ワンオーダー 〜キャッシュがないと戦えないヒーローとそれを支えるボクの話〜_3
結局、壇ノ浦さんは自分の支払いは自分で済ませた。
申し訳ないが、ないものは払えない。ボクは空になった財布を見て、うんざりした気分になった。
財布の軽さと、気分の重さは比例している。
ボクは一つ、名言を覚えた。
飲み会の帰り道、ほとんどの囲碁サークルやゼミのメンバーと同じく、壇ノ浦さんとボクは電車に乗り、帰路についた。
週末ということもあり、電車はそれなりに混雑している。
一つだけ見つけた空席に、壇ノ浦さんは倒れ込むように座った。
壇ノ浦さんはお酒が回って来たようで、頭をふらふらさせながら、電車の揺れに身を任せている。
せめてもの心付けとして、なけなしの110円でペットボトルの水を買い、壇ノ浦さんに渡していたが、特段、効果があるようには見えなかった。
「酔った〜」
壇ノ浦さんは苦しそうに窓に頭をもたれさせかける。
「結構、飲んでましたよね」
つり革に掴まり、通路に立ちながら、ボクは壇ノ浦さんの様子を見る。
今にも吐きそうな壇ノ浦さんが、本当に怪物と戦っているのか、疑わしく感じた。
「元を取らないと、ね」
弱々しい声で壇ノ浦さんが呟く。モデル的な外見に似合わず、意外と貧乏性なのかもしれない。
それにしても分からないことだらけである。壇ノ浦さんは何者なのか。あの怪物は何なのか。どうして壇ノ浦さんは戦っているのか――。
適度に酔った脳で思考を巡らそうとした、その時だった。
世界が、その場に取り残された。
ボクは電車の進行方向に吹っ飛んだ。
いや、ボクだけではない。その電車に乗っていた乗客全員が雪崩のように倒れ込んでいた。
鉄の削れる甲高い音が耳をつんざく。電車が何か強い力によって急停止したようだ。
何が起こった?
周囲から乗客の悲鳴と、うめき声が沸き上がる。
ボクの上に他の乗客達がのしかかっている。
息が苦しい。
外が見えない。
何が起こっている?
やっとのことで這い出したボクが目にしたのは、阿鼻叫喚の渦と化した車内だった。
ボクは他の乗客達が窓の方向に視線を集中させていることに気づき、視線の先を探った。
……窓の外に、怪物がいる。
バスケットボールほどもある巨大な目が、車内を覗き込んでいる。しかも目は2つどころではなく、無数にあった。とらえどころの無い身体は真っ黒で鱗が生えているようだ。ぎょろぎょろと乗客達を舐め回すようにそれぞれの眼球が動き、やがて一人の人間に視線が統一された。
「ひっ」
焦点を合せられた人間が声にならない悲鳴を上げる。それは囲碁サークルの副部長だった。
怪物の目が大きく見開かれる。窓を突き破り、身体の巨大さにそぐわぬ細長い腕が、恐怖に身を強張らせる副部長の身体を掴んだ。と、腕に筋が浮かび、副部長の身体を締め付け始めた。
「っ……」
副部長は苦しげに口から血を吐く。
悲鳴が上がる。車内は逃げ惑う人で入り乱れた。と、次々と窓が破られさらに多くの手が乗客達に掴み掛かった。掴み掛かられた乗客の身体から、悲鳴と血しぶきが上がった。
「壇ノ浦さん!」
咄嗟に叫んだ名前は、数日前、ボクを怪物から救ってくれた人の名前だった。ボクは乗客達にもみくちゃにされながら、壇ノ浦さんの姿を探した。見つけた。電車の隅で、乗客達に突き飛ばされながら、おぼつかない足取りで立ち上る。
大柄の男性が壇ノ浦さんを押しのけ、割れた窓から外に出ようとした。と、怪物の手が、男の頭に伸び、まるでシュークリームを潰すように簡単に頭を砕いた。
「壇ノ浦さん!」
壇ノ浦さんは真剣な目で、何かを呟く。
その瞬間、壇ノ浦さんはまばゆい光に包まれ、鎧を纏った姿に変貌を遂げた。ボクが数日前に見た、彼女の姿だった。
