死者は供養(くよう)で本当に成仏できるのか?
EIMIN(エイミン)の儀師 シウンです
今回は、
そもそも「 供養とは何なのか ?」
「 死者は供養で本当に成仏できるのか? 」
についてお話しさせてもらいます
まずはじめに、供養の起源から参りましょう
人類の供養(くよう)の歴史は非常に古く、ネアンデルタール人やホモサピエンスの時代からおこなわれてきました(約10万年前)
死者に対する祈りの表れとしての痕跡(こんせき)が世界で確認されています
参考までに、
下記は世界の宗教人口の割合です
日本では、人が亡くなると多くの方が通夜・葬儀・告別式など宗教儀式をおこない死者の霊を弔います(日本は80~90%が仏教式)
家で仏壇を持ち、命日にお供え物をし、お盆の時期には家族でお墓参りに行くこともあるのではないでしょうか
そもそも、「 供養とは何なのか ?」
供養とは、死者(霊)の冥福(めいふく)を祈るためにおこなう儀式行為のことをいいます
冥福を祈るための行為・・・
う~ん そもそも・・
冥福ってなに?
と思われた方、大丈夫です
「 冥福 」ミニ解説
冥(めい)は、暗い・光が届かない・視界がはっきりしない状態です
福(ふく)は「しあわせ」を意味し、幸福や豊かさを象徴する言葉です
死後の世界のことを冥界(めいかい)や冥土(めいど)と呼ぶこともあります
つまり、
冥福 (めいふく)を祈るとは、亡くなった方を想い「 死後の世界(冥界)で安らかに、幸せ(幸福)に過ごしてね 」と願うことです
ここで少し、世界の死者供養に目をむけてみましょう
アメリカ
アメリカでは、死者のために花を供え、追悼の言葉を述べるなどして故人を偲びます
また、メモリアルデーには戦争で亡くなった兵士を追悼するために墓地に旗や花を供える習慣があります
メキシコ
メキシコの「死者の日」は、明るくカラフルな供養の祭りです
この祭りでは、故人の写真やお供え物を並べた祭壇(オフレンダ)が家や墓地に作られ、故人の好きだった食べ物や飲み物が供えられます
家族や友人が集まり、音楽や踊りで故人を偲びます
これらの儀式や習慣は、故人を敬い、彼らの魂が安らかに眠ることを願うと同時に、生者が悲しみを乗り越えるための重要な手段となっています
日本では、古くから仏教の影響が強く死者供養は重要とされてきました
身近なところでいうと、
お経を唱えること、仏壇に「 香・花・灯燭(火)・浄水・飲食 」を供えること、または法事(初七日・四十九日)などが供養にあたります
※ 供養形式は宗派や地域によって異なる場合あり
さて、ここまで世界と日本の供養についてお伝えしてきました
ここから本題に入ります
死者(霊)は、
「 供養で本当に成仏できるのか 」です
結論から申します
死者(霊)は、
供養だけで成仏することはできません
「 えっ! そうなのっ!? 」
「 うそでしょ!? 」
と思われたみなさまどうぞご安心ください
供養行為が無意味ということではございません
余談ですが、
形式的な供養をされていたお宅に起こったあるお話です
朝食は、ごはん・みそ汁・魚…ではなく、朝は決まってパンだ!というパン派のお父さんがおられました
その後、お父さんは天命を全うされ、天に旅立ちました
いきなりですが、ここで質問です
あの世(冥界)に行ったからといって、いきなり好みは変わるのでしょうか
一度、考えてみてください
・・・ ・・ ( シンキングタイム )
はい、そうです
冷静に考えたらわかります
パン派はパン派です
特に頑固な性格の方は、あの世に行っても頑固です
無口な方は無口です
あの世に行ったからといって、好みや性格がいきなり変わるわけではありません
供養は形式的になりがちです
あまり「形にとらわれないでください」というひとつのお話です
話しを本題に戻します
死者(霊)にとって供養してもらうことは、意味のないことではなく「とても有り難い」ことです
しかし、
死を迎えた悲しみ・死してこそわかる苦しみは、お供えやお経などでは消えません
お経を唱えること、仏壇へお供えをすること、法事などは「 儀式的な思いやりの形 」です
つまり、供養とは「 生きているものが死者へ眠って欲しいと願う儀式 」なのです
残念ながら、死者(霊)は儀式では成仏できません
世間がもつ、死後の世界に対するイメージ 「死者(霊)の安らかな眠り 」と実際の現実は大きく異なります
では、
本当の意味で死者(霊)に成仏してもらうにはどのようにしたらよいのか?
次回は、こちらについてお話しできたらと思います