海辺の随想録
あらすじ
第1章 -令和- アラフォーゲイの輝きと現実
「大学で学んで来たことを活かし、1日でも早く皆さんに付いていけるよう精一杯頑張ります!」
希望に満ちた元気で若々しい自己紹介の声とともに、温かい拍手が送られる。
「それじゃあ、全員やると時間がかかってしまうので、ひとまずそれぞれの部署の代表だけ自己紹介と部署の紹介をしてもらって良いですか?」と、人事の新卒担当が慣れた口調で取り仕切る。
まずは新卒にとって一番馴染みのある人事部のジェネラルマネージャーからあいさつをし、その次にうちの屋台骨となる開発部と営業部があいさつ、そして僕の番が回ってきた。
「プロモーション部ジェネラルマネージャーの橘 宏人です。私たちの部門では広告戦略の立案やWEBマーケティング、イベントへの出展計画やプレスリリースの発行、市場調査まで幅広くやってます。皆さんが入社されるのを楽しみにしていました。会社全体も一気に新鮮な雰囲気になって良い刺激になるので、ぜひ新しい風を起こして行ってください」
今年もこの季節が来た。勤務先の会社も新卒を迎え入れるようになって5年目の春。僕がこの会社に来たのは9年前。30歳になってすぐのことだった。
僕は大学を卒業時、そこそこの規模の専門商社には就職できたものの、組織の都合による職種転換が多く、辞令一枚で日本全国どこへでも転勤しなくてはならなかった。幸い勤務地については新卒から退職まで首都圏勤務だったが、いつどこに飛ばされるかわからない。仕事もせっかく覚えてきたタイミングで異動になるケースも多く、ここでは一貫したキャリアが築けないと思い2年で退職。
その後はWEB広告の運用代理店に転職した。複数のクライアントのWEB広告の運用やレポーティング、既存顧客への営業なども行っていた。そんな中、他社の広告運用の代行ではなく、自分の会社の製品やサービスの広告や宣伝をやってみたいと思っていた頃に今の会社の募集を発見した。
今の会社は僕が入社当時は社員数20名あまりのベンチャー企業で、オンラインゲームを作っている会社だった。プロモーションや広報の担当は僕一人で、それまでは業者に丸投げしていたと言う。面接も2回ほどで、二次の社長面接が終わったらすぐに「それで、いつから来られる?うちとしては明日にでも」といった感じで、勢いを感じつつも若干の怖さもあった。
あの頃は自由な社風に感激はしつつも、ハードワークな日々だった。コンシューマー向けのオンラインゲームで小さくは当てていたものの、栄枯盛衰の激しい業界。すぐに飽きられてまた新たなゲームを開発して…その繰り返しの日々だった。
ゲームのような対コンシューマー向けの商材はとにかくパイが大きく、広告予算もかかる。当時はそこまで多額な広告予算をかけることもできなかったため、どうしても人力に頼りがちで目の回る忙しさだった。
ところが5年前、個人事業主向けにリリースした確定申告支援のアプリが大ヒットした。日々発生する収支をルール通りに入力していけばリアルタイムで財務状況がわかり、年度末に苦しめられる確定申告もすべて自動で申請に必要な書類が生成される仕組みのアプリだ。初年度は完全無料という大胆な施策が功を奏し、ユーザーは急増。
個人事業主にとって確定申告は毎年発生するものだから、1年で解約する人は少ない。
もともとはゲームで食べてきた会社だったが、これを機に一気にビジネス向けアプリに舵を切り、その後も企業向けの税務関係のアプリや労務管理、資産管理のアプリで次々とヒットを飛ばした。主な顧客も一般顧客から法人や個人事業主に変化していった。
100円~1,000円程度の金額を積み上げて売上を立てるゲームアプリと違って、ビジネス系のアプリは法人契約をつかめれば一件で数十万円から、うまく行けば数千万円のキャッシュが手に入る。面倒なクレームも少ない。広告も法人の決済者向けにパイを絞れば良いのでかなりスポットを絞った効率的な広告戦略が可能だ。いやらしい言い方だが、会社が一気に「効率的な稼ぎ方」に舵を切ったおかげで労働環境も改善した。自社ブランドのアプリが増えたことで急速な人員の拡大を行い、かつては僕一人で切り盛りしていたプロモーション部も今では12名のチームとなり、現在そのトップを勤めている。会社自体も今では200名近くにもなり、一昨年東証スタンダード市場への上場も果たした。こうした激変期を経て、安定的に事業を拡大できる基盤が整って来たため新卒採用もスタートさせたのだった。
