カケイエイジ独白録
ユング心理学はご存知だろうか?
その中で自分が注目する概念としては以下の2つがある。
1, ペルソナ(心の仮面)
個性があるかのように見せかける仮面
2, シャドウ(影)
自分では認めたくない自分
不幸なことに自分はシャドウやペルソナを場面に応じて使い分けるのが得意なようで、多くの人に自分の正体は知られていない。
それはつまり周囲の人間に無意識の「嘘」をつき続けていうと言うことだ。
普段周りの人からも謎が多いと言われやすい。
あまりにも誤解もされやすい。
このnoteを読めば、日頃の自分の発言は何に基づき、いかにして自分がこうなったか分かるかもしれない。
かなりの長文にはなるが、包み隠さず自分の魂を全て書き綴ったものなので、是非気になる部分だけでも読んでもらいたい。
ゲームにより醸成された人生哲学
幼稚園時代の思い出のほとんどはこのゲーム「ポケットモンスター エメラルド」だった。
タイプの相性も理解せずに攻略本にかじり続ける、1年以上の時をかけて全てのポケモンをLV100にして、やっとのことでクリアした。
ただ何も分からないなりに、複数のポケモンを同時並行で育て上げた。
ポケモンの育て方にはその人の気質特性が反映されているなと感じる。
①1体だけLV100にする→一芸(最大の武器)型
②複数体のレベルを上げる→武器ストック型
③クリアできる程度に育てる→回避型/攻略型
④通信対戦で勝てるよう育てる→競争型
今も自分は一つの武器を極めるというよりは、色々な武器を使い分けるタイプである。
猿山争いだらけの周囲に失望した
自分が所属していた和太鼓部はポジション争いが激しかった。
時には保護者が介入してきたり、権力のために非道な手を使ったりと、とにかく自分の目には醜く映った。
当日辞める勇気もなく毎日愚痴を繰り返していた自分は思いついた。
「高尚な理由ならば部活を離れられる。アメリカに逃げよう」
「嫌なものから距離を置く」というマイナスの理由から、王道を外れた自分の物語が始まることになる。
「日本は終わる。」と気づいた日
LA(ロザンゼルス)に渡ったのは高1の夏だった。
ずっと日本で過ごしてきた自分には全てが新鮮な体験。
ただ同時に残酷な真実にも気づかされた。
「日本人は劣等民族かもしれない。」
何をやっても同期はおろか5歳下にも勝てたもんじゃない。
サウジアラビア富豪のゲイのルームメイトは今の貯金を何倍しても敵わない資産を持っていたし、生きた年月が同じとは思えないほど幾たびもの苦難をなり超えてきたであろう眼差し。
挙げ句の果てに自分が帰国した後は、電話越しに聞こえてくる嘆き
「日本人の友達が暴力を振るわれている」
これを聞いた時のショックは計り知れなかった。もっと悲惨なことも起こった。
この日を境に自分は
①広い世界を見よう、井の中の蛙にならぬよう
②比べるべきは日本でなく世界である
③日本はこのままだと終わる。植民地にされるか文化的に殺されるか。
を念頭に置き続けた。
周りの日本人と比べることはしない。
全ての行動の源泉は今思えば「富国強兵」だったのかもしれない。
色を集める長い旅へ
まずは ①広い世界をみることに拘った。
自分は高校がとても好きだったが、辺境かつ男子校と異質な空間だったので、一度離れてみたりもした。
学生団体やデザイナースクール、これだと思ったものはとりあえず踏み込んでみた。
この時辺りから自分に残された時間は意外に少ないという認識になり、生き急ぐような感覚もあった。
この世に存在する様々な世界を自分は色で識別していて、個人の内面にも色眼鏡という世界観が存在すると私は呼んでいる。
色集めは現在進行形だし、きっと死ぬまで続くのだと思う。
