救世主は今日も無断欠勤
どんな方面から見ても、芸術と切っては切れない運命にいるのだなぁ、と思うことが多々あります。
なんでかっていうと。占いであったりとか適職検査であったりだとか、そういうのでいつもいつも、美術系、アーティスト、クリエイター系みたいな結果ばかりが、小学生の時から付きまとってきたからなんですけど。
絵は、いつから描き始めたか覚えてないくらい小さな時から描いていて、アニメであるとか漫画であるとか、本や映画やドラマが好きで見ていたし、ゲームもプレイはできずともずっと家族がやっていたのを見ていました。
たぶん私は死ぬまでこういったものから離れられないんじゃないかって思います。
母に、この子は絵を書いていないと死んでしまうんじゃないか、もはや病気の域だわ、なんてことを言われました。
勉強はできなかったし、できなくてやさぐれて全く勉強しなくて怒られることもたくさんあったけど、絵を書けるようにと紙とか絵の具とかを買い与えてくれたから、怒られた時に取り上げられたりもしたし捨てられそうになったこともあるけどなんだかんだ無事私の手元に収まってるし。
お陰で、小学生の時は絵画コンクールで大きな賞もいただくことができたし、賞状もたくさんいただけました。
私は死ぬまで表現者で、創作者でありたいな、と思うのです。
でも、表現者はやはり体が資本、まぁ、人間どんな状況にあろうと体が資本なのですけれど。その資本部分がとち狂っている場合はどうすればいいんだろうって思うことが多いです。余りにも、多い。それがほんの少し辛くなってしまうのです。
絵だけではなくって、演劇とか、歌とかも好きで、いま実際に学んでいるけれど、余りにも遠い。定型さんと一緒にやっているけれど、同じペースで歩んでいくことができない。すごくすごくそれが悔しい。
私はどこまで往けるのかしら