多くの会社の例に漏れず、エンジニア採用の新卒以外は最初は営業部に配属される。そのためプロモーション部に新卒の配属はない。しかし、新卒採用をするようになってからと言うもの、これまで以上に季節が移り変わって行くこと、時間とともに会社も前へ前へ進んでいくことを実感する。4月、自分まで新鮮な気持ちになって良い刺激になるし、そう感じている従業員は決して僕だけではないだろう。
* * * *
ようやく迎えた金曜日。新卒の子たちは初の華金ということもあり、同期たちで飲みに行くようだった。その姿を微笑ましく思いつつも、僕もそそくさと帰る準備をして会社を去った。
渋谷にあるオフィスを出て、いつもなら自宅のある三軒茶屋に帰るために東急線のホームに向かうが、今日は池袋方面に向かう副都心線に乗り込む。
「今渋谷駅を出たところ。もう集まってる?」
仲の良い友人、健太と俊と僕で作る3人組のグループLINEに投稿した。
「俺も今向かってるところ。今四ツ谷駅だから、あと10分くらい!」
と答える健太。
「さっき店着いたよ!2人が来るまで先に1杯だけ飲んでるわ(笑)」
そう言って俊はビールとお通しの枝豆の写真を投稿する。
スマホを見ていると「次は新宿三丁目、新宿三丁目です」のアナウンスが聞こえた。スマホをポケットにしまい、電車を降り、改札を抜けていつもの店に向かった。
騒がしい店内を少し進むと、健太と俊がこちらに手を振っていた。
「ごめん、俺が最後だったね。待った?」
「いや、全然!ビールで良いよね?」
俊がすかさずそう尋ねて来る。
「ああ、もちろん。金曜の夜と言えばね」
そう答えているとすぐにビールが運ばれてきた。
「っていうか、もうビール頼んじゃってた」
「おお、デキるなー!」
そんな他愛もない会話をしながら、僕たちの華金が始まった。
「ところで、今週は新卒入ってきた頃だろ。タイプの子いた?」
健太が聞いてくる。
「うーん…、会社の人そういう目で見られないタイプだからな~俺」
僕がそう答えると俊がすかさず
「え、でも宏人若い子好きじゃん。珍しい!」
と挟んで来る。
「ところで、最近俊はどうなの?彼氏さんと」
そう僕が聞く。
彼氏…。そう、僕ら3人は男性同性愛者、つまりゲイなのだ。
40歳手前になっても気楽に遊んでいられる反面、学生時代の友達は子供が大きくなり始め、いつまでも20代の頃とさほど変わらない生活をしている自分とは生活スタイルが合わなくなってくる。
そんな中で、同じセクシュアリティの同年代の友人というのは生活スタイルも似ていて価値観も金銭感覚も近く付き合いやすい。家庭を持つノンケの同い年は、こうも毎週毎週飲み歩くこともできないだろう。
俊は答える「うーん…。まぁその話はもっと酒入ってからね」
意味深な発言に興味を惹かれつつも、仕事のこと、恋愛のこと、最近の出来事、いろいろな話で盛り上がった。お腹も満たされて、少し酔いも回ってきた頃に健太が「そろそろ2軒目行こうよ。二丁目の店にしない?」と提案する。
「ごめん、明日早くてさ。今日はここで。」
そう僕が答えると2人からブーイングが起きた。
「えー、明日何があるんだよ?」俊がそう聞いてきて僕は答える。
「ほら、実家だよ。父さんのところ行く日で」
それを聞いた2人はすぐに納得してくれた。
「大変だよな、お前も。早く帰ってゆっくり休みなよ」
健太はそう気遣ってくれた。
「また俺の彼氏の愚痴にも付き合ってね!」
そう笑いながら見送ってくれる俊。
健太は僕と同じ39歳、俊は少し年下の37歳だ。
みんなそれぞれ仕事を持ち、都内で暮らす自立した社会人のゲイだ。都会暮らしのアラフォーゲイにとって、年老いた親の問題は共通の悩みだ。