魂を燃やそう。武装化戦国時代
そしてLAから帰ってきた後は、自らを強くすることと世の中にインパクトを残すことにひたすら固執した。まさに戦国の世である。
そうは言っても自分が純粋にやりたいと思うものに全力投球しただけだ。
学園祭が好きで今までも団体代表をやってきたから学園祭のTOPも出来るだろうという考えは浅はかだった。
本物のリーダーは全ての仕事を自分でやってはいけないこと。
ホウレンソウを怠るとどうなるか。
人は自分たちが思ったようには絶対に動かない。
全てを思い知らされた。
高校時代の約半年間を全て捧げ、勉強も遊びも全てを犠牲にした。
仲間との衝突も厭わなかった。
高校のトイレで吐き続けたときもあった。
何度も過労で倒れた。
今までの人生でこれほどまでに苦しかった経験は正直ない。
だが、この苦い経験があったからこそ、大学の学園祭やビジネス、就活など全ての門を切り開くことは難しくなかった。
自分は「気概」という武器と、その他いくつもの武器の素材を手に入れた。
文系が理系への転生
受験勉強について話すことはそれほどないが少しだけ。
得意な科目は社会だった。
分厚いノートに延々と世界史年表を書いていても飽きることはなかった。
だが、自分は理系に行った。
「ディズニーリゾートを作りたかったからだ」
こんな子供じみた理由で自分は長きにわたり都市計画を志し、大学も都市計画を学べる建築学部を受験する。
運命に導かれ早稲田大学へ
建築が有名な某国立大学を目指していたが、なんと最終的に自分が入学したのは早稲田大学の土木科だった。
早稲田大学は当時、正直嫌いだった。
チャラチャラした雰囲気は嫌だったし、早稲田卒の高校の担任が好きになれなかった。
指定校推薦も私立コースも心の底で憎んでいたし、国立至上・私立排他主義だった。
さらに自分が入ったのは建築学部でなく土木の学部だった。
実は入試直前で受験する学部を変更したのだ。
早稲田の建築学部はデッサンの試験の結果だけでも合格することが出来る。つまり、勝負するフィールドは「画力」。自分も絵は下手ではないが、その力だけで戦う自信はなかった。
自分は色々な武器を使い分けるタイプだ。
それだったら構造も水理も土質も都市計画も学んでやろう。そう思った。
今では理系の土木に進んでよかったと思ってる。
抽象的な言葉遊びだらけの自分が文系に進んでいたら、今の自分の武器の一つ「ロジカル」は身に付かなかっただろう。
こうして自分は文系と理系のハイブリッドというレアキャラとなった。
サークルは居心地が良かった。 だから離れた。
大学入学後、10以上のサークルに入った。
高校時代でさえ部活を辞めた自分にとって、たくさん取ったカードの一部を捨てることは何の抵抗もなかった。
そして、フラッシュモ部が自分の手札に最終的に残ったカードだった。
1年生の前半は本当に真剣に取り組んだ。
ほぼ全てのイベントに参加していた。
周りの人は全員寛大な人間性を持ち、尊敬できる人が山ほどいる安心・安全の場だった。
ターニングポイントは初めての早稲田祭の時だった。
再び自分が早稲田祭のステージという舞台をイチから創り上げることになった。
全力投球するごとに、高校時代の感覚を想起してきた。
「マジョリティに迎合する」
「人の目を気にする」
大学生になって異質だった自分には「普通」がこびりついてきていた。
これは男子校の弊害でもあるが
「異性を異性と見なすから猿のままなのだ」
自分はもう一度、早稲田大学という男子校を4年間過ごすことに決めた。
何にも縛られずに自由に生きるために。
サークルから離れた理由は、保守的な自分を見た過去の自分は悲しむだろうと思ったからだ。
2つ目の理由は「コミュニティ進展不可逆性」である。
