僕がなぜ生き急ぐのか。-後編-
ということで後編です。
ではでは今回も懐かしの写真と共にお話しして行きます。
後編の目次
◯ある社長との出会い
◯??万円をかけた大勝負
◯全部辞めてみる
◯なぜ生き急ぐのか
〜ある社長との出会い〜
前編で話した通り、なんとなくオリジナルで始めた営業ですが基礎を誰からも教えてもらってなかったのでとりあえずコミュ力をあげよう!そのためにいろんな人と会おう!と考え、
TwitterでDMくれる人に片っ端から話していこうキャンペーン
を開始しました。
FXしてるひと、学生で社長してる人、ブロガーさん、ネットワーカーとか投資とか、◯◯◯とか。
何人かは今でもお付き合いある人も居ますがやはり良い人ばかりってわけではなかったです。
良い人ばかりじゃなかったというと一部の人を全否定しているようなので言い方を変えます。
当時の僕は社会からすると圧倒的な情弱だったので、何も知らない領域の話を、相場もわからない状態で話を聞いていたので少し怖かった=俺を騙して稼ごうとする悪い人に見えてしまった。が正解です。
2ヶ月で50人ぐらいにTwitter経由でお会いしお話して当時の僕は3つのことに気づきました。
1. だいたい情報量で負ける。
2. 経験値が少なからず相手が上なので何か最後に売り込まれる。
3. カフェ代が莫大な額かかる!!
あと一番強く思ったのは
やったことないことを頭ごなしに否定している人が多すぎる。
ということ。
投資の人は営業マンを否定し、ネットワーカーはバイトを否定する。あくまで一例ですが。
やったことないからこそ説得力もないしこんな人になりたくないなと思ったので全部やってやろうと思いました。
当時一番欲しかったのは営業スキルだったのでTwitterでDMをもらった大阪の社長されているKさんの元に行くことにしました。
〜??万円を賭けた大勝負〜
(こんな時もありました。)
K社長に営業コンサルを受けたい趣旨を伝えると条件が提示されました。
営業のコンサル費用は初期10万円/月1万円欲しい。
当時の僕の口座には10万という大金なんかなかった。
どうにかできないかと交渉したところ、
◯支払いは2ヶ月後の末日
◯この営業コンサルを他の人に売った場合5万円/人あげる
◯毎月獲得すれば月の費用を引いて4万円あげる
…
初月2件とれば1円も払わずに営業コンサル受けれる.....!!!
(超単純明快!!)
すぐに契約書を書き、営業コンサルを受けることにしました。
それから2週間は毎日学校終わりに新大阪に行き、営業を学びました。(京都からは遠かった。)
とりあえず守破離が大事だとしつこく言われたので社長の思考、言動、仕草をメモし、何もかもをコピーしました。
当時のメモには殴り書きで
”まずは相手のことに興味を持つこと”
”瞬発的に共通点を見つけ出し会話を相手主軸で広げること”
”相手を思い提案すること。ゴリ押しで売らないこと”
”商談の主役は自分ではなく相手であること。一回で決めようと思わないこと。”
”身振りと笑顔は忘れないこと。”
汚すぎて読めたもんじゃないです。
そして普通2ヶ月かかる分を2週間で終わらせ、すぐにTwitterで集客開始。
ここはイベントで慣れている分野だったので15名(学生と社会人)にアポイントを切り、3週目で2件、4週間目で1件獲得し無事15万円を獲得しました。(耐えた〜。)
そしてそのあと、もう学ぶことは無いな、と思いその週には社長の元を離れ違う商材を扱うことにしました。
その後、扱った商材リスト
ネット回線の訪販
携帯ショップ
太陽光
情報商材
海外輸入
国内転売
アフィリエイト
法人電力 などなど。
7割失敗、3割成功って感じでした。
そこで稼いだお金でオセアニア、インドネシア、東南アジア周辺を約10カ国旅しました。(超楽しかった。)
ただ先ほど言った通り7割失敗だったのでマイナス分の総額は250万円超。
よくこんな額になるまで挑戦できたなと思います。(もう二度とやらん。)
そんな感じで色んなことを経験し、自分のできること、相性のいいものがわかって来たので一気に色んな会社に参画していきました。