僕には10歳ほど年の離れた兄がいる。その関係もあって同年代の親よりも自分の親は少し年老いているのだ。
僕は地元がそこまで好きではないのと、20代の頃は転職を繰り返していてそれが引け目になっていて、30代の頃は仕事が忙しかったことにかまけて実家にはお盆と正月の2回だけ、それも日帰りでしか帰ったことがない。
ところが2年前、父がパーキンソン病であることがわかった。その後は投薬で進行を遅らせては来たものの、完治する病気ではない。みるみるうちに身体は動かなくなり、横になっている時間が次第に増えて行った。
それまでは母がなんとか面倒を見ていたが、ある時母もガンを発症。幸い早期に発見できたため1回の手術でひとまずは退院できたが、年老いてからのガン治療は精神的にも肉体的にも厳しいもので、父の面倒を見ることができないと判断。
兄も含めて家族会議を開いた結果、父には昨年から特別養護老人ホームへ入居してもらうこととなった。母は自分で自分の世話ができるうちは家を守りたいと言い、一人で実家に暮らしているが、恐らく母が特養に入るのも時間の問題だろう。
明日は父の面会に行き、洗濯物や差し入れを届ける日なのだ。
僕の実家は千葉県にあるが交通の便は決して良い方ではなく、東京駅から特急で2時間ほどかかる海の近くの街だ。
あの街は古くから住む人が多いが、父は当初転勤であの街にやって来たそうだ。5人兄弟の末っ子として生まれた父は高度経済成長の終盤の頃に高校を卒業し、地元の山形県を離れて工員としてメーカーに就職した。今とは時代が違い、長男以外が地元を出るというのは、そのまま故郷を棄てることを意味していた。
きっと父は仕事ができたのだろう。工員から総合職に転換し、営業や現場事務などをやるようになったそうだ。その代わりに全国転勤をしなければならなくなり、ある時工場のあったあの街へ赴任した。そこで母が兄を妊娠した際に単身赴任を命じられそうになったのだ。このまま家族を持ったままこれまでのようにあちこちの町に転居するのは難しいと判断し、僕らの地元の市役所に中途で入職したそうだ。僕が生まれたあたりの頃に父の前の勤務先の工場はコストカットのために海外へ移転し、街は衰退してしまったらしい。
だからこそ、両親ともに土地もコネもない中でローンで買った家を守りたい気持ちは強いのだろう。特に母は、やや意固地になって実家に残っているのかもしれない。
* * * *
土曜の朝8時の東京駅。
いつもは上品なスーツを着こなした品の良いサラリーマンが多いこの駅も、土曜日の朝には浮足立った雰囲気が漂う。これから新幹線や特急に乗って旅行に出かける人や、休日を東京で過ごすために地方から到着した人、早朝の皇居ランを終えたであろう人たちが駅の中を行き交う。いつもは都内有数の多忙な駅が休日は一気に様変わりするのは新宿や渋谷ではあまり見かけない光景で、僕も温かいコーヒーを買って実家の最寄り駅に向かう特急に乗り込んだ。
4月のまだ寒い朝、ウォーターフロントにそびえる高層ビルやタワーマンションと高速道路の間を特急は走り抜けて、徐々に首都圏郊外らしい住宅街になっていき、そこを抜けると牧歌的な田園風景が広がる。
いつも実家に帰るこの特急列車の中では複雑な心境になる。
決して家族や街の風景が嫌いなわけではない。
今のように自由も正しい情報もなく、学校と家という狭い世界の中しか知らなかったあの頃。青春時代に自分がゲイだと気付き、誰にもそれを打ち明けられずに過ごした街でもあるからだ。
懐かしさよりも先に、満たされなかった気持ち、叶えられなかった思いを呼び起こさせてしまっているのかもしれない。
東京駅を出て約2時間。地元の駅に着くと、兄の車がロータリーで待っていた。
「おい、宏人!迎えにきたぞ!」
窓を開けてそう叫ぶ兄の隼人。助手席にはこの春高校2年生になった姪っ子の穂香もいる。
「タクシー使うから迎えはいいって言ったのに…。」
車の窓越しに僕はそう兄に伝えたが、「いやー、それはもったいないだろう。」そういって兄は後部座席に乗るように促す。
兄の車に乗り込み、ロータリーを出発した。
「高校2年になったんだよね。学校楽しい?」
