僕がなぜ生き急ぐのか。-前編-
どうもこんにちは。
流離いの黒豹こと吉川英治(よしかわえいじ)と申します。
(なんとなく良い感じの写真を差し込んでみた。)
いくつか記事を書き溜めてるのですが、最近よく身の上の過去の話をよく聞かれることが多いので何があっていまに至るかを話して行こうと思います。
先に行っておきますが結構長いです。すいません。
前編の目次
◯吉川英治とは。
◯大学生活を変えた学生団体。
◯ある社長との出会い。
ざっとこれまでのプロフィールをまとめて書きます。
吉川英治(よしかわえいじ )
京都嵐山出身/94年生24歳/京都府立洛東高校国際C学科/関西外国語大スペイン語学士/旅人/DJ/デザイナー/個人事業主2回開業/所属法人10社目/借金約100万円
大学一回生:クラブイベントで学生団体I-RISに出会う。ラオスへの渡航をきっかけに国内で協賛営業活動を開始。回線やモバイル、コンサルなど様々な商材を扱う個人事業主を開業。内閣府のプロジェクトで東北に被災地の風化防止活動員京都代表メンバーとして派遣され活動を行う。
大学二回生:個人でイベント団体、営業団体の設立。学生団体I-RIS2台目代表に就任。メンバー数が120名を突破。事業の失敗で個人事業主を廃業する。
大学三回生:学内のCLUBイベントで1000名超を集客し過去最高集客数を記録する。事業を2つ譲渡。大阪で学生メディアきっとみつかるカフェの立ち上げ、京都でCafe&Bar ENISIYAの立ち上げを行う。
大学四回生:LINE@の代理店の立ち上げを行い活動を開始。内定(内々定)を27社獲得するも全て内定辞退。参画していた法人の全ての事業、権利譲渡。京都でシェアハウス"tequilahouse"を飲食店のメンバーでスタート。
社会人一年目:立ち上げていた飲食店の一周年記念のクルージングパーティーにて100万円を超える赤字叩く。個人事業主万事屋(よろずや)を開業。フレンチレストラン、イタリアンレストランの立ち上げに関わる。法人向け電力商材の営業組織を構築し譲渡。Beyction合同会社を立命館の学生と共同設立。株式会社Next Keymanにジョイン。全ての飲食店の経営から外れる。個人営業マン、イベンター用の情報交換、勉強用のクローズドサロンyorozuya&Co.、駆け出しデザイナー達用のyorozuya&designersをリリース。
社会人二年目:5月に急遽AKキャピタル株式会社の立ち上げに参画することになり、6月1日にGMに就任。学生起業家をメインに資金調達や経営コンサルなどを始める。
こう見ると色んなことをしてますが、もちろん成功ばかりではなく、ここに書いてない(というか書けない)事業やら投資などで様々な失敗を重ねに重ね、様々な人に迷惑をかけにかけまくり今に至ります。
このような経歴になったのはある意味昔のリバウンドもあるのではないかと考えています。
〜小学校時代〜
京都の嵐山に生まれ、幼少期に引越しを二回経験しその間に様々な習い事をしました。
(可愛い。。。。)
小学校一年生の時にプールが泳げなくてスイミング。
字が汚すぎて誰にも読んでもらえなかったので習字書道をはじめ、
その次は放課後の空いている日でバトミントン、
父と祖父がやってたことから京都で3連覇していたチームで野球をはじめました。
小学校六年生まで毎日習い事してました。
小学校の頃のスケジュール
月曜 バトミントン
火曜 習字
水曜 スイミング
木曜 野球
金曜 スイミング
土曜 野球(たまにバトミントン)
日曜 野球
ここまで習い事させてもらったおかげでスイミングはコナミスポーツクラブの選手に、習字は硬筆、ペン字、書道が初段に、バトミントンはダブルスで京都2位、野球はベンチに入ってるだけで金メダルをもらいまくれるという結果が残せました。(奇跡。)
こんな生活をしていたのでもちろん公園で遊んだり、学校に居残りしてドッジボールしたりとかは二回目の引越しまではしたことがなくそこまで友達もいなかったです。(というか習い事の記憶しかない。)
小学5年生のときに引っ越してからも野球だけ続け、中学に上がる時にはスカウトしていただいて軟式のクラブチームへ。中学二年生で同世代と後輩で暴◯事件を起こしてしまいリーグ除名をくらい野球ができなくなりました。ただ運よく三年生の最後の大会だけチームを変えて出場し、高校野球まで野球を楽しみました。
なんで野球だけ続けたかというと小学生の時に甲子園によく連れて行ってもらってた時に、
”15歳〜18歳の間であんな早い球投げたり遠くに打てたりするんだ〜”
というなんとなくな記憶があり、何としても高校野球はしてみたいという思いから野球だけ続けていました。超楽しかったです。
その後、高校が英語科だったこともあり英語が勉強できる京都外大、関西外大、佛教大、追手門大、大阪市立大を受験しほぼ全学部に合格しキャンパスの綺麗さとアクセスの良さ(そして女の子の多さ)を踏まえて関西外大に入学しました。中学の時オール3(5段階評価)無かった自分にしては奇跡のような結果でした。
そして大学に入ってからすぐにあることに気づいたんです。
打ち込むことが何もない。
今まで野球ばかりしてきた自分にすると、帰ってバット振ることもないし、学校が終わっても特に行くとこない。
それにすごく焦りを感じました。
それからは終電逃しても良いように友達の家に泊まり歩き、学校学部関係なしに友達を沢山作りまくり、お金はイベントのチケットバイヤーなどで稼ぎました。
一回生の割には沢山のイベントに参画させてもらい、色んな先輩や大人たちから学イベの良いとこ悪いところを勉強させてもらいました。
そんなイベントと遊びに明け暮れている時に大きな転機が訪れました。
〜大学生活を変えた学生団体〜
一回生の時は当時大阪で活動していたイベントサークルのほとんどのイベントに無料で入らせていただいていました。(チケットバイヤーの唯一の恩恵)
そんな中イベサーのイベントじゃないCLUBイベントがあるということを先輩から知り、友達と行くことに。
イベントを主催していたのは学生団体I-RISというボランティア団体とわかり少し期待せずに行ったのですが、、、、
会場は900名越えの超満員。
内装もスタッフ衣装もコンテンツもとても凝られていてDJ.MCも最高。今まで見てきたイベントの中でダントツに楽しいイベントでした。
(このイベントは忘れられん。)
気になったのでスタッフに話しかけてみるとイベサーではなくボランティア団体で京都で活動しているとのこと。
こんなに楽しいイベント開催してボランティア団体?
