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傾く天秤の上に

みんな正しくてみんな正しくない。正解は不正解で不正解は正解。私の言葉は正解、ではないけれど、間違いではない。だって人はそれぞれ違う目で物を見て、違う耳で聞き、違う脳で処理して、違う声で違う言葉を話してる。同調はあれど全く同じはこの世にない。ってこと。
何事であっても他を頭ごなしに否定するべきではないよ。
だからといって、ほかを否定したり攻撃したりというのは愚かしい事。受け入れることが難しくても、理解することが難しくても、それがある、という認識、違う世界の見方をしている人がいるという認識が大切、だとおもっている。
知ろうともせずに攻撃してしまうなんて、否定してしまうなんて悲しい。知ってみて、それでも受け入れられなかったなら、それはしょうがないよ。だって、他を完全に理解できないのは当たり前のことなんだもん。

きらいきらいで否定ばかりしていたら大人になんかなれっこないよね。

嫌いな人間をシャットアウトするスキルというのは、自己の精神面をクリーンに保つ上では必要なスキルではあるけど、嫌いな人からでも学べること、嫌いな人でも理にかなった事を言っている場合があるので、1つの意見を聞くという意味で、割り切って関係性を築いていけるのが大人だと思うんだけど、どうなんだろうか。

無意識って、実は意識されたものよりも、とてもおそろしい暴力になるってこと、知ったほうがいいんじゃないかなって私は思う。

もうすこしみんあ自分がちっぽけでしょうもない人間だって、だからこそ可能性があるんだっていう自覚持てばいいんじゃないかなって。

己の小ささがわからない人に、他人は測れないと。過大評価を己に貸してばかりの傲った天狗鼻の人間に、フラットな世界は感じられるのかなと。

わかろうとしてわからなかったのと、わかろうともしないでわからないままに拒絶し続ける人間とではどちらが利口な人間なのかくらいわかるんじゃないのかなって。
考えることをやめたらそれはもう人間じゃないよ。努力の差、行動の差。努力をしていなかったとしても、行動することで得られる経験値があるんじゃないかなって。
ちょっと頭を捻って、考えようとするだけでも違うんじゃないかなって。

僕はそう思うよ。僕はね

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