僕は姪っ子の穂香に聞いた。
不登校も珍しくない昨今、こうした質問は実はデリケートだったりする。しかし穂香は昔から明るい性格で、中学のときから友人がたくさんいるのを知っていたためだいたい返ってくる答えは予測がついた。案の定、楽しい高校生活のようだった。
「すごく楽しいよ!あ、そうそう、この春にクラス替えがあってね、担任の先生が宏人と同い年の39歳なんだって。ハゲてるし太ってるしでもっとオジサンかと思ってたからびっくりしちゃったよ。そう考えると宏人ってすごく若いよね~。」
そう笑顔で答える穂香。
穂香は兄のマネをしているのか、僕のことを宏人と呼ぶ。ただそれは兄のマネをしているだけではなくて、穂香が幼かった頃、僕も20代だった頃の記憶が根強いのだろう。
普通の社会人の男なら、大学時代の同級生たちがそうであるように30代になれば結婚して、子供もできて、ライフスタイルは大きく変わって行く。
家や車のローンを抱えながらも、土日は家族サービスをして、徐々に自分の人生の主役は「自分自身」から「子どもたち」に移っていく。そんな生活をしているうちに言葉遣いからルックスに至るまで、社会的に規定されている「父親らしい立ち振舞い」が醸成されていくのだと思う。
だけど僕にはその人生の過程が存在しない。10年前の29歳の頃と今で、変わったことといえばあの頃よりも会社でのポジションが上がったことと、住む家のグレードが上がったこと、スタイルをキープするためにジムに通い始めたり、アンチエイジングのためのスキンケアを始めたこと以外に特にライフスタイルに大きな変化はない。
40歳手前ともなれば、結婚して子供がいるのが当たり前の田舎町では、僕のような大人は穂香にとって珍しく、いつまでも親戚のお兄ちゃん的な認識なのだろう。
「そういえば、宏人も浜高だったんでしょ?宏人の通ってた頃の浜高ってどんなだったの?」
そう穂香が尋ねてきた。
浜高とは、僕が通っていた千葉県立浜ノ宮高校のことだ。現在、穂香もこの高校に通っている。
「うーん…。高校時代のことは昔のこと過ぎてあんまり覚えてないや。」
僕は心に何かがつっかえていたが、悟られないように咄嗟にそう答えた。
「え!?本当に?大人になるとそんなものなの?なんか悲しくない?」
穂香がそう聞くと運転しながら兄が入ってくる。
「宏人は大学まで行ったから。東京の大学が刺激的過ぎて覚えてないんだろう、な?宏人!」と笑いながらけしかけて来る兄の隼人。
「まぁ、そんなところだね。いいじゃん、もう俺のことは。そういえば父さんの面会、何時に予約してるっけ?」そう誤魔化して話を逸らした。
「13時だよ。少し実家で休んで行けよ。」
兄はそう言って実家まで車を走らせた。
兄は実家から車で20分ほど、電車ならば15分ほど離れたところにある隣町に暮らしている。企業の工場が出て行ってしまって以降衰退してしまった僕たちの地元とは違い、隣町は大きなショッピングモールやホテルの誘致に成功し、東京から日帰りで行けてビーチや温泉、海の幸が楽しめるスポットとして人気を博している。最近ではテレワーク勤務をメインとした企業に勤めている都内の会社員の移住先としても人気なようだ。
僕らが高校生の時でさえそこにはマクドナルドもサイゼリヤもカラオケチェーン店もあって、放課後の遊び場と言えば地元ではなく隣町にわざわざ行っていたほどだ。確か僕も高校生の頃、わざわざ隣町まで行ってアルバイトをしていた記憶がある。
兄は隣町から更に千葉県内の中心部にある会社に通うサラリーマンだ。
真面目で堅実だった地方公務員の父をそのまま若くしたような性格で、地元の工業高校を卒業後、電子メーカーに就職し今に至る。
僕は都会でフラフラと転職を繰り返していた20代を過ごしていたが、兄は20代のうちに順調に結婚をして、30代になれば子供もできて、マイホームも購入し、しっかり地元に根を張って生きている。今ではこんなに大きな子供もいて僕とは大違いだ。
「ただいま。母さん帰ったよ。宏人と穂香も一緒だ。」
実家に着くとそう言いながら先に兄と穂香が玄関に入って行く。
母がリビングから玄関にゆっくり歩いて来る。
