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大学院時代の英借文の記憶

私が大学院生の頃、とある研究機関の研究員の方とお話ししていたときに、
「ガタガタ言ったって、『原著論文何本?』って話だよ」
と言われたことがあります。

私に向けて言っていたのか、その場にいない他の人を念頭に置いて言っていたのかは定かではないのですが、とにかく論文を書いていない研究者が何を言ったところで説得力がないと言いたかったのでしょう。

私は当時ピヨピヨの大学院生で、「論文を書く」どころか「論文を読む」のも四苦八苦でしたからね。論文を書く、しかも英語で、なんてとんでもなく高い壁のように思っていました。

私の最初の論文(サブではなくメインとして)は、博士課程のときでしたが、恥を忍んで告白すると、ほとんど指導教員が書いてくれました。私だって多少は書いた(はずな)のですが、部分的に直されるというよりは、全面的に書き直され、つまりはこの先生の文章になっています。

私はこの「note」で何人かをフォローしていますけど、それぞれの書き手に特有の「リズム」とか「文体」ってありますよね。英語も同じで、「リズム」や「文体」があります。

英語を読み慣れていないと「英語はどれも英語」じゃないですか。なので初心者の頃はいろんな論文から使えそうな文をもらってくる(これを「英借文」という)ことをしていました。得意満面で教授に提出すると、「文法として間違ってはいないけどもものすごく読みにくい」と言われるのです。つまり英借文のもとになっているそれぞれの論文の書き手が違うので、読んでいるとリズムが狂うんですね。そうなると部分的に直しても意味がないので全体的に書き直されたというわけ。

そうやって苦労して(いや、今から思えば私より先生の方がご苦労されたのだけど)、ここというジャーナルを選んで投稿しましたが、この時は(今の大学院生やポスドクの方は信じられないかもしれませんが)、何と郵送でした。編集部がアメリカやイギリスのような国際誌の場合、論文が到着するまで何日もかかるし、そこから審査員にまた郵送で送られて、その返信が郵送で、編集部で結果を取りまとめて著者に送る…という過程だったので、最初の返事が来るまで早くても2か月とかかかったものです。

で、数か月待って結果が「リジェクト」だったりすると、もう涙ナミダですよ。

今でこそ、耐性がついたというのかスレてきたというのか、リジェクトのメールが来たらもちろんものすごくガッカリはするのですけど、でもどこかで「次だ次」と気持ちを切り替えることが出来ます。でも最初の頃は毎回、研究室を飛び出して人目のないところでシクシク泣いていました(本当に)。

「そのジャーナルに合わなかっただけなんだから、とっととフォーマットを変えて違うジャーナルに出したほうがいいよ」

ともし過去の私に出会えたらアドバイスするんですけどね(無理)。

私が今までに出した論文の数なんて「吹けば飛ぶような数しかない」と昨日書きましたし実際その通りですけど、そうはいっても数十はあるわけで、これまで一つ一つ頑張ってきたんだよなあ、と突然今までの道のりを振り返ってみた今日の話。