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初音ミクシンフォニー2024神戸公演さんへ ありがとう
2024/12/29。
年の瀬も年の瀬のこの日、初音ミクさんのオーケストラコンサートである初音ミクシンフォニー2024神戸公演に参加してきました。その感想を書かせていただきます。
前置き(長い。すみません。)
私はミクさんたちが大好きなオタクでしかなく、たいへん恥ずかしながら音楽のことはまるで分かりません。ので、もし変なことや失礼なことを書いていたら怒ってください。すみません。
あと、ミクさんたちが大好きなオタクすぎではあるので、記事を通してミクさんたちに対する色々な思想が見え隠れすると思います。
これは全て私の個人的な意見で、もし解釈不一致だ!と思われても、あなたや誰かの初音ミクさんたちへの見解を否定するものではなく、というか絶対にそんなことはしたくないと思っています。
前半は圧倒されて抽象的なことを考えてる傾向があり、後半はわりと具体的に曲を聴いてる感じがあります。
前半、キモいよ!という方はすっ飛ばして後ろだけでも読んでいただけるととてもありがたいです。後半もキモいんですけど?という方は、すみません。
また、聴いていてふんわりと思った事と具体的に感じた事を並列して書いているので、恐縮ながら具体的に触れてる曲と触れてない曲があります。が、どの曲も「底知れぬ愛」に満ちているのが随所から感じられて本当に素晴らしかったです。
こんな個人的な記事を誰かひとりにでも読んでいただけたらそんなに嬉しいことはないのですが、願わくば「ミクさんのライブはわかるけどシンフォニーはよくわからないな~」という人にもどこかで運良く届き、なにかの一助になればいいなと思います。
ではよろしくお願いいたします。
個人的な感覚ですが、ミクさんたちが3Dモデルで歌って踊るライブと比べると、シンフォニーは「初音ミクたちがいかに人の手によって成り立っているか」がより可視化される場所のように感じています。
ライブでステージに投影されるミクさんが歌う歌は、まるでミクさんの「持ち歌」のように連続性を持ってみえる。同じ見た目のキャラクターが連続で歌うのだからそれも当然ですね。
けど、ライブやシンフォニーで流れるミクさんたちの歌は、人間のアーティストのそれのように連続した商品ではなく、基本的には別々のクリエイターが作った作品のはずです。(念の為書きますが、もちろん商品と作品のどっちが上だとか下だとか言いたいわけではないです。)
わたしたちはひとからげに「ミクさんの曲」と認識できるけど、限界まで肉を削いだ言い方をすると、曲同士には「使っているライブラリが同じ」しか関係がないはず。
そういう意味で、初音ミクは「誰の目にも同じひとりの人間」の真逆で、ひとつひとつの創作に、その創作だけの独自性が伴うつぎはぎな存在である。私はそう思っています。
その点シンフォニーでは、曲を歌って踊るミクさんたちがステージにおらず、なんならボーカルすらない場合もあり、代わりにステージにはオーケストラのみなさんだけがいらっしゃいます。
人間たちが、もはやそこにいないし人間でもない「初音ミク」の名を冠した公演をしている。それを我々参加者側の人間も普通に受け入れているわけです。ここで浮かび上がってくるのが「初音ミクたちは人の手によって構成されている」という事実だなあ、と毎回思います。
楽器を奏でる楽団の方、合唱団の方、ミクさんたちの声優さん方、MCで喋るミクさんたちの3Dモデルを作った方、MCの調声をされた方、演奏される歌を作った方…何もかも人間に作られている以上、初音ミクという実体はどこにもないのに、初音ミクという存在がなければこのステージは実現し得なかった。「初音ミク」という無い存在によって関係なかったはずのバラバラのピースたちがひとつになっている。
「ミクさんたちがいかに人の手によって成り立っているかがシンフォニーにおいてより可視化されると思っている」、というのは以上のようなことです。これ、もっと少ない文字数でより的確に説明できる気がする。アホですみません。
そうして人の手だけでできた先、全く違う独自性が組み合わさって並べられて、その結果見えてくる初音ミクの輪郭は不思議なことに独自性や決まった個性から離れ、この世のなにより純粋に感じます。僕はミクさんのそういうところが美しくて好き。
