に、綺麗な直線を二本、平行に描くなんて不可能だ。
なるほど。海の妖怪である蛭子の協力があれば海面を静めて、なだらかにする事が出来るのかもしれない。
「あれ? ぬらりひょんって聞いたことはあるけど、海の妖怪なの?」
「そうよ。よく勘違いされてるけど。まぁ、仕方ないわよね」
勘違いされる理由はそれなりにあるみたいだ。