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いくつものドアを開けながら。

ふと、思いついたことなんだけど。

ひょっとして、こんなこと言ったなら、人に笑われそうなくらいに実にどうでもいいようなことで、「ここ、メモしなくていいからな」と物理の先生が冷たく言いそうなほどの、価値のないことかもしれないけれど。

前置きが長くなった。結論から言おう。

赤ちゃんが、お母さんのお腹から出てきたとき「赤ん坊が生まれた」っていうけれど、それって本当は、逆なんじゃないかと。

その夫婦が、そのまわりにいた人達が、そのときに、そこに生まれ出たんじゃないのかと。本当は、赤ちゃんという新しい命が、そのふたりを、その人達を、その新しい場所に連れてきたのではないのかと。

言葉ではうまく説明できないけれど、ふと、そんなふうに思った。

この私たちが生きてる世界って、ひとつに見えて実はいくつもあるような気がしてならない。こうして生きている間にも、僕たちは何かに引き寄せられながら、時には見えない何かによって、その場所に続くドアを開けているような気がする。そう思うと、この人生のいろんな不思議が、自然と解けてゆくような・・・そんな気がして。

もっともらしいことを言ってるけど、本当はただ単に私の現実逃避なのかもしれない。あまりにも非現実的で、誰かに指摘されたなら「すみませーん!」と言いながら、ぴゅーんと駆け足で逃げてしまいそうだ。

それでも世界は、ひとつじゃないんだと私は思いたい。思うだけなら自由なはずだ。そう思えたなら、すべてはもう、何もあきらめる必要がないのだと、僕たちは納得することができる。

人生で何をどう間違えたとしても、ドアはきっといくつもある。たとえ今は勇気がなくて、そのドアを開けられなくても、窓も必ず同じくらいある。そこから広がる世界は無限だ。

僕たちは誰だって、本当は気にしている。それは例えば、ちょっとした物音や雨の匂いや影の動き、そして誰かの小さな言葉。そんな何かに導かれながらその窓を開けてゆく。いつしかその世界の風に、心がそっと慣れたなら、ゆっくりドアを開ければいい。

そしてそのまぶしい光に、思いっきり泣いたなら、僕らはいつだって生まれ変われる。

そして、ゆっくり歩けばいい。
いつだって、僕たちは。

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青木詠一
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一