RPAの危険な香り
システムは、ビジネスの変化に合わせ常に変化を求められるもの。そして変化はどこに現れるかというと、アルゴリズムであり、画面である。
ぼく自身、RPAを使っているわけではないけど、なんかここら辺がすごく疑問に感じる。
まず驚くのは、RPAの説明を見ていると、ロボットだとかAIという言葉が並んでいることだ。
信じられないことに、システムの画面を読み取り、人間に代わって操作するので、AIでありロボットであるという文脈だったりする。このあたりで、ITの知識がある人はぼくと同じ印象を持つはず。
そもそも、画面の実体とは何か。
例えばブラウザが表示する画面。これは、htmlという形式の文字列でしかない。つまり画面を操作するというのは、知能があるとか無いとかではなく、普通に文字をプログラムで処理すれば、表示されるデータは抜き取れるし、サーバーとのやり取りも、必要な文字列を組み立てることで人間に代わって入力させることもできる。
このあたりの話は、特別難しいものでもなく、AIをわざわざ利用する必要もなく、ごく普通の文字列処理。
またExcelファイルなどを読み取って処理する場合も、特別なことは何もなく、普通のファイル処理。
プログラムのことをロボットと呼んではいけないとは言わないけれど、少なくともIT業界の人間は、この手のプログラムをそんな風には言わない。
とは言え画面操作の話をロボットと呼ぼうと、そんなことにAIなんかいらないとかは、本当のところどうでもよくて、それよりも、RPAの構造上画面をプログラムで操作する仕組みになっているところは、かなり危ない。ここを接続点にすると、変化への耐性を殺すことになるのだ。
そして冒頭の話。
「システムは、ビジネスの変化に合わせ常に変化を求められるもの。そして変化はどこに現れるかというと、アルゴリズムであり、画面である。」
もし変化が必要な部分を、変化しにくくしたらどうなるか。
きっとシステムは硬直化し、業務は変化に対応しにくくなり、企業自体が変化への耐性を失う。
だから変化への耐性を殺すことは、企業にとってとても危険なことなのだ。
ちなみに既存システム同士の連携は、どうするのが良いのかというと、バックエンドでデータ連携。もしくはデータレイク的なものをハブにして処理するの方が断然よかったりする。昔はバックエンドでやること自体かなり面倒だったけど、今は裏側の仕組みが簡易で使いやすく、極めて高性能になった。だから驚くほど単純な仕組みで実現できたりするのだ。
RPAが駄目だと言っているのではなく、うまくはまる場面もあるとは思う。でも、こういうもろもろのことは理解して採用すべき。
過剰な謳い文句には、危険な香りが隠れているものだ。