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変な公務員 「電気の女」

新年明けましておめでとうございます。
早いもので三箇日も今日で終わりですね。
民間の友人達は皆月曜から出勤みたいですが、役所勢は揃って出勤です。何故か元旦や昨日出勤している公務員の友人がいたのですが、役所は三箇日から開庁するようになったんですね、知りませんでした(白目)。
それはさておき、今年は「発信」の年にしたいなと考えておりまして、新年一発目はどうしようかなと試行錯誤の上、こんなタイトルを持ってきてしまいました。(書いている本人はいたって真面目です。) 

年末に私の役所組織に対する思いをひたすら綴りましたが、その中で、役所の「慣習のダルさ」について書かせていただきました。
そこで、役所組織は「自分が経験した嫌なことを、下に受け継がせていくスタイル」と述べたわけです。勿論、民間問わずこういった慣習がいまだに残っている組織が少なくありません。
ただ、役所の場合、色合いとしては、かなり濃いめだなと感じる時があります。それも世間一般で「あ〜そういうやつね、うちにもあるよ。ダルいよね〜」というシロモノではなく、「え、どういうこと…」と文字面だけでは到底理解できない、あれですよ。あれ。
そんな一例を今日はお話しさせていただきたいなと思います。

1.電気の女


私の役所はお昼休みに一斉消灯をします。
結構こういった役所は多いのではないでしょうか?所謂、「ちゃんと節電してます。」アピールです。勿論、窓口業務が主体の部署に関しては電気は消えませんが、私のフロアは他の部署と比べてそんなに住民の方々が来ないため、問答無用で電気が消されるわけです。そうなると当然、誰かが再度電気を点けることになります。

「では誰が点けるか??」

お気付きでしょうか。
そもそも、生まれてこの方、部屋の電気を誰が点けたなんて気にしたことがありましたでしょうか?またそんなことを10秒でも考えたことがありましたか?
でも考えなきゃいけないらしいです。この組織。
ある日こんなことがありました。
私は基本、お昼休みは職場から出ると決めているので、普段は外でご飯を食べています。
その日も、チャイムと同時に席を立ちトイレで用を済ませ、外に出たのですが、財布を鞄に入れっぱなしだったことに気付き、再度デスクに戻りました。いつも通りフロアの電気は消えていました。なので、私は何の意識もなく電気を点けたわけです。理由なんかありません。ただ電気が消えていたのと、戻ってきた際に電源スイッチが近かったからです。本当に無意識です。だって自分の部屋の電気とか意識して点ける人なんていないじゃないですか。

しかし、その矢先、事件が起こりました。
その電源スイッチのすぐ近くでくっちゃべってた女性主任2人の内1人が突然、昼休みも仕事を必死にこなしていた、隣の課の後輩の元へ向かい、こう言い放ったんです。

「あのさ、今先輩が電気つけてたよ??」

正直、今までに感じたことのないショックを受けました。この職場、「誰が電気を点けるか」ということを、真面目に考えていたんです。
そもそも、AさんとかB係長が電気を点けたところで何か変わるんでしょうか?C主任が点けると電気消費量が増えるから点けられないんですか?D主査が点けると財布のお金減るんですか?
これ、別に誰が点けようと点けまいが、何も起こりませんよね。
そもそも電源スイッチ近くでくっちゃべってた女性主任の2人、貴方達は何故電気を点けないんですか?暗い中、後輩が点けるのをずっと待っているつもりだったんでしょうか?
これ、冗談を抜きにして何の生産性も無いんですよね。仕事している他の職員も後輩が点けるまで、暗い中で仕事をしてるってことですよね?それ捗りますか?電源スイッチが近い人が点ければいいじゃないですか。どうして近くに座ってる係の職員達は、電源スイッチから離れている後輩が点けるのを待っているんでしょうか。それに、女性主任が放った言葉は、後輩をムッとした気分にさせるのは勿論のこと、電気を点けた私に対しても「後輩が電気を点けるんだから、お前は点けるな。」と遠回しに言ってることになりますからね。誰も良い気持ちになりませんし、むしろ損しかしていません。まさに、「え、どういうこと…」状態ですよ。

2.まとめ

何故「後輩が電気を点けるまで待つのか」その答えは明白です。先輩職員達の「自分が経験」してきたことだからです。つまり、「自分が経験した嫌なことは、下にもやらしてはいけない」ではなく、「自分が経験した嫌なことを、下にも受け継がせていく」という慣習にあります。おそらく先に述べた女性主任もこのような経験をしているのでしょう。
前回も述べたように役所は組織柄、その体制が変わることはまずありません。組織体制へ合わせるように個人側が変化することを求められます。なので、悪しき慣習だろうが、その組織体制へ自分を合わせていくことが一番「楽」でもあります。確かに受け入れてしまうだけなら楽かもしれません。しかし、慣習は所詮慣習にしか過ぎず、それをどう捉えるかは、あとは個人の問題です。
そんな個人の考えに対して、それが終始「はてなマーク」の事柄でさえも「絶対的な正しさ」として認知させていく色合いが、あまりにも濃いところに、諸悪の根源はあるかと思います。
あの事件より少し経ってから、後輩と外でお昼を食べる機会がありました。
遠回しにその時の話しになって、言われたときは流石にイラついたそうですが、当の本人は気にしてる様子はなく、私より全然大人だなあと。
ただそれでもこんな記事を新年一発目に書いたのは、こんな慣習に染まりたくない、少なくとも私が考える「変な公務員」にはなりたくはない、そんな思いから生まれた小さな抵抗として、今回は認識いただければと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

今年もどうぞよろしくお願いします。






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