※「コミュニティ進展不可逆性」(自称)
…レイヤーの浅いコミュニティから深いコミュニティに行くことはできても、深いコミュニティから浅いコミュニティへの移行は難しい。
会話のレベル感や意思決定モデルのクオリティを下げるのは、プライドや信条が許さないだろう。
ただフラッシュモ部を辞めることはなかった。
多忙を極めサークルに行くのが半年に1回になったとしても部費は払い続けた。
あの場は特殊なコミュニティとして機能していた。言葉では表せないが、多様な人材が流動的に出たり入ったりする滞留場のように。
このカードはいわばUNOの「ワイルドカード」
どの色のカードに対しても出せる最大の切り札
使うべきタイミングは永遠に存在するカードである。
そして自分が次に矛先を向けたワイルドカードは「武者修行」だった。
「武者修行を卒業しろ」の真意とは
武者修行はベトナムで新規事業立ち上げを行う海外ビジネスインターンである。
「武者修行」という言葉を聞いたのは早稲田大学内のセミナーで、どうも怪しいし自分には関係ないとしか思ってなかった。
だけど、どうせ放浪者で色集めをしている自分には時間があったし、何かにチャレンジすることに抵抗はなかったのですぐに参加を決めた。
武者修行は「変態(違う自分に生まれ変わること)」を提供するというパンチの効いたコンセプトを掲げていた。
結論から言うと「僕は変態しなかった。」
元から自分を変えたいという思いは持ってなかったし、ビジネスの根本は学園祭実行委員で嫌という程経験していたので、まるであの時を繰り返しているかのような感覚だった。
だが、大きく変わったのは自分の視野だ。
今まで何も面白いことなどないと思っていた大学生活も、武者修行から帰ってきたら宝の山に見えた。世界のレイヤーが1段階上がった。
「なぜ就活は3年生がするものなのか?」
「大学を創るのは大学生のはずではないか?」
「世の中をこんな姿にしたのは誰の仕業か?」
疑問は絶えなかった。
これが武者修行の提供する
自走式エンジン®️ の力かと感服した。
※自走式エンジン…自分で考えて行動し、結果を出せるようになる力
このときに「武者修行プログラム」は社会的に価値があるものだと確信した。
「富国強兵」という自分の理想とそれが一致し、歯車が回り始めた。
その一方でずっと気になるのが、当プログラムのFT(ファシリテーター)だった ごっさん(後藤大輔さん)のあの言葉だ。
「武者修行から卒業しろ」
ごっさんの発言は毎回興味深かったが、プログラム最後のこの言葉はとても印象に残った。
この言葉はその後ずっと頭に残り続け、咀嚼できたのはもう少し先になる。
人の闇が見える千里眼
武者修行から帰ってきた後は、縁あって武者修行プログラムを運営する(株)旅武者で長きにわたり働くことになる。
自分自身このプログラムの社会的意義は実感していたので、この身を捧げる気持ちでいた。
最初の仕事は大学生に向けたプログラム説明会を実施する営業と、早稲田周辺の営業のマネジメントだった。
営業といっても扱う商材は「プログラム」という大きな人生の分岐点なので、相手自身が気づいていない彼らの挑戦心や相克、迷いを明らかにするのも立派なお仕事。
そこで初めて忌まわしき自分の千里眼が日の目を見ることになった。
千里眼と中二病な表現で書いてあるが、別に特殊能力でも何でもない。
理由こそ分からないが、人の欲望や負の感情がはっきりと見えてしまうのだ。
部活を辞めてしまったのも猿山争いの醜い感情が脳裏を離れなかったからだし、町内会の忖度に思わず口出ししてしまう幼少期だったらしい。
相手の悪い部分のみ見えるなんてろくでもない才能だが、良く言えば深いレベル感で物事を観れるということ。