絶対建前だけやん。けど普通に気になるな。
と思い、その時学校で一緒にやることがなくフラフラしてた友達二人でミーティングに行ってみることにしました。
ただ一つ個人的に大きな問題がありました。
ボランティアがむっちゃ嫌い。
そうなんです。超嫌いなんです。何が嫌いかって、募金している学生とかって大して結果出してないくせに”貧困国の子供達のために…!!”みたいなこと叫んでるだけでなんか自分良いことしている感を出してる姿がとても嫌いなんです。
(ぴったりの写真すぎた。)
脱線しましたが、実際のミーティングに参加すると全然そんなことなくて純粋にラオスに小学校を建設するために活動されていました。
そして色んな先輩にお話を聞きました。その中でも初代代表にお話していただいた時に個人的に一番響いた言葉があります。
最終目標は個人の成長。ラオスの小学校建設は通過点の一つ。
他とは違うなと感じました。そしてイベントが好きならイベントを手伝って欲しいと言ってもらったので入ることになりました。
(伝説の初代I-RISの先輩方。みんな理系で頭も良かった。最強。)
その一ヶ月後にI-RISみんなでラオスの小学校を視察しに行くとのことだったので色んな人にお金を借りて行くことにしました。
いざ子供と遊んじゃうとボランティアしたくなっちゃうんですよね。(すごく不思議)
そして帰国後には一ヶ月前には考えられないぐらい活動意欲が湧いていました。(人ってすぐ変わりますね)
ミーティングで先輩にどうやって小学校建設費用(150万円)を集めているのかと聞くと、
”募金活動とCLUBイベント、あとは学祭出店かな”
それはちょっと効率悪くないか?と、なんとなく思い、京都で活動している他のボランティア団体のミーティングを見学しに回ることにしました。
すると、どこの団体にも共通してある部署がありました。
渉外部(営業部)
学生の分際で営業?何売んねん。と思いましたがどこも10万円〜20万円ぐらいをイベントで集めているとのことだったので早速Google先生に色んなことを教えていただきました。そして案外自分でもできそうだったので早速団体内で組織編成を組むことを提案し、みんなで考えて4部署(企画/営業/広報/会計)を作り、僕は営業部に入ることにしました。
なんのスキームもない状態で営業活動を開始
営業部作ったは良いもののスキームもテンプレも何もないのでGoogle先生が言っていたように、
Google先生5つの教え
①市場(ターゲット)を見つける。
②リストを作る。
③電話をかける。メールを送る。
④会いに行って交渉する。
⑤契約をする。
この5つをとりあえずやろうと思い、学生をターゲットにしている全業界の企業、事業主、ラオスに進出している日系企業リストを作成し、ひたすらメールと電話をしました。(かけ放題じゃなかったので電話代が爆発しました。)
100件ぐらいかけ終わった時ぐらいに一件のメールが、
”一度お話がしたいので弊社オフィスにお越しください。”
震えた。
すぐにメールを返信し、3日後に会えることに。入学式以来にネクタイを結び、緊張で変な汗をかきながら大阪本町のある会社に訪問しました。
商談も案の定ガチガチに緊張して何話したかも覚えてませんが、もともと学生団体に協賛をされている会社だったのもあって、条件付きで協賛をいただけることになりました。(本当にありがとうございます。)
”1名のモニターアルバイト派遣で300円の協賛金”
当時無駄に友達の多かった僕は1回生の女の子限定のモニターアルバイトをメンバーにも手伝ってもらい三ヶ月で約260名の派遣に成功しました。
良くも悪くも集客の面に関しては序盤に鬼のように経験していたので集客できればとりあえずお金になるんだと思い似たような案件を取りまくりました。
そんな感じで営業をひたすら頑張るもやっぱり勢いだけでは案件の数も限界がきていました。
営業している人に教えてもらった訳ではなかったので本当の営業ってどんな感じでやるんだろう。自分の営業方法はあっているのか。
少し悩んでる時にTwitterのDMにある人から連絡が来ました。
これが後々個人事業を始めるきっかけとなるDMでした。
〜ある社長との出会い〜