見出し画像

国民総コミュ障時代

私は日本を離れタイに住んでいるのでタイの事情を書きます。初めてタイを訪れた時、タイの人たちは皆活発で、あまり周りの空気を気にすることなくありのままでいるような印象を受けました。例えば電車の中、周りを気にせず自由にお喋りをしている人が多かったです。

それがコロナ禍で目に見えて変わりました。

特に顕著なのは職場におけるランチタイムです。コロナ禍で会社の食堂にも間仕切りが用意され、黙食といって食事中は誰とも話さず黙って食べることがルールとして決められました。食堂ではなくオフィスで食べる社員も、密を避けるために社員同士が固まって食べないよう注意されました。

そんなコロナ禍生活も2年も続けば皆慣れたものでしたが、やがてコロナ禍が去り食堂の’間仕切りも外され、黙食やその他のルールも撤廃された今、どうなったでしょう?以前のような状態に戻ったでしょうか?

いえ、戻りません。

コロナの危機は去ったはずなのに、なぜか自席で誰とも話さず黙々と食事を頬張ってる社員の多いこと。そのため、ランチタイムのオフィスはそれなりに人がいるにも関わらず誰も喋っていないためシーンとしています。(ちなみに日本人は私だけでそれ以外は皆タイ人です)

一体何がどうなってしまったのか?

人間の「習性」というものは、変化(リスク)を避け同じ状態を好むものであり、それは人間の本能と言えます。その習性を変えさせるには、コロナ禍により強制的に自宅に隔離されたりマスク着用や黙食を求められたのと同様に、何がしかの力によって強制的に変化させられる以外にありません。(未だにマスク着用を続けている人の多さにビックリします。タイ人の8割ほどは未だに外出時にマスクを着けています)

私に今思いつくのは戦争くらいです。決して戦争を推奨しているわけではなく、戦後の日本のように何もかもが破壊されて0から再建していく過程の中でくらいしか、人間のコミュニケーションがアナログ的に、密度の濃いものになる可能性はないと思ってます。

タイトルに戻りますが、私はタイ国民1人1人が以前よりもコミュ障になったと感じています。職場で誰かと会話を始めるまでのハードルが明らかに上がりました。それは職場においてパソコン登場以前と以後でコミュニケーションのあり方がガラッと変わったように、コロナ禍によってその変化の方向性に更に拍車がかかりました。

この総コミュ障の行き着く先と、人々の深層心理についてはまた別の記事で書いてみようと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?