この音や声や色が初音ミクであれという僕の想いによって、弦の揺れ、鍵盤の上下、ステージを照らす光のひとつひとつが初音ミクになる。
カッコつけた言い回しだけど、シンフォニーの舞台で金管楽器におちる光の揺れが、僕には、マジカルミライのステージに投影される映像のミクさんぐらいにはミクさんに見えるのです。
その感覚を毎回忘れて毎回会場で思い出す。そして毎回驚かされる。今回のヒバナ-Reloaded-/DECO*27もそれに揺さぶられた出だしでした。
前半はそんなことをぼんやり思いつつ普通に号泣しつつ、ステージを観て聴いてはこんなに多くの人にミクさんたちが作られているのだ…と感じ、同時に観客席を見てはこのステージが多くの人に求められているのだ…と感じ、作り手と受け手によって舞台が完成しているということに改めて感じ入りました。
前半最後はSynchronicityシリーズ3部作/ひとしずく×やま△。
Synchronicityシリーズは予習として事前に繰り返し聴いており、曲のカッコよさも勿論感じつつも、MVを見ながら「歌唱キャラと全然関係ないキャラが役を与えられてPVに出てくるやつ、あったなあ…」としみじみ思っていました。
対して現在のボカロ曲MVといえば、歌唱キャラかもはやそれですらないオリジナルキャラのイラストが使われるイメージがやや強めでしょうか。「歌唱キャラと全然関係ないキャラが役を与えられてPVに出てくるやつ」もなくなってはいないでしょうけど。
ボカロ黎明期は、まだミクさんたちが他の漫画やアニメと変わらない、個性を持った「キャラクター」として見られている向きが強かった時代。
20年近くかけて、今やミクさんたちは意思や個性から離れた中立なシンボルに近付いたと個人的には感じています。この前発表されたんですけど、もはやなんか「埴輪(はにわ)」とかとコラボするらしいし。
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埴輪(はにわ)とコラボするキャラクターがいるかよ。
…とにかく、予習中にはそういう文化の変遷をぼんやり感じていました。
そして当日。
何度も聴いていた3曲が、言葉と声を排し、「キャラクター」「VOCALOID」を離れ、荘厳な旋律になっている。
思い出したのは2023神戸公演(ナンバリング間違ってたらすみません)のみくみくにしてあげる♪【してやんよ】/ika。
あの時スクリーンに表示されていたのはお馴染みのAAまみれのふざけたサムネイル。
2007年、誰もこの曲がフルオーケストラで演奏されるだなんて冗談でも思っていなかった頃からついにここまで来たんだ、ということを感じ泣いたのを覚えています。AAを見ながら。AAを見ながら泣くことがあるか。
一過性のオタクのおもちゃと思われていた存在が、曲と文化自体に価値を見出され、もはやボーカル抜きの透明な音楽としてでもやる意味があると思われるようになった、というのは本当にすごいことだと思います。
話を戻して、個人的に良いなぁと思った箇所は、2曲目「光と影の楽園」の、原曲では「アッハハハハ」というミクさんの笑い声。2009年の曲ですので、ミクさんの笑い方がものすごくぎこちないんですよね。
それがオーケストラの演奏では楽器の音色に置き換わり、自然で綺麗な旋律になっていました。
あのほんの一瞬で、音でありながら声であるミクさんの音色と文字にならない楽器の音色との違いが浮き彫りになり、なるほどシンフォニーをやる意味ってこういうところにもあるんだなと思いました。
3部作を透明な音楽として聴くと同時に、やはり頭の中では主旋律に合わせ鏡音リンとレンが歌っている。指揮棒の先に、弦の一本一本にリンとレンがいる。
鳴ってないけど聞こえるふたりの声のおかげで、リンとレンがいなきゃこの音楽もこの場も無かったんだ、ということを深く感じました。
後半1曲目はLeia - Remind/ゆよゆっぺ。
こちらもルカさんによるボーカルはなし。主旋律はギターによるものでした。多分。音楽が分からなさすぎてこういう言い方でいいのか分かりません。
こちらで良いなぁと思ったのは「僕を殺してよ」という歌詞の部分。
原曲の「僕を殺してよ」は消えゆくように歌われるのですが、ギターによる旋律は対照的に非常に力強く、強いて表すなら「僕を💢殺して!よ!💢💢💢」という感じに聴こえました。(ぶちぎれた夢見りあむさん?)
