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雪月花地震

3・11の地震から〜能登地震〜今日の地震

あの日津波は何もかも壊して行かれました。



急な想定外の雨・雷・停電・道路陥没・所により。道ではなく川?

そして昨日は九州宮崎の地震、南海トラフの前触れと思うと命が思うだけで縮まりそうです。

能登の地震の傷も癒えていないのに、自然はどうしてこんなに
意地悪をされるのかわからない・・・又この時を生きている私・・・・

能登地震の前に建てたばかりのお宿、和倉温泉『海舟』へ泊った。壊れた様がニュースで写り悲しかった。

お隣の有名なパテシエのガラスのビルでお茶とケーキを過ごしたあのビルも壊れかたが激しく呆然とした・・・

今も休館中である、経営者の苦悩はいかばかりか全て言葉にならない・・・

お正月早々の悪夢の様な出来事。であった。帰省なさったお若い方達がお亡くなりになり、お正月だけに帰省された人たちも多く悲しすぎる出来事でした。

傷もまだ癒えぬのに又襲ってきます地震は、つかみどころのない魔物の様です。

昨日は身も凍る音楽が『地震警報』に右往左往致しました・どうしたら良いのでしょう。

と考えても考えても地震だけに名案もなく悲しい。
3.11・の時も私の住む街は計画停電があり、夜の電気が無く、生まれて初めての暗闇の夜を経験をした・・

暗闇で食べる食事の味気なさなど言っていられれない・・・
酷い被災地のことを思えば・・・

平穏な日々を当たり前の様に過ごしてきたが、そうではなかった事を痛いほど感じる日々となった。


  じっと見つめました。深い深いお言葉です。

津波は何もかも奪いそして壊して行かれました。・・・


諦めと悲しさが滲む五行歌でした。この二つの五行歌に私は涙しました。



人間は自然には散りゆく木の葉の様に弱く右往左往することしか出来ず・地震は怪獣・魔物・の様です。

  大震災に見る神のプロパティある御本からです。

神を信じる善良な男が不運な事故に遭って重傷を負ったとします。「悪いこともしてないのになぜこんな目に遭わなければならないのだ」という男の問いに対して、信仰を勧めた者の答えはおおよそ次の三つに分類されます。まあこれでたいてい片が付くのでしょう。 ①もし信仰がなかったら、あなたは重傷で済まずきっと死んでいた。
 ②事故はあなたの信仰が足りないからだ。
 ③これは神があなたに与えた試練なのだ。この答えは一見屁理屈のようですが、実はなかなか巧妙に作られています。神の存在を前提とする限り、この三つを完全に否定することはできません。むろんその答えが正しいとする根拠もありませんが、信仰する人間には根拠を示す必要など多分ありません。しかし今回の東北大震災のように多数の人が被災を受けた場合は上記のマニュアルのようにはいきません。ヴォルテールは数万人の死者を出した1755年リスボン地震の惨状を見て、神を信じる人も信じない人もみな等しく殺したのだから、神が慈悲深いわけがないと主張したといわれています。大惨事を目のあたりにすれば、多くの人は(慈悲深い)神も仏もないものかと思います。これはヴォルテール同様、ごく自然なことでしょう。被災者の、なぜこんな目に遭わなければならないのだ、という問いに対して、信仰を勧めた者はきっと答えに窮することでしょう。石巻市の市立大川小学校では全児童108人のうちの7割が死亡か不明とされています。犬や猫、牛など多数の動物も犠牲になりました。幼い子供や動物に罪があるとは考えられませんから、罪の有無による選別という説明もまあ無理です。まさにナチスを思わせるような無差別攻撃です。もしかすると神は差別廃止論者なのかも知れません。神は存在すると仮定した場合、ここから引き出せる一般的な結論はヴォルテールの言うように神は全能だけれど慈悲心が無い、あるいは慈悲心はあるけれど自然を制御する能力が無い、のいずれかでしょう。ヴォルテールの時代から250年以上が経った現在、私のような凡人にもわかるような説明を聞きたいものです。


             
             雪月花エイコ💐



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