この力はクリティカルシンキングという形で、一つ目の己の剣となることになる。
「就活」に利用される前に 「就活」を利用する
旅武者で急にマネジメントしろと言われても、当時ビジネスのいろはは何も知らなかった。
時間をかけずにビジネスやその周辺の組織論、キャリア論を学ぶのに一番有用なものは…。
考えた結果辿り着いた答えが「インターン」だった。
「大学2年生はインターンに行かない」も先入観でないかと思い、1個上の世代の世界に思い切り飛び込んでみた。
周りの人々は「カケイは就活をしている」と口々に言うが、これは大きな間違いだ。
俺がやっているのはインターンである。
多分俺は周りよりも「就活」“したい”という意思は薄いように感じる。
表層的に見れば確かに就活マウントを取ろうとしているだけに見えると思う。
自分がインターンに行く理由は3つ
1, インターンはタダで有用なインプットの場
2, この社会がどんな構造をしているか知る
3, 就活という教育の根幹を改革する糸口を掴む
「就活するためのような大学生活だな。どのエピソードを取ってもガクチカだ」などと皮肉を言われるが、その考え方自体がナンセンスで友達になれそうにはない。
俺は俺だけの人生を生きて、ガクチカとかいうエピソードは副産物だ。
こんな王道を外れた自分のことでも気に入ってくれる企業がいて、両想いになった企業もある。
だが、今後誰よりも俺が就活で苦労することは自分が一番よく分かっている。
だが自分は自らのベクトルを曲げることは、少なくとも学生である内は絶対にしたくない。
それは自らを社会から抹消する気がしてならないからだ。
神に近づこうとした
大学2年生から色々な会社でインターンをしていた自分は「優秀」という言葉を浴び始め、天狗になっていた。
そして上へ上へと駆け上がることに重きを置き、その度ごとに得られる身に余る肩書きに酔いしれていた。
人を尊敬することなく、畏怖の心は神へと向けられ、神の袂へと近づきたいという衝動に駆られて行動を起こしていた。
だが、神へと向けられていた情熱は、実は魔王へと向けられていたのだった。
闇の力は強大だった。
憎悪や復讐に裏付けられた反逆の翼は、幸せや希望から生じる原動力とは比べものにならないほど大きく、命を削るかのようにあらゆることに熱中してしまった。
実は今振り替えると肩書きや闇などというくだらないものに振り回されていた時期も、ただ純粋に一緒にいて楽しい存在が欲しかっただけなのかもしれない。
いつの間にか「優秀」という言葉を浴び疲れ、自らに甘言を与える周囲をも憎む化け物へと変わり果てていたのかもしれない。
だが、この「肩書き症候群」や「上昇志向の落とし穴」に早く気づくことができたのは、その後の人生を豊かにするのに有効だったと思われる。
早稲田大学は本当に私学の雄か?
散々強大な力に振り回された自分は疲弊してしまった。
でも、それでも、自分の闇の炎が消え尽きることはなかった。
ただ、その炎の中には確かに希望の火も灯っていた。
早稲田大学には
「私学の雄としての不甲斐な」という絶望と「個々人の可能性の大きさ」希望の
両方を感じていた。
多様な領域で活躍する早稲田生はお互いのことを知らないだけなのかもしれない。
YouTubeチャンネルで様々な面白さを発信し続けよう。
就活を通じて大学生は大きく成長する。
はじめは形式的に取り組む就活も、それをきっっかけとして新たな人生が切り開かれるかもしれない。
その一心で就活エージェントの門を叩いた。
今でも考えうることを全て形にしているが、どれも絶大な影響を持つものではなさそうだ。
何故、早稲田大学そのものにそれほど干渉するのだろうか?