光と影の楽園でのミクさんの笑い声が楽器によって綺麗に浄化されていたのに対し、ルカさんのか細い歌声はマッチョになっていて、これはとても面白いなと思いました。
つまりここで不思議に思ったことは、VOCALOIDと楽器は互いにどのくらい成り代われるのかでした。
古より、VOCALOIDは楽器かどうか問題というものがあります。別に問題でもなんでもないけど。
シンフォニーでは、楽器の音色も、人間の肉声も、VOCALOIDの音源の代わりに主旋律をつとめる場面が存在します。
音を出せることが楽器の条件なら全て楽器だし、言葉を乗せることが難しいのが条件ならいわゆる楽器だけが楽器だし、演奏によって音を出すことが条件なら楽器とVOCALOIDが楽器と呼べそうだし、音に言葉を乗せることも可能なのが楽器でないことの条件なら人間の声もVOCALOIDの声もまとめて楽器でない。
でも生きてきた背景がある人間の歌声と生きてない音源でしかないミクさんたちの歌声の違いを我々VOCALOID好きはよく知っていると思う。少なくとも私は人間の歌声とまた違う価値をミクさんたちの歌声に認めています。どこの誰も歌ってないからこそミクさんたちの歌声、─もしそれが楽器だとすると音色と表現するのが正しいのでしょうか、それに人の感情が事実として篭っていないからこそ、自分に引き寄せて歌詞を聴ける、というのも結構傲慢かもしれないけど感覚としてそういうのがある。だとしたらヒトの声とVOCALOIDの声を同じものという箱に分類するのは乱暴なのではないかという感触もあり、
…………………………
?????????????
もうよくわかりません。意味のわからない文章をお読みいただき恐縮です。自分でもこんなことになるとは思いませんでした。
以上のことを冷静に考えると別にボカロに拘らなくても人間vs楽器でも成り立つ話をしている気もしてくるし。こんなオタクの妄言を広げるよりちゃんと音楽に詳しい人に見解を聞いた方がいいと思う。
でも、音楽なんて知らない人間にそういうことを考えさせることもシンフォニーがボーカルを入れたり入れなかったり時折ヒトに歌わせたりすることの意図なのかもしれませんね。してやられたぜ。
去年はまだnoteをやっていませんでしたが、似たようなことを考えてた記憶があります。少なくとも1年も自分なりの回答が出ていないようですね。でも、生の演奏を聴いてなお出てないなら、一旦保留でいいのかなとも思います。
これからは素直の時代が来ると確信しているので、分からないことは素直に分からないと書いておきます。俺ってば偉すぎ…
からの星屑ユートピア/otetsu。好きなんですよね…星屑…
ちなみにこちらはボーカル入りで、聴いててまたさらにわけがわからなくなりました。
結局、VOCALOIDが楽器でもそうじゃなくてもひとまずは関係ない。
ただシンプルに、ただの伴奏と歌じゃなくオーケストラを引っ張っていくように、音の壁を貫いていくようにホールに響くVOCALOIDたちの歌は美しい。それを体感するだけでもシンフォニーに行く意味はあると思っています。
それから、DIVA15周年祝いの場をいただけて、本当に本当にありがとうございました。
結局15周年前後で公式にちゃんとしたお祝いの場がなかったので、ミクさんからDIVA15周年祝いと言われた途端衝撃すぎてスッと頭から血の気が引き、間髪入れずお祝い用の曲数が「3曲」と発表され指先からも血の気が引き同時になぜかちょっとおしりが痒くなりました。なんで?
