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加齢によって得られたこと

私が仕切っている(ことになっている)プロジェクトの本番が来週に迫っているのですが、今日のんびりと実験していたら同僚がものすごい勢いで駆け込んできました。

「○○って、どうなってますか!?」
と突然言うので、私はキョトンとしてしまいました。

というのも、このプロジェクト、ほぼ毎年開催されているので、大体フォーマットが決まっているのです。なので、○○に関しては例年、職員が対応していて、教員はノータッチだったのですが…。

「いやいやいや、全然やってないらしいですよ」
と同僚に言われて、えーーーーーーー、と絶叫。

考えてみれば、「ほぼ毎年開催」といいつつ、去年は不開催だったし、コロナの期間もほとんどやってなかったですからね。この部分はこの人がいつ頃にやる、みたいな暗黙の了解が崩壊していたわけです。

そういうのも見越しての仕切りをしなくちゃいけなかったんだなあ、とめちゃくちゃ落ち込んでしまいました。同僚が気づいてくれなかったら、当日とんでもないことになっていました(ちょっと想像しただけでもかなりの惨劇)。これって結構なミスだよなあと思うほどに、同僚に合わす顔もない。私って使えないヤツだなー。ガックリ。

せめてもの罪滅ぼしのつもりで、ひっそりと共用スペースの掃除などしていたのですが(こういうときは単純作業をするに限る)、片付けが進むとともになんとなく気分が晴れてきました。だって、私がダメダメであっても、同僚のナイスなアシストのおかげで結果的に惨劇は回避できたんですもんね。直前になってバタバタしたのは申し訳なかったですけど、打てる手は打ったわけだし。そんなに落ち込む必要もないんじゃないか。

…と思えるようになったのは本当にごく最近のことです。私は昔からいろいろ引きずるタイプで、一回落ち込むとずーんと入り込んでしまって、しばらく立ち直れなかったのです。

それがここ数年、ずーんと落ち込んでしまっても、一晩寝て次の日になると「ま、いっか」と思えるようになりました。毎日毎日やるべきことは次々にやってくるので、いちいち立ち止まっていると滞ってしまうのです。ハイ次ハイ次とやっていかないと仕事が回りませんから、過去の変えられない出来事は流すしかない。20代30代はとてもそうは思えず、何日も何日も悶々と、鬱々としていました。この頃にそういう境地に達していたら、ずいぶん人生が変わっていたかもなあ(遠い目)。

とはいえ、それってつまり、心にグサッと刺さることがあったとしても、あまり響かないということじゃないですか。言い方を変えれば「感受性が鈍くなった」とも言えるわけで、瑞々しい感性みたいなものが失われた結果なのかもしれません。うーん、結局はトレードオフの関係なのか。

ま、いっか(←と思ってしまうのはいいのか?)。