「あらあら!見るたびに穂香ちゃん大きくなって。」
母がそう穂香に駆け寄ると、穂香も答える
「もー、おばあちゃん先月も会ったじゃん」
母は「そうだったかしらね…」とやや表情を曇らせながらも続ける。
「宏人も遠いところ大変だったでしょう。交通費も時間も馬鹿にならないのに、忙しいところごめんね。」
母はそう申し訳なさそうに言って来たが、それ以上に久々に家族が揃ったことを喜んでいるようだった。
「こっちのことは大丈夫だよ。それより、母さんも父さんも最近の調子はどうなの?」
そう聞くと少しの沈黙の後、母が言う
「お父さんはね…まぁ、進行性の病気だからもう良くなることはないわね…。母さんも病気をしてからは正直疲れやすくて。外に出て何かする元気もないし、お父さんのところに洗濯物と差し入れをしに行く以外は家の中でずっとぼーっとしてるわ。」
母は寂しそうな表情でそう言った。しかし場が暗くなりそうだったのを察してかすぐに続けた。
「みんな今日は朝早くて疲れたでしょう。今お茶入れるからね」
そう言って台所に向かおうとしたが、穂香がすかさず続ける。
「おばあちゃんいいって!お茶は私が出すから」
そんな掛け合いの中、そこでスマホを見ていた兄が突然大きな声で叫んだ。
「しまった!!!」
僕は驚いて「どうしたの!?突然」そう聞いてみる。
兄が続ける。「宏人、怒らないで聞いてくれるか?」
すごく嫌な予感がしつつも、「良いから何があったの?」と言う。
「ごめん…。父さんとの面会の予約、明日だった。」
一瞬言葉を失った。こちらは特急で2時間かけて来ている。それに昨日の夜だって友人たちとの飲み会を切り上げて早く帰ったのに。怒りと落胆を覚えつつも、遠くに住む僕以上に実家に頻繁に帰ってくれている兄を無碍にはできない。
「そっか。仕方ないよ。兄さんも自分の家族サービスで忙しい中だろうし、それくらいミスるのは仕方がないって。俺は特に明日予定なかったし、このまま泊まって行くよ。」
僕はそう答えた。
「ホントにごめんな…。」
そう申し訳無さそうに謝る兄。
僕は朝が早くて少し疲れていたのと、連絡したい人がいたので穂香が出してくれたお茶を一口飲んだら、2階にある懐かしいかつての自分の部屋へ向かった。
そう言えばマトモに自室に入ったのはもう何年ぶりだろう。
こうして父が施設に入るまで、ろくに地元に寄り付かず、帰っても正月やお盆に朝の特急で向かい、夜の特急で都内に帰っていた。まるで何かから逃げるように。
母はもう足を悪くしているため、2階には滅多に上がらないらしい。自室の扉を開けると、あまり換気もされていないようで空気が籠もっていたためカーテンを開き、窓を開けた。
明るく照らされる室内。スマホを取り出してLINEを開く。
直近でやりとりをした相手を遡って行き、「マサト」という名前で登録した会話を開く。
「ごめん、明日は会えないや。急遽実家に1泊することになって」
そう送るとすぐに返信が来た。
「おい、なんだよそれ。俺はお前と違って自由な生活してないんだよ。家族の目を盗んで予定を空けるのは大変なんだよ。それにお前とヤれると思ってたのに、俺の性欲どうすりゃいいんだよ。」
家族の目を盗む…。
そう。このマサトという男は既婚者のゲイだ。ゲイというより、おそらく彼はバイセクシュアルなのだろう。つまり僕とは不倫関係に当たる。
特定の相手を作るつもりのない僕と、性欲のはけ口としての男を求めていたマサトとは変に利害関係が一致してしまっていた。
しかしそれでも僕の中には少なからぬ罪悪感と、この関係を終わらせなくてはという焦燥感があるのも事実だ。
マサトは1歳年上の40歳で、奥さんもいるしまだ小さな子供もいる。こんなことがバレれば相手の家庭は崩壊するだろう。自分にはそんな責任は負えない。
それに最近はマサトから会いたいと言われる頻度が上がっている。家族関係がうまく行っていないのかもしれない。
自分から連絡しないようにしていても、ついつい僕も快楽やストレスのはけ口として連絡が来れば断れずに会ってしまい、やることをやってしまう状況が続いていた。
