夏の夜の光に人々が見たものは
半田運河CanalNightという夏のイベント
今年も半田運河キャナルナイトを開催することができた。
愛知県半田市にある「半田運河」という唯一無二のロケーションを利用して、夏の夜に2日間だけ行われるイベント。ここ数年で認知度も少しずつ上がり、今年の開催ではイベント前の時間から続々とたくさんの人が集まってきてくれて、僕はその光景を感慨深く眺めていた。
イベントの中で最も人気の企画は『ヒカリノ玉』と呼ばれる、LEDライトで点灯する玉を運河に投げ入れる企画。陽がゆっくりと沈み始める午後7時、カウントダウンの掛け声とともに、一斉に投げ入れられたヒカリノ玉が散り散りに水面に浮かんでいく。投げ入れから10分もすると陽はすっかり暗くなって、ヒカリノ玉はゆらゆらと光り輝き、風の影響を受けて天の川のように帯状に流れていく。
他にも会場にはいろんな光の装飾が施されていたり、50店舗以上の厳選されたお店でグルメなどを楽しんだりすることができる。来場者のそれぞれが、おもいおもいのやり方で夏の夜のようやく涼やかになった時間を楽しんでいる。
ここ数年は本当にたくさんの人が来てくれるようになったものだ。
イベントを立ち上げた8年前の2016年では考えられないような光景が目の前にある。
来場者層のマジョリティ層への移行
もともと半田運河キャナルナイトは、「半田運河」という歴史的な地域資源の見せ方を変えることで、リブランディングしようと試みたイベントだった。
それまでの半田運河は「江戸時代に」とか「江戸へ」みたいな文脈でPRすることが多く、たしかにそれは間違いのない魅力なのだけれども、その単一の方向による打ち出しの仕方によって、訴求できるターゲットが比較的大人な(高齢の)世代に偏ってしまっている印象があった。
そこで、キャナルナイトでは、歴史的な文脈をそのまま打ち出すのではなく、アート的な手法だったり、マルシェの手法だったりを用いて、若い世代にも来てもらいながら、結果として運河の魅力をふんわりと感じてもらえるような仕掛けづくりをすることにした。
2016年。はじめは小さく小さく始めた。出店者も10店舗だけ。エリアももっと狭かったし、ヒカリノ玉だってもっと手作り感のある代物だった。
それでもアートやマルシェの文脈で集まる人達がアーリーアダプターとなって、初めてのイベントにしてはまずまずお客さんも来てくれたし、何より夜の半田運河に浮かぶヒカリノ玉を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごす体験がちょっとだけ評価されて(たぶん)、2年目以降のイベントからはちょっとずつ規模が大きくなっていった。
イベント実施4年目となる2019年には、規模的にもほぼ現在と同じくらいになり、その後の2年間はコロナでおやすみせざるを得なかったけれども、2022年になんとか再開した時には、1日1万人を超える人が来場してくれる大きなイベントになった。
来場者はカップル、友達グループ、家族連れ、地元の子どもたち‥ 多岐に渡るようになり、来場者の層はおしゃれなアーリーアダプターから完全にマジョリティ層に拡大し、一般化した。
1万人を超える来場者に、運河の魅力をふんわりと感じてもらうことはできたのだろうか。
来場者の一般化がもたらしたもの
来場者が増えると、当然のことながら、イベントに対する感じ方も多様になる。
落ち着いたマルシェの雰囲気が好きな人、夜の光の演出に魅力を感じて写真に収めようとする人、たくさんの美味しいグルメを楽しむ人、人混みがなんだか祭っぽくてその波に揉まれる感じが好きな人、人混みの中から偶然に知人と出会い、話に興じる人…
「落ち着いた雰囲気」と「賑わい」。
人々の「快適さ」を取り巻く異なる価値観の中で、それらを両立する難しさに、キャナルナイトは直面している。また、このイベントが公共イベントであり、来場者の層を制限することができないことも、問題解決を難しくしている要因のひとつである。
運営する側としては、来場者のマナー問題も喫緊の課題だ。今年は悲しいことにイベントが終わった後にいろいろなゴミが放置される惨状を見た。帰りに会場に残っている一人ひとりに声掛けをしたにもかかわらず、だ。
マルシェ好きな人のマナーは、食べた後のゴミは購入店舗に返却する(もしくは持ち帰る)というもの。マジョリティ層にとってのマナーはゴミはゴミ箱に捨てるというもの。そして悲しいことに、そのどちらのマナーも守れない人たちがこのマジョリティ層には紛れ込んでいて、夏の夜の特別な雰囲気に気が大きくなったのか、ゴミをその場に置いていっても構わないという人がいた。
イベントの来場者が増え一般化が進んだ結果、新たに浮き彫りになった異なる価値観の問題とマナーの問題。
夏の夜に人々が見た光の先には、運河の魅力があったのだろうか。
いずれにせよ、これがきっかけで半田運河のことが嫌になる人が今後出ないように、僕らはまた新たな課題に立ち向かうことになる。