恋愛短編小説「蛇と蛙」
「蛇と蛙」
暗い森の奥、静寂を破るのは夜風に揺れる木々のざわめきと、時折響く小さな蛙の鳴き声だけだった。その森の池のほとりに、二つの影が寄り添っていた。
一つは、冷たく滑らかな鱗を持つ蛇。もう一つは、柔らかく湿った肌を持つ蛙。
誰もが信じられないような関係だった。捕食者と被捕食者。それなのに、二人は愛し合っていた。
「どうして、君は私なんかを愛してくれるの?」
蛙が静かに問いかけた。
蛇はその問いに少し微笑みながら、蛙を見つめた。
「どうして、そんなことを聞くんだ?」
「だって……君は私を食べることもできる。それなのに、いつも優しくしてくれる。」
蛙の瞳には、恐れと不安が混ざっていた。蛇はそんな蛙の顔を見つめ、そっとその体に巻きついた。
「君は他の蛙とは違う。君の瞳には、私が見たことのない美しさがある。それに、君は私を恐れながらもそばにいてくれる。そんな勇気ある心に惹かれたんだ。」
蛇の声は穏やかで、蛙の胸に染み渡った。
「でも、私は怖いよ。いつか君が本能に負けて、私を飲み込んでしまうんじゃないかって……。」
蛙の声は震えていた。蛇はその不安を感じ取り、さらに強く巻きついたが、その力は優しさに満ちていた。
「大丈夫だ。私は君を傷つけない。愛するものを守る、それが私の本能だ。」
蛙はその言葉に少しだけ安心し、蛇の冷たい体温を感じながら目を閉じた。
二人が出会ったのは、雨が降りしきる初夏の夜だった。
蛙が池の近くで雨宿りをしていると、木の陰から蛇が現れた。その鋭い目と滑らかな体を見た瞬間、蛙は逃げようとしたが、蛇はそれを止めた。
「逃げなくていい。私は君を食べない。」
その言葉が信じられず、蛙はしばらく動けなかったが、蛇はただそこに座り、雨音を聞いていた。
「どうして……?」
蛙は恐る恐る尋ねた。
「雨の日は狩りをしない。それに、君の声は美しい。そんな声を奪うのは惜しいと思っただけさ。」
蛇の言葉は冷静で、しかしどこか温かみがあった。その日から二人は少しずつ話すようになり、気づけば互いに惹かれ合っていた。
しかし、二人の愛は森の他の生き物たちから理解されなかった。
「蛙が蛇と一緒にいるなんて、信じられない!」
「蛇に騙されてるんだ、早く逃げたほうがいい!」
蛙の仲間たちは口々にそう言った。蛇もまた、仲間の蛇たちから軽蔑の目を向けられた。
「お前は弱い蛙なんかに心を奪われているのか?」
「そんな関係、長くは続かないぞ。」
だが、二人はそれでも離れることはなかった。
「他の誰に何を言われても、私は君を信じてる。」
蛙はそう言い、蛇の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「私もだ。君といると、私の本当の心が自由になる。」
ある日、森に危機が訪れた。
大雨によって川が氾濫し、池の周囲が水没してしまった。蛙たちは高台に避難し、蛇たちも森の奥へと逃げた。だが、蛙は蛇と一緒にいるため、その場から動かなかった。
「早く逃げないと危険だよ!」
他の蛙が叫ぶ。
「でも、蛇は泳ぎが得意じゃない。私がそばにいなきゃ……。」
蛙はそう言って、必死に蛇を支えた。
蛇は感謝の眼差しを蛙に向け、言葉をかけた。
「君がここまでしてくれるなんて……もう逃げなくていい。君を守る。」
蛇はその長い体を蛙に巻きつけ、共に高台へと向かった。流れに逆らいながらも、二人は互いを支え合って生き延びた。
大雨が止み、森に再び静寂が戻った頃、二人は池のほとりに戻った。
「私たち、乗り越えたんだね。」
蛙が言うと、蛇は静かに頷いた。
「これからも、君と一緒に生きていきたい。」
「私も、君とならどんな困難でも越えられる気がする。」
星空の下で、蛇と蛙はそっと寄り添った。森の中で理解されなくても、二人には確かな愛があった。それは捕食者と被捕食者を超えた、魂の繋がりだった。
そして、静かな夜が続く限り、二人は共に歩み続けるのだろう。