影霊 九の章 12
「そこの大入道はアタシがお相手するわぁ!」
市おばさんの大きな頭部が更に大きくなり、ついには首から下の部分を押し潰してしまった。変化を解いたんだ。
市おばさんはきっと……巨大な生首の妖怪。大首である。
「大入道の弁慶、いざ推して参る!」
弁慶は薙刀を突き出して、走り出した。
「アタシに! 接近戦は通用しないわよぉっ!」
長い髪を盾にし、弁慶の薙刀を受け止める。
「何っ……!?」
市おばさんの黒髪が薙刀の刃に巻き付く。
弁慶が薙刀を引き抜こうとしても、長い髪はそれを許さない。がっちりと巻き付いている。どれだけ強靭な髪なんだ……
「くっ!」
弁慶はたまらず左手に大鋸を召喚した。代わりに右手だけで掴むことになった薙刀は、黒髪に奪われ、遠くに投げ飛ばされる。
「うふふっ、武器が一つ減っちゃったわねぇ!」
「……問題無い」
弁慶は空いた右手に薙刀を召喚した。
「あれっ!? それ、さっきの薙刀!?」
「そうだ」
市おばさんに投げ飛ばされたはずの薙刀は一度姿を消し、再び弁慶に召喚されたのだった。
ここまで細かい召喚術を可能にしているのは、弁慶の一部の武器が、付喪神化しているからである。
「……へぇ、思ってたよりやるみたいねぇっ!」
市おばさんは黒髪を纏め上げ、拳のような形状にして弁慶に放ってきた。
弁慶は大きく横に跳躍して髪の拳を躱し、市おばさん目掛けて薙刀を投擲する。
「ぎゃあっ!!」
巨大な薙刀は市おばさんを掠める。
勢いの緩んだ拳を形成する髪を弁慶は大鋸で切断した。
「……ふふ、アタシの髪は、いくら切ろうと、霊力がある限り伸び続けるのよ!」
市おばさんは髪を伸ばして逆立てる。
「……司、すまない。この妖怪……強い。すぐに始末する事は難しそうだ」
弁慶はこちらをちらりと見た。
「大丈夫! こっちは自分で何とかする!」
俺の言葉に頷くと大槌を召喚し、迫り来る市おばさんと衝突した。
崎さんと戦う逢魔と風尾、市おばさんと戦う弁慶、どちらも俺からどんどん遠ざかってゆく……
わざと分断させているみたいだ。まぁ、乱戦になるよりはいいか。
さて……
俺の相手となる母を見つめる。
その立ち振る舞いは、余裕に満ち溢れている。昔何度か見た、弓道の選手としての母の姿とは少し雰囲気が違う。
「これでゆっくり話ができるわね」
微笑を湛えながら棒立ちしていた母は口を開いた。
話? 戦うんじゃないのか。
「今、何か話す事ある?」
模擬戦の最中である。
「何でも聞いてくれていいのよ」
「そう? なら……」
崎さんを風尾と逢魔で倒すことは、風尾曰く不可能に近いとの事だった。だが、市おばさんと弁慶の勝負なら、分からない。弁慶なら倒せるかも知れないという風尾の予想だ。
俺が母に勝つには、弁慶との共闘が欠かせない。
時間稼ぎが出来るなら、甘んじて母の提案を受け入れよう。
「母さんの隣に浮いてる、その付喪神は? 戦わないの?」
矢を入れる道具の付喪神は、母と同じく戦いが始まっても全く動きが無い。
「空? 空はね、私の戦闘の補助をしてくれるの。まぁ、自力で戦うことも出来なくは無いけど」
「司くん。久しぶりだね。君の事は良く知っている」
空は年老いた女の嗄れた声で喋り始めた。
「喋れるんだ……」
「喋るよ! まだまだ現役さ。最近の若い付喪神には負けてない」
……一度喋らせるとめんどくさそうだ。