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向き合う方が少しでも変化するきっかけに、私自身がなりたい。

エイトシークエンスのコンサルタントは、キャリアプランをじっくりとお聞かせいただき、充実感と納得感のあるキャリアの選択をサポートしています。このシリーズでは、コンサルタントの自己紹介と共に、キャリアの考えやモットーなどをお話します。実際に話してみたいコンサルタントと出会ったら、こちらよりお問い合わせください。
今回のインタビューは、大岩 夏子(おおいわ なつこ)です。

根底にある人格形成は幼少期の父の影響

私は山梨県で生まれ、生まれてすぐに神奈川県横浜市に転居し、両親と弟2人の5人家族で暮らしてきました。趣味は、大好きな「自然」や「アクティブなこと」を楽しめるキャンプや山登りをしたり、自然豊かな場所へゆっくりとした時間を過ごしに行ったりすることです。

こういった趣味も、父の影響を大きく受けています。父は奇想天外で自由人、まさしく「破天荒」という言葉がぴったりな人でして。一方の母といえば、真逆と言っていいほど真面目できっちりしていて、包容力溢れる女性。そんな両親の一人目の子供として誕生した私は、特に父と多くの時間を過ごしました。幼少期には、父と一緒にキャンプに出掛けたり、山登りをしたり、ホームセンターに毎週のように通ったり。ある日、いつものようにホームセンターに行ったとき、覗いたペットショップに柴犬がいたのですが、父は犬を見て3秒で「飼おう」と言って、そのままわが家に連れ帰りました(笑)即断即決な父は、急に「今日は長野に行こう」といって、突然長野に山登りに出かけたりします。私は「一緒にいく!!」といって、絶対について回っていました。そんな私はたくましく、わんぱくに、まるで少年の様に育ちました。

好奇心旺盛で、負けず嫌いだった学生時代

小中高と、何か一つを頑張っていたというタイプではありません。一方で、小学校の頃は沢山の経験をさせてもらいました。習い事といえば、剣道・茶道・ピアノ・塾・水泳・バドミントンなど。私がやりたいと言ったものはやらせてくれる両親だったので、なんにでも興味を持つ私は、結果的に毎日違う習い事に通い、新しい体験を様々積む小学校生活を過ごしました。

そんな興味が多方向に向いていた私も、中学校ではバスケ部に所属しました。父との山登りで鍛えられた体力が認められ、1年生の中で2人だけ選ばれたレギュラーの一員に。自分が目立ちたい・優勝したいといった欲求は全くといっていいほどなかったものの、「一回レギュラーになったのに、ここで外されたらダサい。絶対に自分に負けたくない。」という情熱が沸々と生まれ、部活漬けの学生生活に。
今思えば、周りと比べられたときに、「一番にならないと」という、負けず嫌いな自分がいたように思います。


多くの体験を得に行った大学時代。卒業後には約2年間オーストラリアへ

大学では、何かを専門的に学ぶということよりも、「体験」を得ることに喜びと遣り甲斐を感じていました。とにかくバイトに明け暮れ、いただいた給与で海外に旅に出る学生時代。
小学生の頃、外国のアニメをひたすらに見ていたことが影響し、海外への憧れが根底にありました。そのため、大学生活においても半年間アメリカに行くプログラムへ申込み、語学留学も経験。ただ、そこで人生初めての挫折を味わいました
正直、それまでの人生はといえば、器用に80点を取るようなタイプで、特に壁に当たることもなく過ごしていたのですが、アメリカで授業を受けていた際、全く喋ることができず自分を出せない、そんな何もできない自分に直面し、「あれ、私ってなんだっけ?」と、とても苦しい気持ちになったことを覚えています