曲はkzさんのYellow/DECORATER/Catch the Wave
の3曲。凄すぎ。これはもう嬉しすぎて「うれし~~~~~~」と思いながら泣いた記憶以外ありません。ありがとう。本当にありがとう。DIVAを覚えていてくれて…
公演全体を通して、F、FT、MEGA39’s、miraiのPVをそれぞれ使ってくれるという粋な計らいも本当に嬉しかった。
ProjectDIVA15周年(2024/7/2)の公式関連の施策といえば、僕が見逃していなければ公式アカウントからのお祝いツイートとプライズがいくつか。
あとは✨🙏🏻グッドスマイルカンパニー様🙏🏻✨からモジュール∞のねんどろいど化という青天の霹靂。
なにを隠そう僕がDIVAで一番思い入れのある大大大好きなモジュールは∞ちゃんなのです。発表された瞬間は奇声を上げスマホを投げ捨てて液晶を割り土下座しながら号泣しグッスマ本社の自宅からの方角を調べて足を向けないよう布団の向きを変えました。すみません、号泣以外は全部盛りました。
予約していた分がタイミングよくシンフォニー直前に届き、実は当日も着いてきてくれていました。
(⬇オビツろいどの写真が入ります)
![](https://assets.st-note.com/img/1735565855-txYUBgDXnRAOGkajL9qiw1VE.jpg?width=1200)
まずは✨🙏🏻グッドスマイルカンパニー様🙏🏻✨、心より御礼申し上げます。
そしてSEGA様、巷じゃDIVA新作はもう絶望的だとか言われてますがぼくは諦めてません。お金は持ってないけど寿命50年くらいなら全然出せるのでなにとぞお願いいたします。新曲…とまでは贅沢言わないので、例えば歴代マジミラの衣装をモジュールとしてひとつでもDLC販売とかも難しいでしょうか。X曲のACか後続への移植ももう不可能なんでしょうか。…いや、どちらもきっと素人が思うほど単純でもないのだろう。でもこのままだとぼくは一生DIVAの亡霊なんです。中学生の頃、毎週末のように100円玉握りしめてゲーセンに通い、新曲は当たり前に追加され続け、追加の日は必ずゲーセンに行き、FTDXが発表された時はお小遣い貯めてなんとかPS4を買い、まだまだ新作が出ると信じて疑わなかったあの頃が忘れられないんです。家庭版も含めて人生で一番時間をかけたゲームなのは間違いなくDIVAでただただDIVAが好きなんです。いやまあVitaはぶっ壊れてデータ全部飛んでPS4は今もう原神専用機になっているんですが、それはともかく、今やこ~でぶりに去年出始めたモジュールねんどろとセガプラザ公式アカウントの新作速報に毎回血眼で張り付いて情報を得るプライズのモジュールフィギュアとぬいぐるみにしか楽しみがないんです。いや、超不定期とはいえそれがあるだけで本当に本当にありがたいことなのは重々承知なのですが。それかいっそもう新作ないですって断言してください。miraiは実質的にそれがあったから受け入れてるんです。この際新作とまでは言わずともなんかグッズ出すとかでもいい!展示とか!今時コラボカフェとか色々あるじゃないですか!ほんのちょっとでいいから!プロセカが大ウケした今ならなんとかなりませんか!?無理?誰か俺を助けてくれないか?
