約20年勤めた会社を辞めた経緯②
当時の仕事はもうこなすだけで精一杯。打合せ、積み込み、運転、設営、この繰り返しを延々としていたなと振り返ると思い出します。
そんな中で当時ほぼ同期の3人で倉庫作業していて今日でピークは終わるのか
明日で終わるのかまだまだピークは先なのか・・・と話しながらしてて出した結論は・・・いつか終わるから頑張ろう!でした笑
どうやったら効率がいい動きができるか積み込みレイアウトや降ろす順番のシュミレーションをひたすらやっていました。そんなことをやっていると人が積めなかった内容物を俺なら出来る!みたいな特技が生まれ、見ただけで最適な積込レイアウトを頭の中でできるように。これは多分元々テトリスが好きでこれの応用だなーと勝手に頭の中でやったんだと思います。
段取りとしても電気や水道が分からないのに物産展などのリース什器を取り扱うことで強制的にやる事を体に染み込ませながら覚えていってました。当時の僕はいつ電話がなってもいいように常にオン。しまいには鳴ってないのに聞こえたり、夢に出てきて飛び起きたり・・兎に角仕事命でやってたと思います。生きた心地がしない時多数です・・・。(それだけ担当の方も厳しかったし真剣でした。)
厳しい反面、オフの時や仕事ではない時など優しく接してくれてたのを覚えています。ゴルフをしない僕をスノボに誘ってくれたり共通の趣味のカメラで撮影に出かけたり何かと気にかけてくれたのを今でもよく覚えています。
2005年に担当していた百貨店が経営不振のため閉店となり僕の現場は突然なくなります。入社して9年から10年目の頃、やっと慣れてきたころ現場で慌てることがほぼなくなったなと覚えてます。
その年の5月に閉店、で辞令が出て9月には地元福山の営業所に転勤で赴任しました。
地元とはいえ専門学校が岡山通学、就職してほぼ10年岡山だったので福山は地理以外ほぼ知らない場所になっていました。今まで頑張った事は報われるのだろうかそんな想いで一から福山で頑張ろうと地元に帰ってきました。
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