影霊 九余半の章 5
司が去った台所では……
「八房、どうして頑なに変化しないのですか? 獣の姿に拘りがあったわけではありませんでしたよね?」
崎姫が八房を問い詰めていた。
「先ほどの戦いも、人の姿に変化していれば対処できた場面があったと思いましたが」
「ぐっ……鋭いな姉上」
「司くんに、見せたくないのですか? どうして」
「いや、見せる機会を得られないまま今に至るだけであって……」
「先ほどの戦いは良い機会だったと思いますが」
「……そう、だな……」
八房は言葉に詰まった。ちらと月夜の隣で作業をする幽吹を見る。
「月夜、すみません。少しだけ外します」
「ん、わかったー」
崎姫は月夜に断り、八房を連れて別の部屋に入った。
そして再び八房を問い詰める。
「幽吹さんに遠慮しているのですか?」
「……いや、幽吹のように、司に対して、そういう気持ちを抱いているわけでは、無いと思うんだが……」
相変わらず煮え切らない答え。
「でも、見てましたよね。幽吹さんを」
「……姉上に隠し事は出来ないな。正直に言おう……この八房、司を見るとどうしても思ってしまうのだ……可愛らしいと」
八房は白状した。
「ふふ、可愛らしい……ですか」
顔がほころぶ崎姫。
「ああ……愛情というのかも知れないが……とにかく可愛くて堪らない。顔を舐めてやりたくなる」
「ああ、その気持ちは分かります。私も時々舐めてました」
「はあっ!? 姉上が!? 司を!? どうして!」
崎姫の突然の告白に、度肝を抜かれる八房。
「いや、私のは癖みたいなもので……私だって、司くんは愛おしいと思いますが、月夜と同じように家族としての愛おしさですよ」
「……それなら良いのだが……良いのか?」
「はい。良いのです。家族として愛して、時々顔を舐める。恥ずべき事ではありません。八房にだってできます」
「……いや姉上、舐める方は今はどうでも良いのだ。問題は……」
「そうでした。八房は、どうして司くんに人としての姿を見せないのか、でしたね。どうしてですか?」
「……不安なのだ。司にとっての八房は、今のこの獣の姿だから」
「大丈夫ですよ。司くんは、私達妖怪に対する理解がありますから。それも恐ろしいほどに。この尻尾、今日始めて司くんに見せたのですが、一つも驚いてはくれませんでした」
崎姫は九本の尻尾を振る。
「そう、か……」
「まだ不安ですか?」
「いや、尻尾の有無のような軽い問題では無いからな……」
「軽くないですよ! 尻尾は!」
声を張り上げる崎姫。
「す、すまない姉上……」
「何て、冗談です」
クスクスと一人で笑う。
「本気で驚いたから止めてくれ」
「とにかく、何が不安なのですか? はっきり仰って下さい」
「……あまり……自信が、無いのだ……自分の容姿に。姉上と比べてしまうと……」
「八房、あなたの姿はとても美しいですよ。気高くて、凛としていて……私も嫉妬してしまう程に」
崎姫は、八房の黒い毛並みを優しく撫でた。
「そ……そうか? いや、お世辞は止めてくれ」
「事実ですよ。それに私達は姉妹。顔立ちは非常に似ています。私と比較して落ち込むのでは無く、逆に自信を持ってください。私達の違いは、立ち振る舞いに少し違いがある程度……あなたにはあなたの良さがあります」
「そうだな……ありがとう姉上。いつか、近いうちに司に見せる。私のもう一つの姿を」
「はい。私は八房を応援していますよ。何でも相談して下さいね。あっ、人に変化しないのなら手伝って貰うこともありませんから、水臣の話し相手にでもなってて下さい」
「う、うむ……すまない」