知らないことは罪じゃない
私がフォローしている為末大さんのnoteで、「知らないことは罪なのか」というの投稿がありました。
上記の内容とは全く異なる話で恐縮なのですが、そのタイトルでふっと思い出したことがあります。
そもそも大学というところは「知らないことを学ぶ」場所です。すでに知っている人ならそもそも大学に来る必要はないのです。ですから「知らない人たち」、つまり学生に対して、教員は「知る」ことが出来るように努めないといけない。逆に学生は「知らない」ことを素直に認めて「知る」努力をしなくてはならない。
なのですが、双方ともにそういう根本的な意識のすり合わせが出来ていないような気もします。これは今に始まったことではなく、私自身が大学生のときもですね。
私が大学生のときに同級生と勉強していて、ふと基本的なことで引っかかって、「○○って、つまりどういうことだっけ」と悩んだことがありました。それでその同級生が「私、先生に聞いてくる」と言って出て行ったのですが、しばらくたってから「××先生に『○○を教えて下さい』と頼んだら、『アナタそんなこともわからないの』と怒られた」としょげて戻ってきました。
これなんかは教員側が「知らない人に対して知ることができるように努める」ことが出来ていない典型例ですよね。これを思い出すたびに「学生に真摯に向き合わなくては」と決意します。
でも、前述した「ふっと思い出したこと」というのは、それよりももっと後、ポスドク時代の話です。
ポスドクというのは「ポスト(post)ドクター(doc)」ですから博士号は既に取得していて、一応はその分野の専門家ということです。とはいえ、その分野のことを全部知っているわけではありません(未だに知らない)。
当時の上司と話していて、「それは△△ということでは」と言われたので、「△△って何ですか」と聞いたことがあったんですよ。そうしたら「そんなことも知らないのか」と蔑んだ目で言われたことがありました。その後、この上司とは意見の相違があるたびに「アナタは△△も知らないんだもんな」と小馬鹿にされたものでした。
知らないことを学べばもう「知っている」になるわけですけど、知らなかった時のことを言われてもねえ。
なので「先生、すごいですね、全てのことを生まれたときからご存じだったんですね」くらいのことは言い返してました。
「知らない」ということは悪いことではなく、むしろ「知らないから知りたい」という気持ちが学びにつながります。ですので学生には大いに「知らない」ことを自覚してほしいと思っています。そうやって「知らない」ことを「知る」ことが出来るような経験が出来るように、大学は存在するし私も存在しているのだと考えています。
うーん、こうやって書き出してみると、「あのときは腹が立ったなあ」ということが、私の考え方の基本になってるんですね。行った側の先生は多分覚えてないのだろうなあ。