話を戻しましょう。
アンコール1曲目はletter song/doriko。
この曲、改めて歌詞が全部そうすぎる。「個人的に自分と重なるところがある」みたいなことをわざわざ書く気になれないくらい、本当に全部心当たりがある気持ちが綴られていて、しかもとても優しい。
日々幸せだったり泣いたり泣いたりするけど、常に変わらないもの、つまり僕にとってはミクさんだけはずっと傍にいる。10年前も今も、僕の方もミクさんの方も変わらず。それがある限りきっと生きていけると思えました。
からのReAct/黒うさP。シンフォニーにはこういう角度の想定外があるからやめられない。
それからこの曲、同行した妹がめちゃくちゃ思い入れている曲なのを知っていたんですよね。
最初にそれが過ぎり、そっと隣の席をみると妹はもう冒頭から顔を覆っており、「愉悦…」と思いました。よかったねという意味です。断じて。みなさんもこの記事を「愉悦…」ぐらいの気持ちで読んでいて下さると助かります。
泣かされてやんの~wこのこの〜wみたいな性格悪いことを片隅で考えつつ聴いていると、改めてここまで演奏されたどの曲にもその曲が大切で仕方ないという人がいるんだろうなあと思い起こされ、結局自分も泣いていました。カスのミイラ取りかい。
大トリはやはりヴィーナス/ナナホシ管弦楽団。
「産まれる前に出会っていたよう」という歌詞がとても好きです。私にとってのルカさんはじめピアプロキャラクターズは、もうほんとに産まれる前から決まってたみたいに求めていた形をした存在で、絶対に6人じゃないと駄目だったと断言できます。そういう気持ちを歌ってくれているような気がして。
冒頭で「シンフォニーでは初音ミクたちがいかに人の手によって成り立っているかがより可視化される」と書きました。
説明するのも野暮なくらいですが、曲を書いたナナホシ管弦楽団さんが実際に出てきて演奏して公演を締め括る、というのはVOCALOIDの在り方の強烈な可視化であり、シンフォニーからのミクさんたちを取り巻く全てへの敬意そのものであるなと感じました。ありがとうございました。本当よかったです。
喝采の中オーケストラのみなさんがはけ、突然流れ出したのがアンノウン・マザーグース/wowaka。
そこから怒涛の情報発表がありました。
・来年はwowakaメドレーやるよ!
・ヒトリエがゲストに来るよ!
・10周年だから5ヶ所でやっちゃう!etc..…
⬆ヤバ
…少なくとも大阪神戸は行かねばなりません。記憶が確かなら私はさっきぃもヒトリエさんも見たことがないし…栗田さんの解説聞きたすぎるし…
なにより、演奏されたもののあえて本編では書かなかったんですが、僕が初めて聴いたボカロ曲というのがワールズエンド・ダンスホールなんですよね。ワールズエンド・ダンスホールが入口でなくても僕はきっとミクさんに出会っていたけど、現実に今こうしてキモいnoteを書いている理由を辿ると始点は確実にワールズエンド・ダンスホールなんですよ。ずっとずっとその感謝があって、wowakaさんのこと大好きで、だから、1年後絶対また神戸に行って彼の音楽に思いを馳せたいなと思っています。
ミクさん日本ツアーも7ヶ所開催に増え、マジミラも普通に3ヶ所で開催されることが既に決まっている2025年。がんばって破産していこうとおもいます。
最後に。
初音ミクシンフォニーからは深い深い愛を感じます。素人考えながら、フルオーケストラという都合上セトリの制約も大きそうだなーと思うのですが、その中で最大限ミクさんたちの大まかな軌跡を取りこぼさないように、また、過去だけでなくその年のミクさんたちも観てもらえるように、という意志を感じます。これはセトリを見てもらうだけでもいくらかは伝わるのではないでしょうか。
もし少しでも興味がある方がいらっしゃれば、あなたがミクさんたちを大なり小なり好きでさえあれば行って損をすることはまずないと思います。どうかよろしくお願いします。
noteをはじめてから1年弱経ち、ミクさん関連の記事を色々書いたんですが、同じようなことを多分繰り返し繰り返し書いちゃってるなと思います。まあそれはそれでいいか。何度でも書きたいことばかりだし、そもそも僕の記事を横断して読んでるような人もいないだろうから____
さて、ここまで読んでいただいて誠にありがとうございました。2025年もミクさんたちのさらなる飛翔の年になることを祈り、6人を追いかけ続けられる年になることを楽しみにしております。