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【Ave_mujica】感想と考察。贈与と共同体と虚しさ【バンドリ】


アニメ『バンドリ!avemujika』が配信されている。1月30日に5話まで公開されておりそこまで視聴されていない方は是非とも視聴してからこの記事を閲覧していただきたい。もし、初めてこのアニメの名前を知ったという方は前作の『バンドリ!it's mygo』を視聴してほしい。連続モノになっているためそれを視聴していないと理解できない描写が多々あるので。

以下ではアニメmygoの事をmygo.バンドの方をマイゴ、アニメavemujikaをアベムジカ.バンドの方をムジカと呼びます。

あらすじ


バンドリ!avemujikaのあらすじは先ほども述べたようにその前作であるバンドリ!It'smygoの続きとなっており、前作のアニメ、mygoを通して実質的にクライシック(崩壊したバンド)を復活させたが、その時に復活したバンド、マイゴに入らなかったクライシックのメンバーのうち2人(とその他3人)が作ったバンドであるムジカを中心とした物語である。

情報の整理

ここからは巷に溢れている考察と私の考察、そして第5話の感想を織り交ぜて綴ろうと思う。そしてそれをする前段階に一度5話までの情報を整理しておきたい。

作品の特徴について

この作品は群像劇的な描き方をされている。第5話で明らかになったことも踏まえると、基本的にはムジカ(現時点で解散してしまっているが)のメンバーそれぞれの視点で描きメンバー五人が揃うことで5人それぞれの問題がバンドの問題に発展していくというものだ。

その構図にマイゴのメンバーも加わった。マイゴのメンバーがアベムジカのメンバーの一部と接点がありその繋がりでアベムジカ(アニメ)の話に本格的に参入していくものだろう。

そして群像劇的な特徴にもう一つ加えると逆の形で『信頼できない語り手』の構図をとっていることだ。

信頼できない語り手とは引用すると以下の通りである

信頼できない語り手(しんらいできないかたりて、英語: Unreliable narrator)は、小説や映画などで物語を進める手法の一つ(叙述トリックの一種)で、語り手(ナレーター、語り部)の信頼性を著しく低いものにすることにより、読者や観客を惑わせたりミスリードしたりするものである

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/信頼できない語り手

例えばミステリー作品において真犯人の視点(それが明かされる事なく)で話が進んだり、主人公の認知や精神に著しい異常があるのにも関わらずそれを読者に示さないまま話を進めたりする手法のことである。
しかし、本作はこの逆である我々がキャラクターの問題を他のキャラクターが認知するよりも早く知る設計になっている。

例えば1話の最後でにゃむが仮面剥がすパフォーマンス(アドリブ)を行ったが、それによりそれぞれの素性が明かされるのが2話である。祥子が豊川グループの令嬢であったり睦が有名芸能人を両親を持つことがバンドメンバーや作中の世間に認知されるのであるが、我々はすでに前作や1話の段階で知っている。このようにメンバーが知らない情報を我々が知っているという描写が多々散見される。その描写のおかげで我々がムジカのバンドメンバーに対する犯人探しがより空虚さを帯びてくれるのであるがそれについては後述してまとめたい。

このような手法が一体なぜ成立するのかは会話の少なさが故なのは言うまでも無いが詳しくは少し後に述べたいと思う。

バンドに必要な事とは?

ところで、ムジカのメンバーは音楽に関しては殆どがプロフェッショナルの人間だ。作中で語った「史上最速の武道館」は恐らくその技量を表しているのだろう。私が思うにムジカというバンドは前作のメインバンドであったマイゴと対比されているように感じる。マイゴは全員がプロフェッショナルというわけでは決してないし、むしろ殆どのメンバーはその技量にコンプレックスを抱いている。ボーカルの燈は過去にネット上での書き込みに傷ついて、ドラムの立希は姉の才能と比較されている、主人公且つギターの愛音はアニメ(マイゴ)5話までろくに練習をしていなかった(ブランクはあったがそれのせいでメンバーと合わせができなかった)。このように技量にコンプレックスのあるマイゴだったが、途中で解散危機に陥るも終盤に見事息を吹き返しその続編であるムジカの作中でもバンドは続いているようだ。
それに対してムジカはどうかというと、何と4話で解散してしまうのだ。なぜマイゴは息を吹きかえせたのかを考えることがアベムジカ復活路線を考える鍵になるだろう。(私はアベムジカは最後に復活すると考えているのでその路線で話をしていきたい)