約1年で所属法人5社、業務委託2社まで増やし、
当時(3回生〜4回生秋)の月収は”30万円〜80万円”
事業の関係で年末の売り上げは特にフィーバーしてました。(むっちゃ調子に乗ってた。)
そしてそんなに就職活動してなかったのにオファーなどをベンチャー企業から大手企業まで様々な会社から内定を27社(内々定も含む)を頂きました。
そして4回生の12月。
友達と一緒に東南アジアを回ってる時に死ぬほど悩みました。
あれ?卒業したら何をしたらいいんだろう。
営業活動の延長で作った法人、委託企業、内定をもらった企業。
居場所はありそうで無い感覚に襲われました。(上手く言えない)
そこである決断をしました。
〜全て辞めてみる〜
自己分析とかしなくても自分のことは自分が一番わかるから大丈夫という自負があったので何もしてなかったからなのか、自分が何者なのかわからなくなってしまいました。
なのでシンプルに
全部やめました。
収益源となっていたところは全て権利譲渡し、名刺も捨て、まっさらの状態で卒業しました。
(その直後、3回生時に立ち上げた飲食店のイベントで◯◯があり、追加で借金を背負うことになりましたがここの話は会った時に聞いてください。)
そして社会人1年目の春に個人事業主 万事屋(よろずや)を創業。
(京都の高校で講演した時の写真)
この名前は”なんでも屋さん”の意味で捉えられるのですが、何者かわからなくなっていた自分にとってはちょうどいい名前がこれしかなかった、というのもあります。
その後の話はFacebookのプロフィールに書いていたりするので簡略させて頂きます。(詳しく聞きたい方は会ってお話ししましょう。)
では、
最後にちょっとしたまとめを。
〜なぜ生き急ぐのか〜
僕は抽象的な概念を追求するのが嫌いだ。
例えば”幸せとは何か”とか”なぜ生きるのか”とかよくバズるnoteでよく見る言葉だ。
後輩達によく、”数字と売上が上がればいい”、”絶対KPI主義”とかそんなイメージだと言われる。全然間違ってない。その通り。
今は目に見えるもの(数字)に主に焦点をあて物事を考えるようにしている。
なぜか。
シンプルに 怖い から。
なぜ生きるとか、幸せとは何かとか
そんなの考えだすと仕事なんかしてられない。
-昔の嫌な思い出が頭を過る
おそらく僕はこの年齢にしては他の人より
死という理不尽なリアルに触れて来た。
地道に頑張ってたあいつも、
将来有望とされてた奴も、
可愛がってくれた先輩も、
死というリアルには逆らえない。
人は死をプログラミングされて生まれてくる。
けどその終わりが見えないまま生きる。
偶然のようで必然的なタイミングで終わりを迎える。
仕事を全部辞めた時もそうだ。
ポジティブな意味じゃなくて仕事をする意味が見出せなくなった。
逃げるところなんてないのに死というリアルから逃げようとした。
でもとりあえず逃げた。
今までの活動も自分が都合よく理由つけて生きる意味、モチベーションにしてたとか考えるととても虚しかった。
その日から終わりがいつくるのかを意識するようになった。
1時間後、明日、来週、来月。
いつ来てもおかしくない。
だから”今”を生きようと思った。
よく人から”これから将来何しようとか考えてるんですか?”と聞かれるがいつも”わからない”と答える。
結局”今”が全てだと思う。
誰かと知り合う、縁を切る、成功する、失敗する
全てはもう神様の決めた運命とやらによって必然的に決まっている。
その中で何をするか。どう生きるか。
そんなことを考えると
全然時間が足りない。寝たくない。
最近は特に色んな人と出会う機会が増えてきた。
一緒に仕事したい人も、遊びたい人も増えた。
手離したくないものが増えた。
みんなとやりたいことが多すぎる。
だからまだ止まれない。
急がないといけない。
-
なんにせよどうせ生きるなら
色んな経験して
思いっきり失敗するでも
なんでもいいから
絶望は味わった方がいいよ。
知らんけど。
じゃあね。
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