選択のパラドックスと途上国 ―選択肢が多いことは幸せなのかー
このエッセイでは選択のパラドックスと途上国と題して、選択肢が多い方が幸せだと思われてきた考えは本当なのか?というのを日本と発展途上国比較しながら全4シリーズで紹介していく。
「あなたは将来何になりたいの?」
こんな質問を1度はされたことをないだろうか。
小さい頃は仮面ライダーやプリキュアと言った仮想上のものから、昔で言えばケーキ屋さん、パイロット、最近ではYouTuberなどが子どものこどものなりたいもの上位に上がっている。日本は義務教育も整っており、本人の努力と覚悟さえあれば実際なんでもやろうと思えばできる世の中だ。
一方で発展途上国と呼ばれる国の子どもたちはどうだろうか。日本以上に格差が大きく、義務教育制度はあっても実際は通えない子どもたちが多いのが現実だ。そんな中でも彼らには夢がある。TVのドキュメンタリーで過酷な通学路を通いながらも医者や教師をめざす子ども達の姿を筆者は何度も見た事がある。そのような子ども達にとって自分の中で選択肢があるというのは人生を生きる上での希望だ。貧しい生活抜け出すため、親に恩返しをするため、様々あるだろう。筆者には画面越しだが猛獣に襲われる危険と隣り合わせで学校の通う彼の瞳がとてもキラキラと輝いているように思えた。
階級制度の中生きる子ども達
だが、これは階級制度に縛られない場合の話だ。インドのようにカースト制という身分制度(現在は法律上は禁止されている)が色濃く残る国の子ども達はどうだろうか。生まれた時から階級制度の中で生き、自分のしたい仕事ではなくそのカーストの仕事をして、一生を終えていく。きっと彼らにもこれになってみたいという願望は少なからずあるではないだろうか。しかしインドにおいてはカーストの力は強く、親がコックなら自身もコックとして生き、親が大道芸人なら大道芸人として生きる。それが当たり前なのだ。そういう意味ではかつての日本もインドのカーストまで強くなくとも、大学を出て、25,26歳までに結婚して家庭を作る。そして、新卒で入った会社で定年まで働き、孫に囲まれて死ぬ。そんなある種のレールがあった。
世の中は選択肢の海。大航海時代だ。
しかし現在はだうだろうか。終身雇用は終わりを告げ、フリーランスで働くというのが一時ブームになるなど選択肢が多様化していきている。人々は世の中にある膨大な選択肢の海の中に放り込まれつつある。いや、もう私たちは選択肢の海の放り込まれているのだ。
今までの社会は途上国も日本、ある種のレールがあった。特に日本はそれにのれば、「安泰・安心・安定」この3つの言葉を武器に守られ生きていた。
しかし、その「安泰・安心・安定」が崩壊しつつある中で、私たちはどのように生きていくことが幸せなのだろうか。次回は日本の社会における選択のパラドックスとそれに対する筆者の考えを述べていく。
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