私が思うにバンドに大事なことは会話することだと思う。もっと抽象的な話をするならば贈与し、共有することである。

描写として語るならマイゴの7話においてバンドシーンで長崎そよの目論見を知らない他のバンドメンバー(1名は知っていた)が原因で崩壊の危機に陥ってしまうが、その後長崎そよとの話し合いによって無事に解決する。もちろん解決した要因はそれだけではないが重要な要素であるのは間違いない。祥子の家族の事も、睦のコンプレックスについても誰にも共有しなかったせいでクライシックもムジカも崩壊してしまったと言ってほぼ間違い無いのだから。

それぞれの問題点

ここではムジカのメンバーそれぞれが抱えている問題を明かされている場合はそれを列挙して、明かされていない場合は考察も含めて推測していきたく思う。

豊川祥子
 先にも触れた通り、彼女は豊川グループの令嬢であるが、親父が職務上の失態で職を辞した事を受け祖父か親父につくかを選ばされることになるが、祥子は豪邸を飛び出して裸一貫で親父の安アパートで暮らしすことになる。中学生の頃には親に代わりバイトをしており高校生になってからも夜勤に入っているなどしている。
 5話の段階ではバンドを解散した事をキッカケに(理由は定かで無い)祥子はバンドメンバーの家から親父の家に一旦帰りそして祖父がラストライブの負債を免除してくれる事を理由に実家に帰ることになる。
 こんな感じだろうか、4話までなら話していない事を原因にトラブルが起こる事を予想できたがバンドが解散してしまった以上バンドの内側ではなく外側で問題が起こるのだろう。これから祥子の持つ火薬に火がつきそうなものといえば以下のこれだろう
・親父がらみ
・初華関連
親父に関しては5話で家を出てから不安な要素しかない。ここから再起する可能性もあるだろうが、アベムジカの演出脚本がこのようなことを考えるとは私は考え難い。恐らく親父関連でも一悶着作ってくる可能性が高い。

初華関連は恐らく起こりうる事として私のみならず視聴者は考えている。初華に関しては以下でまた語りたいと思う。

三角初華
sumimiという,二人組アイドルユニットの1人である。幼い頃から咲子と知り合いである。

初華の火薬は作中で幾つか撒かれているのでおさらいしたい。

2話
 sumimiの相方との会話で心ここに非ずな様子(バンドリゲーム版の方ではアイドル活動への不安が募っていた。)。恐らく初華はsumimiよりも祥子のいるムジカの方が良いのかもしれない。(実際に祥子に対して大きな感情を持っている事を仄めかす描写があった。)

 帰る場所のない祥子を家に誘った後、祥子が母親の死を語った事で初華がそれとムジカの結成を紐付けすれ違いが起こる。(実際はマイゴの初バンドで春日影を演奏されたことが原因。)また、漫画版だと具体的に「違う…」と心の中で言う描写がある。

3話4話
2話で初華がsumimiの相方にもらったドーナツ(文脈的には不仲説が囁かれるユニットであることを明かしたあとにそれでも2人でひとつだとドーナツを半分こして初華に与える描写)を3話で模倣?し、初華が祥子に同じようにドーナツを半分こして(皿に意味深な鎖の様な置き方をして)渡そうとするが、咲子に拒まれる。
3話のラストでモーティスに人格を変えた睦から言われた助言を一言一句違わずに祥子に送る
この描写から初華は誰かの模倣しかできない中身のない人間であるように描写されているし、製作陣はそう印象付けたいようにも思える。
この描写から読み取れる事はあまりにも少ない。にも関わらず何かを語りたげな描写は考察班の格好の餌食である。その上ネットでの考察も的を射ないものばかりではあるが、ひとつあり得そうなものを紹介したい。

