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役者になろうとしたのって…?(小学生編)

こんばんは。英二朗です。
またnote投稿します。

さて。今回のお話は。

『役者の道に進もうと思ったきっかけ』

です。それについてお話していけたらなと。

本日のお品書き(笑)はこちらになります。


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・小学時代編
・中学時代編
・高校時代編
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あれ。このお品書き。前回と #モラ忠 と同じ感じが…
お?また長文コースか…?
もしかしたら、そうかもしれないです。
なので、今回は。各項目毎にタイトル分けて書いていこうと思います。
文章力がもう少しあれば上手くまとめることができたのかもしれないのですが…💦

それでは早速。小学生編。です。
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【役者を目指すきっかけ 〜小学時代編〜】
 そもそもなのですが、小さい頃、テレビには出たいという気持ちがありました。漠然とはしていましたが。

"有名になりたい。"

本当にその理由だけです。

小学校低学年の頃のお話にまで遡ります。
当時、夕方のリビングのテレビで18:00〜18:55くらいまでゴールデンタイム(自称)がありまして。

①おじゃる丸
②忍たま乱太郎
③天才てれびくん

が流れていました。物心ついたときから天てれをずっと観ていたわけです。
当時、年齢が近い人達がテレビに出て、歌を歌ったり、ロケに行ったり、色々な企画に挑戦したり、夏イベで舞台に立ったりと様々なことに挑んでいる姿を見て、
自分も天てれに出てみたい…!
と密かに思っていました。
(特に当時てれび戦士である小関裕太さん、渡邊エリーさんの演技に惹かれたというのも一つの大きな理由だったりします。)
でも、前回のモラ忠論文(?)でも記載させて頂いたと思いますが、昔の僕は自身の気持ちというか、意見を言うのが苦手だったこともあり。中々両親に言えず。モヤモヤしたままの日々を過ごしていました。

小学5年生終わりかけの3月。自身の人生で大きな出来事がやってきます。それが…

" 潰瘍性大腸炎の発症 "

です。
(※厳密に言えばもっと前に発症はしていましたが、病名がわかったのはこの時期でした。)
ここから少しだけ話逸れます。

 小学4年生に母と病院へ行き、漢方薬を処方してもらって、ずっと飲んでいましたが治らず。その後、大きな病院にて大腸に空気入れながら様子を見て貰いました。
(このとき麻酔も打ってない為、お腹が張り裂けそうな感じで苦しく、終始大声で悲鳴あげてました。扉閉めてても母は声聞こえたみたいで。本当に病院の方にご迷惑をおかけしたと思います…💦)
 でも、それでも分からず。また別の大きな病院へ行き、内視鏡検査を受けたんです。そこで初めて『潰瘍性大腸炎』という病名が判明しました。

そこから担当の先生から。
『症状が大分悪化しています。入院が必要です。』
人生初の入院でした。

 ちなみにこの潰瘍性大腸炎。大人の方が発症することはあるのだけど、子供がこの症状になるのは稀とのことで。当たり前だけど嬉しくはなかったです。

 同級生のみんなは元気に外で走り回って遊んでいるのに自分は病院から出れないし、お腹はしんどいし。
(どうして自分だけこんなことになってるんだろ…)
って、本気で落ち込んでいました。

病院に居てもできることは殆ど限られていて。
ぼーっとしながら病室のテレビを点けてたら天てれの時間がやってきて。

色々な企画にチャレンジして、涙を流しながらも最後までやり切る同年代のてれび戦士の姿を見て、

『あんなに諦めずに取り組んで頑張っているのに、自分は病気になったくらいで落ち込んでどうするんだ…』

と、なんだか勇気を貰った気がしました。

前に一歩踏み出す勇気を。

薬を飲んだり治療を行ったりで、2週間ほどの入院生活を終え、無事に退院。

その頃から漠然とした目標が少し明確になりました。




" 自分が勇気を貰ったように今度は勇気を与える側に、何かしらの一歩を踏み出すきっかけを与えることができる人になりたい "



この時は役者になりたいとは思ってはいませんでしたが、上記の目標はありました。


と、小学生編はここまでになります。
次は中学生編を書いていこうと思います。


まぁまぁな字数に拙い文章ではありましたが、ここまで読んで頂きまして、ありがとうございました。

西田英二朗。

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