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『思考軸』、回れ。
今月の始めに読んだnote界の推しのエッセイに影響を受けて、『思考軸』を考えてみた。
その少し前に友だちが「『自分軸』で生きるとメンタルが強くなる」と言っていて、『自分軸』とは何ぞや?となっていたところに、note界の推しが人生における『時間軸』を語っていたからだ。
自分の軸、自分の人生の時間の軸。そんなこと気にしたこともなかった。友だちと推しの言葉をぐるぐると考えていると、何かが掴めそうな、何かを巻き取れそうな『軸』になっていく感覚がした。そういう感覚はこれまでにも何度かあった。きっと、友だちの言葉や推しの文章は新たな視点と気付きをもたらして私の中の『思考軸』になっていくのかも知れない。
と言っても、私の思考回路は複雑怪奇にひん曲がって、折れたり黒コゲになったり、至る所にバリが飛び出したりしている。太く立派な『思考軸』があって、ゆったりと回転しながら様々なことを学び取って行っているわけではない。
ただ、ところどころネジのように、回路を正常に流す回転を促すために、友だちの言葉や推しの言葉が『軸』となって支えてくれている。彼らの言葉や発見に触れる度、『軸』は正しい向きに回転し、あたたかな何かを回路に流してくれる。そうして、自分も優しく前向きな流れに乗って、明るい新しい世界の『軸』へ飛び込んで行ける…となれば、めでたしめでたしなのだが、実際はそうはいかない。
『思考軸』について考えたこの2週間、友だちや推しの言葉のように正常な『軸』もあれば、逆行の『軸』もあって、私はこの逆行軸の方が圧倒的に多い気がしている。
これまでの人生経験で得た、大人不信頼思考の『軸』。
周りに言われ続け、それが当たり前となっている自己非肯定感の『軸』。
希望を持つことへの疲れと諦めと虚しさが原動力の『軸』。
自己防衛のための、大人(特に教師)不耐性の『軸』。などなど…。
『軸』同士が反発しあうことで、思考回路が余計に摩耗することもしばしばある。たいてい、逆行軸の回転力の方が強いのだけど。そうなると、ネガティヴ思考どころか、ずんずんずんずん悪い方へと回路は流れる。私はただ、その流れに乗って永遠に闇の中へ葬り去られるのだ…
と、書いてふと思う。あれ?それじゃ”自分の”思考軸ってなくない??
誰かの言葉が『思考軸』になっている。
良い『思考軸』は友だちや推しの言葉で。
悪い『思考軸』は大人や教師や家族や周りの言葉で。
誰かの言葉を『思考軸』にしているだけじゃ、きっと結局、『自分軸』なんてなくて、自分の短い人生の『時間軸』を他人に支配されているだけなんじゃないか…?
『自分軸』を熱弁していた友だちに「自分軸で生きる人同士がぶつかると、軸の回転の弱い方は強い方に巻き込まれて振り回されるんやねー」なんて皮肉を言っていたけれど、周りの『軸』の回転に巻き込まれ、もみくちゃにされ、弾き飛ばされていたのは私の方だった。
自分の言葉で自分の『思考軸』を持とう。良い回転か悪い回転かは置いておいて。例え悪い流れ製造軸だったとしても、自分の言葉の『思考軸』ならいつか良い流れに巻き戻せるだろう。傾いた『思考軸』だって良い。地球だって傾いた軸で回っているんだから。何°かは忘れたけど。