初華=あのさー説
『あのさー』とはアニメ、マイゴでクライシックが初めてバンドを行った後に燈に心の傷を負わせる原因になったツイートをしたアカウントである。

画像引用 BanG! Dream! project

これは私の持論ではなく世の中の全ての作品に言える事だが、完成された作品こそ素晴らしい作品と言える。完成された作品とは作中での描写に一切の無駄がない事である。タイトルや章の題名、描写としてのモブの会話にすらそれ以上の意味を載せれるのが完成された作品である。前作のmygoは完成された作品といってもいい程の作品であった。今作もそうであるとしてその上で前作の続きだとすれば前作の描写で未回収のものも本作で回収してくるのかもしれない。これは考察ではなく私個人の願いなのだがもし、悪口アカウントが初華のものであったのならムジカの描写としても初華の描写としてもそしてmygoから続くこのアニメシリーズとしても素晴らしいものと言えるのかもしれない。初華がやりたくも無いアイドルユニットにいる中で大好きな祥子が自分のとは異なる共同体へ向かってしまったことへの嫉妬をSNSで発散していたら図らずともクライシック崩壊への引き金(崩壊の直接要因は違うが)を引いてしまう。あり得そうな話だと私は思いますし三角初華関連の考察の中で1番納得感のあるものだと思います。

八幡海鈴
恐らく1番地雷描写が無いメンバーではあるが、それゆえに1番恐ろしい何かを隠し持っているのかもしれないメンバーである。
ムジカの中で1番の実力者で感情が読めない。表に出さない。海鈴の心根を明かしたのは意外にもモーティスだった。

「ここが私の居場所になればいい」

(mygo時点で)30個ものバンドを兼任しているだけあって定まった居場所がなかったことがわかる。さらに様々なバンドの解散を見てきたことがわかる描写として4話の立希との会話でムジカの事を「燃え尽きる前の線香花火みたい」と言っていた。事実、しばらく後に解散することになるムジカを先にわかっていたかのような言いようである。もし、海鈴が地雷を一つも持っていなかったとしてありえる立ち位置は『狂言回し』と考えられるだろう。演奏に関しては1番上手く経験も豊富な彼女がある種のストーリーテラーとしてバンドという無生物の状態を視聴者である我々に伝えてくれるような役割を果たすと予想できる。
現状において海鈴に関して考察することが少ないためのようなことしか書けないのをご容赦願う。


若葉睦
作中で地雷を全て晒したであろう女性のうちの1人だと思われる。親が芸能人ということもあって自分自身のアイデンティティを発揮できずにいた。しかし、ギターを演奏しのめり込むことでそれがアイデンティティになっていった。しかし、ギターを歌わせられない(自由に奏でられない)事からバンド活動が楽しく無いと感じるようになる。また、ムジカで活動中に自らのコンプレックスを刺激され自ら人格を手放してしまいモーティスというギターを演奏できない代わりに社交性と演技力のパラメータを振っている人格になり変わってしまう。しかし、その人格でも上手くはいかずにバンドを解散させてしまう。そして5話の最後でモーティスは睦に人格を戻そうとするも戻せないということが判明する。
おそらくこの後は睦(モーティス)から明かされる新情報というのは特になく、人格を元に戻すための策を考えたりするのだと思います。気になる点を他に挙げるなら咲子が睦に「昔はもっとしゃべっていた」というところでしょう。これに関しては最初にギターを触れる時とそれ以前では人格が違いもう一度戻った時というのがムジカの演奏中ということでしょう。

祐天寺若麦(にゃむ)
にゃむも作中では地雷を晒し切った女性と言ってもいいでしょう。にゃむは出世欲や承認欲求が強く、そのせいもあって第一話の終盤でアドリブで仮面を取るパフォーマンスをしてしまったことが要因でムジカの崩壊に拍車が掛かったと誹られることがある。それは事実としても、同時に私が思うのはにゃむの欺瞞のなさである。にゃむは出世欲は強いがそれを満たすための行動は手を抜かない。東京に出てビックになるという夢を叶えるために美容系動画投稿者になり、祥子に誘われてバンドをするとなったら1番の実力者に認められるほどの実力をつける。私が思うに「ビックになる為なら手段を選ばない」。これはにゃむ自身が語っていたことであるが、そこを深読みしてみるともしかしたら美容系動画投稿者もそんなにやりたい事では無いのかもしれない。第4話でにゃむがやけ食いをするシーンがあるが、ビックになるために美容系動画者を選んだが為にしたくも無いダイエットやメイクの勉強をしたのかもしれない。
しかし、第5話でビックになる事以外の目標がひとつ生まれているような描写があった。
ムジカが解散した後、マネージャー(袋小路という名前も意味深)から舞台の打診があったがそれを断る。これは睦のパフォーマンス(睦が気絶?したのを見て観客もバンドメンバーも演出と勘違いした)を受けて睦を超えたいという思いからきた行動だろう。おそらくムジカのメンバーの中で1番捻くれつつもまっすぐなのは祐天寺にゃむであり、もしこの先バンドを復活させることになるのであれば祐天寺にゃむが1番のキーパーソンになるだろう。