「ホントごめん。そっちも家族と一緒にいてあげなよ」
そう返してマサトからのスマホ通知をオフにした。
スマホを軽くベッドに投げて、自分がかつて使っていた勉強机に座ってみる。
机の引き出しを開くと、ズラっと敷き詰められたMDが出てきた。
「うわ!懐かしい!!」
思わず声が出てしまっていた。
その中の1枚を取り出してみる。
インデックスのラベルには「2001年 春」と書かれていた。どんな曲が入っているのだろう。
まったく予想もつかない。MDコンポも持っていたはずだが、東京に引っ越す時に持っていき、その後MD自体が使われなくなって捨ててしまっている。つまり今はもうこのMDを聞く術はない。
だけど他のMDのラベルには「宇多田ヒカル」とか「CHEMISTRY」「Every Little Thing」「倉木麻衣」などとしっかりアーティスト名が書いてあるので、恐らくシングルCDをレンタルしてきて、そのシーズンに流行っていたものを好きなように収録したものだろう。
その引き出しを閉めて、一番下にある引き出しに手を伸ばした。
しかしそこには鍵がかかっていて開かない。
何度引いても固く閉ざされていた。
残念に思いながらも、その中に何を入れていたかまったく覚えていない。
エロ本?
いやそんなことはないはずだ。
こんな小さい町に、それも20年以上も前にゲイのポルノ雑誌を置いている本屋さんなんてなかった。仮にあったとしても、当時の自分にはそんなものを買う勇気さえ無かったと思う。
じゃあ何だろう。
考えれば考えるほど気になってしまう。
そもそも、ここの鍵はどこにやった?
先程の「2001年 春」のMDを眺めながらしばらく考えていた。
その時、突如電流が走ったかのごとく記憶がよみがえった。鍵の在り処も、中に入っているものも。
軽く埃が被っている本棚にある箱入りの国語辞典を手に取る。
やっぱりそうだ。辞書の背表紙が少しだけ箱から飛び出している。
箱から辞書を取り出すと、やっぱりそこには机の鍵が入っていた。
鍵をさして、そっと鍵穴を回してみると、ゆっくりと鍵が解錠された。
机の引き出しを引くと、そこには古びたノートが数冊入っていた。そのうちの1冊を手に取る。
所々が変色したCampusノートの表紙に、油性マジックで「2001年 春」と書かれている。MDに書いてある「2001年 春」と同じ筆跡だ。2001年の春といえば、それは僕が高校2年に上がった頃のこと。
これは僕が高校時代に付けていた日記帳だった。
誰にも絶対に中身を見られたくない日記帳。
20年以上の時を経て今、39歳になった僕の前に現れたのだ。
こんなものが今発見されたことにも感激だが、どんなことを書いていたのか詳しくは覚えていない。ちょっとした好奇心で、その表紙をゆっくりとめくってみた。
第2章-平成- 始まりの季節
春休みも終わって、今日が2年生の1学期の始業式。
帰宅部の僕は去年できた隣町の大型スーパーで1年生の秋頃からせっせとアルバイトをして、少しずつ貯めたお金で買ったMDウォークマンを聞きながら自転車で高校へ向かうのが日課だ。
少し久々の早起きで目が冴えないが、黒い詰め襟の制服に着替えて髪は流行りのファイバーワックスで毛先を捻ってツンツンに決めて、スクールバッグをリュックのようにして両肩に背負い、「2001年 春」というインデックスシールを貼ったMDをウォークマンにセットした。
自転車を走らせていると、通学路にある満開の桜が見えた。今日から新しい学年が始まるのを深く実感する。
千葉県立浜ノ宮高等学校 第一学期始業式
きっと何年も使い回されているであろう立て看板を横切って門をくぐった。
校庭横の駐輪場に自転車を止めると、校舎の前に張り出されている新しいクラスが発表された看板を既に多くの生徒が食い入るように見ている。僕も走ってそこに向かい、「旧1年A組」と書かれた張り紙の中の、自分の名前を探す。
橘 宏人 2年B組
その掲示を見つけるとすぐに後ろから声をかけられた。
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