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求めない。

「求めない」という本がある。
著者は加島祥造氏。その中の一部を紹介したい。

求めない。
すると自分が自分の主人になる。
だって、求める限り
君は、求めるものの従者だもの。

「求めない」なんて言うと、必ず「じゃあ、食い物も求めなくていいのか!」と極論を言い出す人がいると思うけど、そんな人には「まぁ落ちついてコーヒーでも飲んで夕日でも眺めながらお話ししましょう」と言いたくなる。著者の加島氏は、それについてこう書いている。

ぼくが「求めない」というのは、
求めないで済むことは求めないってことなんだ。

今の世の中、求めれば簡単に何でも手に入ってしまう。知識もいろんな欲求も、割と手軽に満たすことが出来る。今じゃ逆に求めなくても、いろんな広告やトラップが、私たちに求めさせようと必死な状態だ。

「求めない」と言ってもこんな世の中では、もはや困難な言葉に見える。

確かにその言葉は美しい。私たちもその言葉が正しいことは、痛いくらいに想像できる。大切なのはそのことで、私たちがどう生きるか?ということだろう。

私はここに一つの答えがあるように思う。

求めない。するとひとも君に求めなくなる。
求めない。するとひとから自由になる。

私はこうしてネット上にエッセイを書いている。もちろん、読んで欲しくて書いているし、単なる承認欲求に過ぎない。それこそ求めすぎる行為とも言える。SNS疲れという言葉もあるように、この承認欲求によって、どれだけの人が今もこうして苦しんでいるのだろう。

「ひとから自由になる」

それが今、この世界で生きてゆくための、ひとつのキーワードになるような気がする。いや、もうすでになっているのかもしれない。ただ、正直、この言葉からは、優しさや温もりが感じられない。苦しさからただ、逃げただけのような気がしてしまう。ただ、ひとり、残されても人は生きてはゆけない。必要とされない人は、孤独に涙するしかなくなる。それでいいはずがないのだ。

でも、続けて著者はこんなふうに書いている。

求めない。するとひとの言うことが前よりよくわかるようになる。そして、ひとの言うことをよく聞くようになる。するとひとはとても喜ぶものだよ。

そうか、と私は思った。

私がこうして文章を書いているのは、何もない場所から、決して私の言葉が生まれたわけではなくて、そこにはこんなふうに、誰かの言葉や文章があって、そして、誰かの想いや優しさが私に喜びを与えて、そうしてはじめて私の言葉は生まれるのだ。そして、それがとても小さなものでも、私からまた誰かの言葉や想いにつながるのだと。そんな単純なことに、今さら私は気づいたのだった。

そうだ、私はそのために、このエッセイを書いているのだと。

そして最後に著者はこう書いている。

求めない。するとひとは安心して君に寄ってくる。

愛する何かを想いながら今夜も眠る場所がある人は、もうすでに十分幸せを手にしているのだと思う。今手にしているものを大切にしてゆく。そうすることで、誰かのことを気にしなくても、ひとりを恐れなくても、人は君に寄ってくる。

それは、必死になることじゃない。
「求めない」ただ、それだけなんだ。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一