リモートワークがもたらしたもの
ぼくが社会人になった頃、前の晩どんなに遅くなっても、とにかく定時に会社にやってきて、席について仕事を始めていなければならなかった。
だから、会社とは場所であり、仕事とは同じ時間に同じ場所に集まった人たちが、協力しあって行うものだった。
でもインターネットの普及や、コミュニケーションツールの発達もあり、なんか違和感は感じていた。
グルーヴノーツは、昨年のコロナ騒動のはじまりから、全社リモートワークを標準にしている。
最初はぎこちなかったけど、はじめて会う顧客との打ち合わせも、仕事を決める最終プレゼンも、イベントも、社内のもろもろの打ち合わせも、今はすべてオンラインで進んでいる。
ここで起きている変化の根っこにあるのは、社員が分散しているとか、場所を選ばないとかではなく、場所と時間を共有することが会社であり仕事であると思っていたことが、幻想にすぎなかったことに気がついたことだ。
この状態に到達できたのは、社内ツールが全てクラウドにあり、誰かのパソコンだけに入っている資料はなく、全てのデータは瞬時に共有でき、同じ資料やデータを社員や顧客との間でリアルタイムに編集しあい、打ち合わせして、ということができるからだ。
また、全ての活動は、システムに状況を登録するだけで解析され、サービスの利用状況も常にデータ化され把握できるようになっている。だから報告書というものは存在せず、会議体での資料は各部署・各人の状況がリアルタイムに解析され続けるライブ資料になっており、意見やコメントはリアルタイムに入力しあいながら議論を補助していける。
こうしたぼくたちのスタイルは、コロナ以前からのものなので、もともと社内に浸透していた方法だ。だからリモートワークと言われても、何も混乱なく移行できた。
だからもっと早く気がつくべきだった。全くオフィスに行かなくなり、東京オフィスが迎えた契約更新で、オフィススペースを思いっきり削減し。そういう一つ一つのことを通じて、場所と時間を共有することが本質じゃ無いことに気がついた。
こんな中でも、ぼくたちは社員を新規に採用しつづけている。きっと会社の人的規模はもっと大きくなっていくと思う。だからこそ、たまには社員とリアルに会いたいし、直接会ってワクワクしている表情の変化をみながらこれからのことを語り合いたい。
そうなると、オフィスというのは、みんなが討議したり、アイディアを出し合う場所として存在すればいいので、個別の机や椅子なんて不要だし、ましてやオフィス街にある必要もない。
郊外の古民家とかでもいいし。海沿いの平屋だっていい。
そして会議のはじまりを待つことや、移動のための時間はなくなり、会議のペースは早まり、様々なオーバーヘッドがどんどん減って、仕事の効率は格段にあがるのに、仕事をしている時間は長くならない。
通勤も無く、仕事の時間は抑制的。仕事量は増えているのに、毎日家族と食事をして、子供の話を毎日聞ける。
こうした会社と仕事に関する発想の転換は、働き方の転換であり、オフィスというものの再編集であり。これに気がついた経営者は変革を進め、気が付かない企業は優秀な社員の離脱を招く。
入り口はリモートでワークするというだけの変化だけど、全社会的に許容しているから定着しはじめているこの変化の本質は、かなり深く、そこから波及するものは劇的に大きい。