そんな悶々とした日々を過ごしていた私でしたが、授業中、隣に座っていたクラスメイトから

「あんたが喋れないことなんて誰も気にしないから、まずは喋れ」

と、言われ、恐る恐るコミュニケーションに入ることに。
結果、全然英語の喋れない私が伝えたい事を周りが言葉にしてくれ、様々な輪に入れるようになり、「できない自分でも全然いい。」と、自分自身を許容できるようになりました
この体験によって英語力が高まっただけでなく、完璧でなくても、出来なくても飛び込んでいくことで成長を得られることを知った貴重な経験でした。また、アメリカへの留学期間では、文化の違いにも衝撃を受けました。友人が見ず知らずの人に暴力に遭って荷物を盗まれそうになったり、バス停に並んでいたら急に刺されそうになったり、日本では絶対にありえないような場面に当たり前のように遭遇したことで、自分がこれまで小さな世界にいたことに愕然したことを覚えています。
こうして自分の価値観を拡げられた体験に投資することを決め、バイト代を全てつぎ込み、合計15か国以上もの国々を格安チケットで旅する生活がスタートしました。
ただ、旅行者として様々な国をまわるだけでなく、その地で生活をすることで新たな価値観が得られるのではないかと思い、大学卒業後にワーキングホリデーでオーストラリアへ行くことを決断。就活は全くせずにバイトでお金を稼ぎ、有言実行で卒業後すぐにオーストラリアへ。

オーストラリアでの生活はメルボルンからスタートしたものの、この地には日本人が多く、暮らしやすい環境に本来の目的が果たされないことを確信し、「さらに自分に負荷がかかる選択を」と心に決め、ゴールドコーストに移動。ドミトリーで3日間を過ごし孤独にさいなまれながらも家を決め、仕事探しをスタート。ローカルで働きたいという想いが強く、毎日30件程、会社やお店に自前のレジュメを持って飛び込み訪問。結果的に、2度断られたホテルに3度目の正直で「あんた毎回来るわね。いいわ、明日から来て」と言われ、無事に仕事を手にし、多国籍な人が集まる環境で仕事を経験しました。
海外での仕事や生活経験は、多くのギャップも身に沁みて体感。正直、海外の方は日本人のように細かくなく、自分の働く時間が終了すれば、どれだけ仕事が残っていても帰宅する。シェアハウスで共に暮らしていたルームメイトとも、価値観の違いで衝突したこともありました。
ただ、それは宗教や育ってきた環境、文化が異なることから生じていることであって、私が感じていたものが正しいわけでもなく、「当たり前」なんてどこにもないことを知った経験でもありました。それまでは、バイアスをかけて人を見たり、合わないと勝手な判断で距離を取ったりすることもありましたが、ワーキングホリデーでの経験を通し、対話してみないと分からないと思うようになりましたし、他者に対する決めつけをなくすようになりました。
つまりは、他者と自分がフラットになり、「そもそも違う」ということを心の底から理解できるようになったと思います

帰国後、初めての就職

ビザが切れるタイミングで日本に帰国した私ですが、就職活動も経験していなかったので、右も左も分からないことから、エージェントに相談に行きました。
同い年の子と、既に2年もの社会人経験差が生まれている状況でしたが、負けず嫌いな性格が出て、「このブランクを早く埋めたい」という想いが生まれました。
大学時代のバイトや、海外経験を通して身に着けていたコミュニケーションスキルを武器に営業職として働くことを決断。中でも、自分にとってキツイ環境で、学びの多い場所に身を置こうと思い、新規事業に携わりタフネスを求められる環境に入ることを決め、某HR系のメガベンチャーへ就職
同社では新規事業の営業からキャリアをスタートし、チームマネージャーも経験。しかし、クライアントが飲食業等サービス系に絞られた商材だったことから、コロナを機に売り上げが激減。会社としても何とか売上を創るため、サーマルカメラや空気清浄機の販売など、それまで扱っていたSaaS系のテックサービスとは真逆と言ってもいいような商材を扱うことに。
それ自体は楽しめていたものの、共に働く仲間や部下たちが、会社都合で営業日を3日に減らされ給与も減らされたり、大好きだった部署を異動させられたりして、人のキャリアがボロボロになっていく瞬間を目の当たりにしました。
そこから、人のキャリアに対する関心が芽生え、同時に、比較的大きな規模の会社であったとしても何も保障されるわけではないことを実感し、改めて0→1で事業などを立ち上げられる力をつけることを目標とし、当時、創業のタイミングだった人材紹介会社に入社をしました。

人材紹介の仕事は、私にとって天職だった

私が入社を決めた会社は創業したてで、かつ代表一人でスタートしたタイミング。その上、代表自身も人材紹介の経験を有していませんでした。
代表も私も分からないことが多くある中で、二人で紹介事業をスタート。徐々にお客さまのご期待にお応えできるようになり、私自身、この仕事こそが人生をかけて力を発揮したい仕事だと実感できるようになっていました。
日を追うごとに、向き合う個人の方へ新たな気付きをご提供できたり、本人も予想しなかったようなキャリアチェンジを叶えられたりしたときには、大きな喜びを感じ、私がご支援できている価値を強く感じるようになりました。