ここでもし読者諸君が「全ての原因はにゃむ」と思っているのなら次の章をご覧いただきたい。


犯人探しの虚しさ

アベムジカのストーリー展開を予想すると以下の通りである。

初 ムジカの黄金期からの解散

中 ムジカ再結成への苦難

終 ムジカの再結成

すると、どのように再結成していくのかを考えたい。私は先ほども述べた通りバンドに大切な事は会話であるからバンドメンバーとの話し合いで決着をつけると予想する。
会話についてもう少し深掘りをするならばアベムジカの解散は事前にメンバーが十分な会話を積んでいたらしなかった話なのでは無いかと思う。世間ではやたら祐天寺にゃむが悪者扱いされるが、事前にメンバーが得意なことや苦手なことや家庭の事情を十分に共有していたら祐天寺にゃむは仮面を取らなかったと思う(未だにバンドメンバーは第二話の事故を正しく理解は出来てないところを見ると会話不足であるという描写はされているように感じる)。というのもにゃむは自身の不利益(出世の邪魔)になるような行動は作中の行動を見てもわかる通り死んでも執らないので仮面を剥いでのアドリブはあり得なかっただろう。故にこのバンド崩壊の犯人などはおらずほんの少し歯車が狂ってしまったが故に起きてしまった事故のようなもの。犯人なんていないし探せば我々の蒙昧暗愚を悟らせてしまう。ムジカの崩壊について祥子の叔父様の言葉を借りるなら
「運が悪かった。」
この言葉は咲子の親父が詐欺に嵌められた時に言った言葉だ。


贈与と共有、そして共同体

mygoから一貫して贈与と共有がテーマになっている作品だと私は思うし脚本は我々にバンドとは何か、抽象度を上げていうならば共同体とは何かを、問うて来ているのかもしれない。
贈与と共有は前作mygoの燈が得意なことだろう。自分の価値観を(側から見ると)痛々しくも共有して、バンドのライブ中も率先して水分などを渡す。その贈与と共有を行うメンバーがムジカには欠けている。

運命共同体というワードは作中で度々登場する。最初に咲子がクライシックを立ち上げた時もマイゴを立ち上げるときに一生バンドやる宣言もムジカの時も、このアニメのバンドは共同体のメタファーであると言っても過言では無いように思える。

mygoで愛音が「一生って一生?一生ドラム叩くの?」と宣言の後に聞いていたが、ここで言う一生バンドやるというのはギターやドラム、ベースを老人ホームにいてもやるということではなく、バンドという共同体に属して楽器という唯物的なものは別のもので代替できるということだろう。それはある種の繋がりでありキズナとも呼べるものなのかもしれない。そして作中では何者でも無い少女達が共同体を探し求めている様子が散見される。咲子はその代表である。咲子は母親を失ってから家族という共同体も失っていた。しかし、モルフォニカという先輩の学年のバンドを見てから新しい共同体を手に入れる事を夢見るようになった。クライシック、ムジカと何度も共同体の結成、解散を繰り返していく内に自分はひとりぼっちだということに気付かされるのが第5話になる。ひとりぼっちの咲子に気がついた燈は咲子に対しこう言った
「バンドやろうよ!」
これは君をひとりぼっちにしないと言う宣言だと私は解釈した。

 この後の展開を考えるならアベムジカ再結成へ向けて元メンバーが作中のライブハウス、リングへと足を運ぶそこで再結成しかけるもまた弾け、しかしもう一度再結成する頃にはお互いの事情や思いも十分に共有されていて恐らく商業バンドではなく本当の運命共同体になってこのアニメは幕を閉じる。
と、私は予想します。

P.s最後に


ここまでご覧いただきありがとうございます。正直なところアニメ5を見てから勢いのまま筆を滑らせたので誤字脱字が多いかと思いますが、一度睡眠をとった後じっくり読み直して修正したいと思います。

約7000字にも渡る文章をお読みいただきありがとうございました。

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