そして光の剣を腰から抜くと、人々に襲いかかる手に切りかかる。閃光とともに、怪物の腕が地面に落ちた。
ぎょろぎょろ乗客を見ていた無数の目が、壇ノ浦さんに向けられた。
全ての手が壇ノ浦さんに掴み掛かる。いくつかの手を薙ぎ払ったものの、壇ノ浦さんは複数の腕に捉えられ、身動きを封じられてしまう。
怪物の腕に筋が浮かび上がる。マズい。
と、壇ノ浦さんの鎧が光を放ち、怪物の腕が痛がるように離れた。
その隙を付き、壇ノ浦さんは窓の外に疾走する。そして見開かれた目の一つに剣を突き立てた。
耳を塞ぎたくなるような禍々しいうめき声が響く。鼓膜が破れそうだ。
怪物はのたうち回る。それに合わせて、電車が揺れ動く。
ボクは手すりに掴まり、戦いの行方を見る。
怪物の身体中に筋が浮かび上がると、大きく跳躍した。壇ノ浦さんは目に突き刺さった剣を握ったまま、怪物とともに、ボクの視界から姿を消した。
怪物の叫び声が少しずつ遠ざかって行く。
「だ、壇ノ浦さん」
慌ててボクは窓に駆け寄ろうとするも、床にまき散らされた乗客達の血に足を滑らせ、転んでしまう。起き上がると視界の隅に、副部長が倒れているのを捉えた。ボクは安否を確認するため、駆け寄る。
安否は、一目で分かった。
副部長は、出目金のように眼球を飛び出させ、下をだらりと垂らし、口からおびただしい量の血がこぼれ出ていた。そして上半身と下半身は、捻れてそれぞれ逆の方向を向いていた。
「ああああああああああああ!」
ボクは叫び、仰け反る。
副部長は確かに、面白くないギャグばかり言っていたかもしれない。お酒を飲んで他人に迷惑をかけたこともあったかもしれない。レポートを後輩に代筆させて、何食わぬ顔で単位を取ったことだってあるかもしれない。ヒカルの碁に憧れて囲碁を始めたミーハーだったかもしれない。だけど、こんな場所で突然、何の抵抗も出来ないまま殺されるような理由は何一つだって無いはずだ。
周りを見回す。
苦悶の表情を浮かべ、死んでいる人。バラバラになった身体の一部。腕を無くし、呻いている人。
そこは、まさに地獄だった。
誰かが救急車を呼んでいるのを横目に、ボクはいても立ってもいられず、電車を降りる。
振り返って電車全体を見ると、電車は先ほどの整然とした姿が嘘だったかのようにひしゃけていた。
ボクは息を切らせながら、あてもないまま、怪物が飛んで行った方向へと歩を進めた。
線路横の柵を越え、ボクは未だに震えが止まらない足を前に突き出し、よたよたと走る。
「壇ノ浦さん!」
怪物が近くにまだいるかもしれないという危険も忘れて、ボクは大声で名前を呼んだ。
「……何よ」
暗い声が、耳に届いた。
ボクは立ち止まり、声のした方を見る。
壇ノ浦さんが沈痛な面持ちで立っていた。
「あ、あの怪物は?」
「取り逃がしたわ」
「一体、何がどうなってるんですか!?」
壇ノ浦さんはボクの質問に答えず、辛そうな顔で線路の柵にもたれ掛かった。
「……今月の交際費、全部使っちゃった」
「……」
「コスパ、悪すぎ……」
壇ノ浦さんはそう呟く。
その言葉の意味を、ボクは図りかねる。
「全部、教えて下さいよ」
さすがにこんな事態に巻き込まれて、真相を知ろうとしない人間はいるはずもない。
「実はね」
何か言おうとした瞬間、壇ノ浦さんは苦しそうな表情を浮かべると、側溝にかがみ込み、嘔吐した。
先ほどのお酒が回って来たのだろうか。
もしかするとこの日、ボクは踏み入れるべきでない戦いの一歩を踏み出したのかもしれなかった。
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