二人で経営する会社だからこそ、転職支援を叶え、クライアントからフィーをいただくことが大変重要なことであることは理解しつつも、どうやって効率よく支援を実現するかよりも、どれだけの想いを込めて支援をするかが、私の心の多くを占めるようになりました。
結果的に、非効率と思われるような書類の添削や何度も重ねる面談、面接前後のフォローアップや同席なども細かく実施をさせていただき、個人に寄り添い続け、それによって企業様にも本質的な支援を実現できることに、やりがいと価値を見出すようになりました。

エイトシークエンスで、他者貢献に100%フォーカスする仕事をスタート

当時、取締役として経営観点で会社を見ることも求めていただけるようになっていたものの、もっと人材紹介を行う立場として、その腕を磨き、より一層質の高い支援を実現したいという想いが日増しに強くなっていました。
この業界に飛び込む際には、単純に人のキャリアに関心を持ち、自分自身の0→1の力をつけることが目的でした。ただ、経験を積むごとに、本来私が目指したいのは0→1を創造する力ではなく、向き合う人に徹底的に貢献し、相手がクライアント(経営者様や人事の方)でも転職を望む個人の方であっても、その方の支えになりたい、この純粋に湧き出る気持ちを元に仕事をしたいと強く思うようになったのです。

そして、エイトシークエンスという会社に出逢い、個人の方や企業様へ向き合うスタンス、掲げるMissionなどに深く共感し、私はこの環境で、自分の湧き出るエネルギーと気持ちに素直になって仕事に取り組むことを決心しました。
特に業界や職種的な拘りや経験の偏りはありません。ただ、ベクトルが外に向き、社会課題を解決したり、未知の領域にチャレンジしたりするような企業様への関心が強いため、そういった会社様の支援が多い傾向にはあります。

私自身、これまでの人生で大きく意識変容が起き、変化が起きた時は、自分で勝手に変わったということはなく、誰かが何かをしてくれたことがキッカケで変化し、今の自分を形成してきたと感じています。
この経験を貰うばかりでなく、私も誰かに返していきたいという気持ちが強いので、この仕事を通し、個人の方や企業様がより良くなるキッカケを提供していきたいと思います。
大きく社会をガラッと変えるパワーを持っているわけではないですが、目の前の人や周りの方々にとって小さくとも大切な変化の機会を提供できるコンサルタントでありたいと思います。
だからこそ、一人一人に向き合い、細かい信頼の積み重ねを大切にしていきたいと思っています。

本人が気づいていない、その人・企業の可能性を見出し気づいてもらうこと

私の仕事上で大切にしているスタンスとしては、私がその人や企業の気づいていない可能性や魅力を見つけることで、普段表現できていない部分を私が介在することで双方にお伝えしてお繋ぎしていくことです。
それも、私の身勝手な決めつけではなく、その方や企業様が本心で本来求めていることや、目指していることにトコトン向き合うことで見出し支援していきたいと思っています。
キャリアは、過去の積み重ねからの選択だけで諦めないで欲しいと思っています。転職を転機と捉えて向き合うこと。そのために一緒に考えて、考えられるようにサポートする仕事をしたいと思います。

大岩 夏子(おおいわ なつこ)

大学卒業後、総合人材メガベンチャー企業に入社。HRTech事業領域にて営業職としてFintechサービスの拡販に従事。 主に大手企業の新規開拓営業を担当し、新規事業の立ち上げ、マネジメントを経験。 2019年/2020年度と全社MVPを受賞した後、転職を決意。 2021年よりスタートアップの1人目社員として、社長と二人三脚で人材紹介事業の立ち上げを経験。 主にIT・広告・コンサル業界のスタートアップ・ベンチャー・上場企業と様々なフェーズの企業の、経営幹部人材(C×O、経営企画、事業開発など)、コンサルタントの紹介を中心に支援。現在、エイトシークエンスでは幅広い業界における、成長・変革期を迎えるベンチャー企業・上場企業を担当。 本音でお話できる関係性を大切にしながら、転職やご自身の人生に向き合う方々に貢献できるよう、全力で向き合いサポートさせていただくと共に、企業様が目指すゴールを的確に把握し、コンサルタントの立場を超えて「パートナー」として寄り添えるような存在になりたいと考えております。 企業様、候補者様によって「働くことにワクワクできる出会い」を一つでも多く生み出していけるよう取り組んで参ります。

(記事:かんべ)


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