『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』

人から向けられて一番うれしい感情はなんだろうか。愛情、親近感、恋愛感情、連帯感。推しが推しに向けていて欲しい感情はなんだろう。愛欲、憎しみ、殺意、友情、努力、勝利、その他。

私はその一つに、「自分のために、自分の代わりに怒ってくれる」ことがあると思う。シェイクスピア『ヘンリー8世』でノーフォーク公は言う、「怒りを熱しすぎても自分が火傷するだけだ」。ただでさえメリットの無い行為を、他人のためにやってのける。私はそこにBIGなLOVEを感じてやまない。

諸君 私は百合SFが好きだ。『ハーモニー』が好きだ。『最後にして最初のアイドル』が好きだ。『裏世界ピクニック』が好きだ。宇宙の果てで、世界の終りで、推しが推しに向けるクソデカ感情が大好きだ。小川一水『ツインスター・サイクロン・ランナウェイ』、すてきな百合SFだと聞いた。よろしい、ならば購入だ、というわけだ。戦争も愛も「怒り」と相性がいい。Love is a battlefield、これはとんでもない「怒り」の物語だった。

物語の始まりは唐突である。西暦3000年から8526年までの無機質な年表が最初のページに載せられ、どうやら太陽系を脱出した人類が「周回者(サークス)」と自称している世界で、まったく新しい星々で物語が展開されていくらしい。発展に発展を重ねて「都市」と化した宇宙船をあやつり、「周回者」たちは大気中を泳ぐ魚「昏魚(ベッシュ)」を捕らえて暮らしているという。さながら読者は固有名詞と世界観の嵐(サイクロン)に飲まれた小さな漁船のような気持ちを味わう。

「昏魚(ベッシュ)」の漁は、基本的に男女のペア、すなわち夫婦で行われているという。漁師のテラはパートナー探し、すなわち結婚相手探しをしている女性だが、お見合いをするたびに振られている。親戚からは「まだ結婚していないのか」と腫れもの扱いを受け、自分でも「こんなに背が高いからいけないのだろうか」「女性なのに出しゃばった漁をするのがいけないのだろうか」と日々悩んでいる。

「あれ?」と思ったオタクの皆さんも多いのではないだろうか。「定職に就けずに親戚から煙たがられる」「自分の容姿をコンプレックスに感じる」「周囲からは結婚を急かされる」……そう、テラが悩んでいることは、そのまま現実の私たちに重なり合ってくる。SF作品を読むいちばんの楽しみは私はここにあると思っていて、「まったくの異世界の話」なのに、「私たちと同じ悩みを抱えている」ことが分かる瞬間が必ずあるのだ。むしろ、文脈が全く違っているからこそ、その部分だけが浮かび上がって見えるときもある。「何って……歩行しただけだが?」「すごい!右足と左足を交互に前に出すと前に移動できるんだ!」世界が違えば、むしろ見慣れた風景こそが目立つのだ。

いつものようにお見合いで振られた帰り道、テラは「ダイオード」と名乗る謎の家出少女と出会う。ダイオードはテラの独創的な漁を見て、「この人と組むしかない」と自分の船を抜け出して、身一つでテラのもとにやってきたのだという。テラは周囲に奇異の目を向けられながらも、ダイオードと2人で漁に出ることにする。

謎多き少女ダイオードとテラの距離が少しずつ縮まるにつれて、ダイオードはテラの置かれた環境に、テラの周りの人々に、口汚く怒りを投げかける。「本当は自分の気持ちに反して結婚するのが嫌なんじゃないんですか?クソ喰らえです」「背が高いのは/胸が大きいのは漁の腕の良し悪しと何の関係もないでしょう、馬鹿なんですか?」

テラは、自分が嫌だったことにすら気が付いていなかった。ただ「長い間そうだったのだし、自分もそうするものだ」という外的なコードに従って動いていただけだった。ダイオードが代わりに怒ってくれることで、自分の痛みに気付き、自分が味方されていることに気付く。こんなに優しいことがあるか……?

「当然とされていることに怒りを表明すること」が話の軸になっていることから、当然ながら話は「男女の間だけに愛が成立すると決め付けるのがそもそもおかしい」という流れになり、詳細は……君の目で確かめろ!

ダイオードちゃん(cv. 水瀬いのり、私の中で決定済み)とは何者なのか、昏魚(ベッシュ)とは何なのか?謎の嵐に目眩を感じながらも、圧倒的な「関係性」で殴られ続ける快感、気持ちのいいSFでした。早くアニメ化してくれ。なるべく多額の予算で。頼む。私たちももっと、自分のために怒り、自分のために逃げ(ランナウェイ)てもいいのかもしれない。「あいがたりない」なら「逃げてもいいよ」と、Vtuberの先輩方も歌ってくださっていたことでした。

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