雪月花素敵な京うちわと女流作家達
憧れの京うちわの特集でしたので写真に撮りました。
桔梗のうちわです。みているだけで涼しくなります。
あまりにも美しいのでテレビを見ながら思わず写真に撮りました
ホルダーに大事にしまってありました。素敵な女流作家のお言葉をかみしめるように大事に20年もしまってありました…私のバイブルのようなご本の数々です。
ホルダーから取り出しました
自由
私はかつて自由で気軽で、
それを充分味わって、
それでだれかといっしょにいることを選んだ。
遅くなるときは相手に断り、
帰れないときは相手に気兼ねし、
たったひとりで遠くにいくことのできない、
そんな不自由を選んだのだった。
誕生日をひとりで過ごしてもへっちゃらな自由ではなく、
祝ってもらわないことに腹をたてるそんな不自由を。
(私らしくあの場所へ[ふたり]、角田光代)
不自由になるとわかっていても、 寂しさに勝てない人間がいる。 愛を求めれば、ちょっと不自由がついてくる。 それが普通なのだ。
モダンな紅い薔薇・梅の花・あやめの花❓花火・桜・
無理やり
ある時は無理矢理に、 ある時はしぶしぶと。 しかしどこでも、 心配した以上の悪い出来事には 遭いませんでした。 たいていが取り越し苦労に 終わるのです。その証拠に、 私は今、ここにこうして 生きております。 それだけで十分じゃありませんか。
言葉 †
人間が編み出した道具である 言葉の通じない世界にひととき身を置くと、 自分が壮大な世界の一部として、 その大きさの中に包まれているのだ、 と実感できて安堵する。 (とにかく散歩いたしましょう、小川洋子)
偶然
偶然について語るのは、本当は難しい。 変に脚色しようとすると、 たちまち本来の魅力が失われる。 もともと偶然とは 人間の想像力を超えた現象なのだから、 教訓を読み取ろうなどと余計なことは考えず、 ありのままに素直に描写する必要がある。 (とにかく散歩いたしましょう、小川洋子)
親鸞聖人に「生死の苦海ほとりなし/ひさしくしずめるわれらをば/弥陀弘誓のふねのみぞ/のせてかならずわたしける」というご和讚があります。生まれた限りは死ななければならない。生きるとは死につつあるということ、出会いとは別れていくこと、そういう、思うようにならん私、それこそが、生死の苦海を生きる私の実態です。
その苦悩する私、生死の苦海を生きる私、その私に、阿弥陀という名の仏さまが、願いをかけてくださっています、と親鸞聖人は教えています。子供の「何がおもしろいのかしら」 「分かりません。子供は時折、 とてつもないことに 心を奪われるものです。」 (夕暮れの給食室と雨たしかに、そうですね。 理由を探れば、おかしなことになります。
悲しさを抱えて人は哀しさを抱えて 生まれてくるのだなと思う。 手付かずの、純粋な哀しさだ。 生まれてきたこと、 生きることそのものにしみ込んでいる哀しさだ。 しかしだからといって、 人生全部がつらく苦しいものになるわけではない。 人は哀しい思いをするからこそ、 いたわり合ったり愛し合ったり、 優しくなれたりするのだろう。 (妖精が舞い下りる夜、小川洋子)この哀しさは、もしかして、 聖書の創世記になる哀しさに 通じるものかもしれない。そんな気がした
大人になる
大人になるとみんな、 不安や孤独や哀しさの隠し場所を どこかに見つけるのに、 子供はそれらを取り繕ったりしないで、 全部泣き声にしてまき散らす。 (ダイヴィング・プール[冷めない紅茶]、小川洋子)それが出来るうちは、 複雑な生き方にならない。ようし。お祝いをしよう。 子供には祝福が必要だ。 いくら祝ってやっても やり過ぎということがない。 ご馳走とろうそくと拍手があれば、 子供は幸せなのだ。 (博士の愛した数式、小川洋子)
いいことがあったら、
目いっぱい、お祝いしてあげましょう。子供の心配をするのが、
親に課せられた一番の試練だ。
(博士の愛した数式、小川洋子)そうかもしれない。
そして、それが出来るうちが、
幸せだとも思う。
古いものをいつまでも しまい込んでいたら、 それが本当に 自分の持ち物だったかどうか、 分からなくなるんだから、 歳を取るって難儀なことね。 (貴婦人Aの蘇生、小川洋子)才能もしまい込むと、 人間は忘れる。 いつも使っていないと…
死に方
寿命を全うした人もいたし、 若くして旅立った人もいた。 時間をかけて心の準備をし、 親しい人々に さよならの挨拶をした人もいれば、 何が起こったのか気づきもしないうちに 逝ってしまった人もいた。 (沈黙博物館、小川洋子)
生まれ方は、 母親の胎から生まれる という共通点はあっても、 死に方は、いろいろあります。
楽しい記憶
どんなに楽しい記憶でも、 時間とともにだんだん切なさが 帯びてくるのです。 (クリスマスタイム・イン・ブルー[アンジェリーナ]、小川洋子)
楽しければ楽しいほど、 それがもうニ度とないはかない切なさ。
福袋 †
ひょっとしたら私たちはだれも、 福袋を持たされてこの世に 出てくるのではないか。 福袋には、生まれ落ちて 以降味わうことになるすべてが入っている。 希望も絶望も、よろこびも苦悩も、 笑い声もおさえた泣き声も、 愛する気持ちも憎む気持ちもぜんぶ入っている。 福と袋に書いてあるからって すべてが福とはかぎらない。 袋の中身はときに、 期待していたものとぜんぜん違う。 安っぽく、つまらなく見える。 ほかの袋を選べばよかったと思ったりもする。 それなのに私たちは袋の中身を捨てることができない。 (福袋、角田光代)本当に、そうかもしれないなぁ、って思う。 人生は、福袋、いろんなものが入っている。
余計なことは考えず、 ありのままに素直に描写する必要がある。 (とにかく散歩いたしましょう、小川洋子)
雪月花エイコ🌹