025 『琉球古典焼 太田保図案2(昭和4年)』の刊行について
京都市立芸術大学美術学部総合芸術学科畑中研究室の調査研究報告のシリーズ19として『新・琉球の富/壺屋のエジプト2 琉球古典焼 太田保図案2(昭和4年)』を刊行いたしました。
このシリーズの中は、研究室の常連にして現在は金沢美術工芸大学准教授である金島隆弘さんと共編で沖縄の美術や工芸を掘り下げてアーティストと関わりながら研究・展示を実践的に研究する〈新・琉球の富〉シリーズの一角を構成するものです。
琉球古典焼というものは、大正から戦前にかけて琉球土産として好評を博していたのですが、柳宗悦ら民藝運動同人によって伝統的ではないことや着彩を絵の具で行うことなどを批判され、その名は表舞台から消えてしまいます。ただ、幼い頃から琉球古典焼の製作に従事していた金城次郎や島袋常明らは戦後に入ると、琉球古典焼のモチーフや技法を使って作品を作り出しています。
なお、この図案は太田保の御子息裕康さんから提供いただきました。非常に良好な状態で保管していただいていたことを合わせて心から感謝申し上げる次第です。
本書の概要について述べていきます。
2024 年春、琉球古典焼にかかわる2冊の太田保図案帳の調査に着手し、入稿準備をしていたところ、さらに太田家から3冊の図案帳が見つかったとの報を受けました。 当時刊行準備をしていた『新・琉球の富/壺屋のエジプト1』で述べましたが、2冊の図案帳に所収された図案には一つ一つ通し番号がつけられており、他に数冊の図案帳が存在していたことは明らかでした。そのうちの(おそらく)3冊は太田家から某氏に貸し出されており、現時点では行方が明らかではありません。それ以外に3冊が見つかったというのです。
内容を確認させていただいたところ、うち1冊は昭和4 年に編纂されたもの、もう1冊は昭和8 年に描かれたものであること、残りの1冊は『新・琉球の富/壺屋のエジプト1』所収の図案集に直接先行するものであることが判明しました。調査を進め、順次公開することにし、可能な限り時系列に沿うのが良いと考え、まずは昭和4 年に編纂された図案集を取り上げることにしました。
本編で述べるこの図案集は琉球古典焼を考える上で非常に重要なものとなっています。というのも、琉球古典焼の図案を手がけたと考えられている太田保が沖縄に来たのが昭和3 年で、その翌年にあたること。かつ、数冊に及ぶ図案集の通し番号の中で1番から始まっていることもあり、太田保が関与した最初期のものであることがわかります。加えて、琉球古典焼の生産・流通の具体像を示す『太田保日記』がこの年の分のみ残されており、その読み解きからさまざまなことが明らかになると考えられるからです。
太田保図案集全体の評価については、全体像を捉えてからにするとして、まずは本図案集を公開し、多くの方と共有することを目的として本書を刊行することにしました。
図案集の読み解きはこれからも続いていくのですが、いくつかの興味深い事柄にかかわる可能性を感じているところです。その一つに、この図案帳と日記を照合していくと、太田保と親しかった若き日の金城次郎と新垣栄三郎がこの図案帳と思しきものを見ていたという記述が日記にあるのです。確定ではありませんが、私個人としてはかなり蓋然性が高いと感じています。太田保と、のちに「壺屋三人男」と称される名工のうちの二人がこの図案を手にして語らっていたということになると、今風に言うと「胸熱展開」です。気持ちがはやってしまうのですが、心を落ち着けて冷静に読み解きを続けていきたいと思います。
ご興味ある方は、是非手に取っていただければと思います。