巻き込まれる渦の中で
現役生活に幕を閉じた日本最古の跨線橋
2021年6月5日。JR半田駅付近で実施されている鉄道高架化事業に伴って、半田駅にある跨線橋が現役生活に終止符を打った。建築当時から同じ場所にある跨線橋としては日本一古い跨線橋。そんな日本一古い跨線橋の最後の日ということもあって、最終列車の運行では、多くの人々が最後の勇姿を見送った。深夜24時を超えていたにも関わらず。
JR半田駅の跨線橋は、クリーム色と小豆色のツートンカラーがまず目を引く。またその他にも、明治43年に建築されたということもあり、随所にそのレトロな意匠を見ることができる。今ではそのような細やかな意匠を施すことはなく、逆に無駄を削ぎ落としたシンプルな意匠が採用されるのだろうが、こういった細部に施された当時のこだわりを目の当たりにすることで、その時代の人達の心意気のようなものを感じることができる。
明治から令和の長い歴史の変遷の中で積み重ねたエピソードは数多く、立て板に水のように次から次へと思い出が出てくる、そんな人も多いだろう。ただ少し不思議な感じがするのは、その対象が、車輌でも線路でもなく、鉄道の中では主役でも何でもない跨線橋への偏愛だからかもしれない。
地域住民が企画した「ありがとう、跨線橋」
最終日に併せて企画された渡り納め企画「ありがとう、跨線橋」。きっかけとなったのは、JR半田駅付近に住む商店街店主かんちゃんの「おれが最後の跨線橋を渡る人になる!」という一言だ。漫画の主人公のような語り口からは、最後の1日を楽しんじゃおうぜ!という気持ちが満ちあふれていたような気がして、僕らにはそれを否定する理由など何一つなかった。
他の地域の人が聞くと、なんてことのない一言と思うかもしれない。だが、至るところで失敗事例と揶揄されてきた名鉄知多半田駅前の再整備の様子を間近で見てきた人たちから発せられた一言としては、ずいぶん前向きな一言だった。JR半田駅周辺に住む人たちから出てくるのは、いつも決まって未来への不安やネガティブな感情で、これから自分の生活の変化が確実にやってくる当事者として間近で起こったその失敗の再整備が自分の住む地域でも繰り返されるかもしれない…と思う人が地域中に蔓延してしまうのはある種当然なのかもしれない。ここ数年、そんな地域の未来にネガティブな感情を抱くことが当たり前になっていた中で発せられたかんちゃんのこの「おれが最後のー」という一言は、これからのJR半田駅前に大きなパラダイムシフトを生む可能性を感じさせる大きな一言だったのだ。
その一言がきかっけとなって、あれよあれよという間にいろいろなことが決まった。隣の駅まで歩いて行って最終電車に乗ること、「ありがとう」と書かれた横断幕を持って跨線橋に感謝を伝えること、地域の人たちが参加したくなるような企画にすることなど。5月中旬を過ぎたあたりのこと。
巻き込まれる中で徐々に大きくなる渦
まちあそびサークル「たのしあん」のメンバーに「ありがとう、跨線橋」の企画のことが伝えられると、その動きはさらに加速した。デザインの得意なメンバーがすぐにSNS告知用の素材を作り、イラストが得意なメンバーが跨線橋のイラストを描き、それをアレンジしたメンバーがロゴの形に仕上げた。ロゴはTシャツにプリントされ、いろいろな人が跨線橋ロゴの入ったTシャツを着るようになった。子どもたちと一緒に「ありがとう、跨線橋」の横断幕を作った。イベントチラシが出来上がると5月末頃には回覧板で近隣住民へ企画内容が周知された。
6月1日の中日新聞社会面に跨線橋が週末に現役生活を終えることが報じられた。するとそれに鉄道ファンが反応し、最後の姿をこの目で見ようという人が徐々に現れ始めた。さらに鉄道ファンが集うその様子をテレビなどのメディアが報じる連鎖が巻き起こると、地域の老舗和菓子店が「ありがとう、跨線橋」に連動した企画を打ち出した。そんな様子は地域の人にも連鎖し、多くの人が思い出深い跨線橋に思いを馳せた。
最後の夜の灯り中で
跨線橋最後の日の渡り納め。僕らは23時過ぎに半田駅で集合し、最終電車めがけて一つ前の駅までみんなで歩いた。歩いたのはざっと50人くらいだっただろう。かなり夜更けの時間帯に謎の行列。どう考えても異様な深夜の集団は、24時07分の最終列車に乗車すると、2分たらずで半田駅に到着した。
駅のホームにも多くの人が最終列車を待ち構えていた。あの時「おれが最後の跨線橋を渡る人になる!」と宣言したかんちゃんも駅のホームにいた。シルクハットとステッキの正装を決め込んでたからか、自然とかんちゃんの周りには人だかりができ、かんちゃんは自然と地元を代表して最後のお別れの挨拶をした。
駅舎の外で「ありがとう、跨線橋」の横断幕を掲げながら長い歴史に感謝を伝えた人たち。ホームから出てきた人たちもそこに合流し、結果総勢100名くらいになった。そして最後の時間。みんなで跨線橋にこう言った。「ありがとう、跨線橋!」と。
渦に巻き込まれるそれぞれの形
地域活動の中で大切なのは、「得意を活かすこと」だと言われる。今回、かんちゃんの一言から始まった渦が徐々に徐々に大きくなっていく様子は、まさにそれぞれの「得意」の連鎖が引き起こした象徴的な出来事だった気がする。「わたし、これできるかも」と宣言してみる。そんな一歩が大切なのだ。全部でなくていい。ちょこっとの部分だけでも。ハードルは思っているほど高くない。
そんなちょっとしたことの積み重ねによって出現する小さな渦。渦は「人の思い」や「パブリシティ」の波によって加速する。思いをSNSで投稿してみる。新聞で見たことを知人に共有してみる。イベントに参加してみる。そんな小さなこと…と思うかもしれないが、それだって立派な「得意を活かすこと」。そんな渦に少しでも楽しさの可能性を感じたときは、全力で楽しむのがいい。加速したポジディブな感情の渦は一気にムーブメントとなる。
地域住民が企画した「ありがとう、跨線橋」。
巻き込まれる渦の中で僕らが見た光景は、JR半田駅前の再開発を目前に控えた未来への不安やネガティブを感情を、もしかしたらひっくり返すことができるんじゃないか?という大いなるポジディブな可能性の光景だった。
そんな大きなパラダイム・シフトを生むきっかけを与えてくれたJR半田駅の跨線橋にもう一度感謝を伝える日も近い。「ありがとう、跨線橋」と。