おそらく、自分の行為全てが劣等感の現れなのだろう。
認めたくなくても、国立や医学部に行った友人とどんどん学力差が開く一方で、
学力以外で自分の存在価値を見出さないと仕方なかったのだろう。
自分の名前で仕事をする 自分の力で仕事をする
北野唯我さんと話したのはONE CAREERのインターンのときだった。
世の中の動きなど何も知らなかった自分は、北野さんのことを「よく本屋で本の帯に書いてある人」と失礼なことを言ってしまったが、短い面談で言われた一言はかなり心に刺さった。
「自分の名前で仕事できるようになると見える世界が変わるよ」
そのときに、ああ、今までの自分は組織の力を借りていたから上手くいっていたのか。
組織から与えられた力だったのかと思い、悲しくなった。
その後にもある人に
「やっぱりやることなすこと、レールの上だから面白くないなあ。一度コケないとね。」
と言われた。
個人的にはそこそこ面白いことをやっていると思ったが、それら全て想像の範囲内であって、自分はクリエティブな人材ではなかったようだ。
その後はボカロを作ってみたり、ES自動生成AIなどとくだらないことを続けた。
でも実は、そんなくだらないことこそが自分が真にやりたかったことで、今までで散々追い求めてきたことは名声に目を眩まされていただけかもしれない。
5年前の自分が書いたと思われる「将来やりたいことリスト」には確かに「ゲーム/ボカロを作る」と書いてあった。
弱み>強みという発見
ネオキャリアのインターンで、また自分の価値観はひっくり返された。
自分の今までのやり方とあり方が真正面から否定されたからである。
今まではお山の大将で誰も自分を咎める人はいなくて、自分の弱みは強みより数多いという根本的な事実を忘れていた。
この事実は自分の無根拠な自信を全て消し去り、自らを原始回帰させた。
実はこのnoteを書いたのも、このインターンがきっかけである。
みんな俺のことを知りたいという思いで、いくつも質問を投げかけてくれた。
「今までで一番の親友は?」
「好きな人のタイプは?」
「将来何をやりたいの?」
俺はそれら質問のうち、一問たりとも具体的な答えを出せなかった。
本当に自分がこの世界に20年間存在していたのか疑うほどに。
誰にも自分の本当の姿を知られずに死んでいくのも悲しく無念である。
だからこそ、このように誰が読むかも分からないnoteを書いて、自分の生きた痕跡を残すことにした。
黒幕への共感
月9ドラマの「シャーロック」を見ていたら守谷(モリアーティー)という黒幕の男がこういう言葉を口にした。
「僕たちのような天才は、日常の薄っぺらい喜びに価値を見出せなくなった飢えた獣ですよ。つねに退屈している。」
この言葉を画面越しで聞いてゾッとした。
俺もまた日常の些細な喜びで嬉しがっている振りをして、ずっと大きな刺激を求め続ける獣である。
人生を振り返ると、いつからか幸せの感覚が麻痺していたようにも感じる。
身を擦り減らしてまで何かに執着する自分の態度は、家族からも、恋人からも、友達からもこっ酷く怒られた。
何故生きて、美味しいご飯を食べて、愛し愛される人に囲まれる喜びを、素直に享受できなかったのだろうか。
そう感じたときにはすでに、自分は怪物から人間に戻っていた。
どうせなら中二病を極めよう
ここまではメンヘラみたいに自分の過ちを書き綴ってきたが、実は自分自身、今までの人生で後悔など一つもない。
悲劇のヒーローのような書き方をしたのは、個人的に読んでくれた皆さんに伝えたいメッセージがあるからだが、それは受け取り手に委ねることにする。
文章を見てもらえれば分かるように、僕は中二病を拗らせている。
スイッチが入ればめちゃくちゃ真面目にもなるので、別に中二病を治したいとは微塵も思わない。
むしろ、中二病を極めたことが自分のアイデンティティの1つになっていると思う。
おそらくここまで読んでくれた方は中二病を解する心があると思うが、僕は深いレベルの話を中二病用語を通じてしか形にできなくなった。
「Steins Gate」というアニメが一昔前に流行ったが、その主人公「岡部倫太郎」が理想的な中二病である。
熱い思いを持ち真剣な話をすることもあれば、普段は中二病な語りで簡単なことを小難しく言っている。
たとえ人にその言葉は届かなくとも、過去の自分も言葉が未来の自分に届けば十分なのだ。
哲学を集める人生
僕の人生の目的は「自分の人生をまとめたときに面白い本が出来上がるような人生を作ること」である。
決して本を作るために人生を全うするわけではないが、結果的にそのぐらい濃密な人生になればいいとは思う。
このnoteも、今後生涯にわたって書かれる本の序章になればいいと思う。
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