影霊 イナノメの章 9
「……あれ?」
しばらく幽吹の腕の中にいると、何だか力が漲ってくるような気がしてきた。
「気付いた?」
そう言う幽吹の片手は今、俺の髪を優しく撫でている。
「もしかして、霊力を俺に分けてくれてるの?」
力を分けてあげる、そう言っていたし。
「いいえ。私が分けてるのはもっといいもの……陰力よ」
陰力? 陰力を持ってるのは、御影の人間と綾乃くらいだったはずだ。それを幽吹も?
陰力の対極にある陽力を持つ妖怪は四獣神のカラス、八尺がいるって事は知ってるけど……
「驚いた? 陰力を持ってるのは綾乃と御影の人間だけじゃないわ。私の異名は山陰……その由来は陰力を持ってる山の妖怪だから」
山陰……確かに幽吹はヤマカゲと読んでるけど……
「山陰地方は関係無かったんだ」
「……昔その辺りにいたから、全く無関係では無いのよね」
そうなんだ。
山の妖怪で、陰力を持ち、山陰地方に住んでたからヤマカゲか。
「陰力を持つ妖怪は珍しいけど、だからと言って活用できるとは限らない。綾乃ほどの保有量が無いと、妖怪が陰術を使うのは難しいの。綾乃でさえ陰術は多用しないでしょ? だから、私にとってこの陰力は宝の持ち腐れ」
幽吹は陰術を使うことは出来ないのか。
「でも、影響力が強かったりはするんじゃない?」
周囲の妖怪や霊の士気を高めたり、霊力を回復させる能力……それが影響力。御影の人間が特にその能力に優れているのでそう呼ばれているらしいが、つまるところ陰力の有無が大きく関与しているのだろう。
「確かにそういう副次的効果はあるわね。でもその分……村の妖怪としては厄介なデメリットもある。陰力は他の妖怪を惹きつける効果があるけど、陰力を持つ者同士だと、その効果を相殺しちゃうのよね。だから私は、昔から御影の人間の事があまり気に食わなかった。人間のくせに偉そうにって思ったりして。村を離れていた大きな理由の一つがそれ」
「そうなの? なら、どうして……」
母や崎さん達の代わりに、俺の面倒を見てくれていたんだろう。
そして今、どうして俺をハグしているんだろう。
「司は、私にとって特別なのよ」
それはやはり、幽吹は俺に並々ならぬ関心を抱いてるって事だよね。
人間の世界にいた時も、そうなのかなって薄々感じていたし、俺も幽吹の事を慕ってはいたけど……
「陰力の扱いが多少劣っていようと関係無いわ。私は一人の人間として司の事が好き。だからさっきの言葉は嬉しかった」
そういえばさっき俺、幽吹に対して好きって言ったな……面と向かって言うのは初めてだったかもしれない。
「私の持つ陰力なんて、自分一人じゃ大した意味を持たない……」
幽吹は俺の耳元に口を近づける……
「だから……あなたに使って欲しいの」
体が密着し、陰力が流れ込み、囁きが聞こえる……
ゾクッとした。恐怖では無い。何とも言えない感覚。
魅力の魅は、魑魅の魅である。陰力の他にも、幽吹の持つ能力の一つにこういった他人を惹きつける能力があるのかもしれない。ここにきて初めてそれらしきものを感じた。
そのままの幽吹が見たいとは言ったが、まさか一気にここまで畳み掛けてくるとは思わなかった。
どう応えるべきか。
ここで拒絶してしまえば幽吹を傷付けてしまうかもしれないし、そんなつもりは一切無い。かといって、このままこの妖怪に溺れてしまっていいのだろうか……
「……ありがとう。幽吹の陰力、使わせてもらうよ」
やんわりと受け入れる。俺はそんな選択肢を選んだ。
幽吹がこうして陰力を分け与えてくれるのは、不足した俺の陰力を補うためだ。
あまり深刻に考えるのは止めよう。幽吹も案外そんなつもりは無いかも知れない。演技を止めたのだって、本意では無かったみたいだし。
「……ふふっ、いいのよ。そろそろ回復した?」
目の前で微笑んでみせる幽吹。
「うん。充分だ」
最後にもう一つ強く抱きしめられた後、俺は開放された。
……こうして解放されると、少し名残惜しい。なかなか幸せを感じる時間だった。
「さぁ、出発しましょうか」
俺と幽吹は、儀右衛門と逢魔の下に向かう。